あまりの素晴らしさに讀了した數日はほとんど放心状態でブログの更新も出來なかったという凄まじさで、傑作とか何とかそういう言葉などマッタク意味をなさないのではないかと思われるほどの壓倒的な世界觀、そして敍情を極めた恒川氏ならでの幻視力にはもう完全にノックアウト。
全編、美奧という土地を舞台にした物語で、登場人物は微妙に繋がっていたりという遊びはあるものの、一編一編がそれぞれ独特の風格を持った物語です。収録作は、親友が異形のものへと變容していくさまを目の当たりにしながら主人公に託して美奧に隠された死と再生のメカニズムが解き明かされる「けものはら」、アバズレどもからひどいイジメを受けながらも淡々と毎日を生きる娘っ子とフとしたきっかけで知り合った不思議君の野生兒との交流「屋根猩々」、毒師の半生を大河ロマン的な筆致で見事に描き出した傑作「くさのゆめものがたり」、ゲス親父を徹底的に嫌う娘っ子が世界創造の神秘ゲームに挑む「天化の宿」、そしてジオラマ好きのオジさんだけが知っている秘密の町「朝の朧町」の全五編。
いずれも恒川氏ならではの、この世界の仕掛けの片鱗を垣間見た登場人物たちの人生を活写した物語で、ジャケ帶にある「俺、もう少ししたらここから出ていくぜ。でも、それはおまえらの世界じゃない」という台詞に痺れてしまう「けものはら」からしてイッキに引き込まれてしまいます。
子供の頃に迷い込んだ禁忌の地へ逃亡した親友を捜して迷い込んだ主人公が、淡々とその美奧の土地に隠された不可思議なメカニズムを語っていくというお話なのですけど、將に「死と再生の物語」とある通りに、ここでは「再生」がこの作品全体を貫く大きな鍵になっています。
そして「再生」という主題を、美奧という土地のメカニズムからは切り離し、語り手である主人公に託して壮大な物語を描き出してみせたのが「天化の宿」で、主人公は今ドキの女學生ながら、彼女が体驗するのは、ある意味この世界の創造と破壞をイッキに体驗できるという凄まじいもの。ヒョンなことからこのゲームをやることになってしまった娘っ子の立ち位置がまた絶妙で、かつてのこうした物語であれば、主人公の思い悩む樣子を結構シリアスに書き出してみせるのが通常の小説の作法かと思うのですけど、この物語の主人公はいたって飄々としていて、また彼女のそうした立ち居振る舞いがこの爽快な幕引きを見事に引き立てているところも素晴らしい。
この飄々とした風格はかつての恒川ワールドにはそれほど強くは感じられなかった、この作品ならではの大きな魅力でもありまして、そうしたユーモアというか、おかしさと幻想叙情を極めた描写の融合を存分に堪能出來るのが「屋根猩々」。この作品の主人公も「天化の宿」同樣、娘っ子で、こちらは学校ではアバスレどもからネチっこいイジメを受けているという設定です。
しかしそうしたイジメにも何ら動じることなく淡々と日常を過ごしている娘っ子が、野生兒から昭和フウのベタなアプローチをされて知り合うことになって、――と、ここで野生兒が受け持つことになったとある不思議なお仕事の片鱗を描きつつ、野生兒の痛快な振る舞いがこれまた面白い。勿論この飄々とした風格は娘の語りに負うところが大きいながら、件の野生兒や、今ドキ風でありながらも妙に昭和っぽい、ベタなアバズレ女の造詣などキャラのうまさにも注目したいところです。また「ふしぎ」小説的な餘韻を残すラストもやさしい雰囲気を釀しだしていて堪りません。
「くさのゆめものがたり」は、描き出しされた物語の密度だけでまず壓倒されてしまいます。毒の調合に天才的な才能を持った主人公が卷きこまれた宿業がやがて世界の神秘へと連關していく構成の素晴らしさ、そして主人公の思いが非情と慟哭を突き拔け、やがてはこの美奧の物語へと見事に結実するラスト。収録作の中では「朝の朧町」と並ぶお気に入りでしょうか。
で、最後を飾る「朝の朧町」もこれまた美しくも儚い物語でありまして、主人公の女性が日常生活のドロドロを逃れて、この地に辿り着き、不思議なオジさんへと惹かれていくという、フツーであればベタっぽい恋愛物語にすることだって出來るのにそうしたベタな展開は徹底的に排して、友情ともまた異なる心地よい連帶感を添えながら、このオジさんの不思議な力によって創造された町へと主人公は導かれていく――という話。
ここでは「再生」とともに、「屋根猩々」にも見られた「継承」という裏の主題を美しい幕引きへと繋げてみせた構成がいい。そして主人公が過去を振り返りながらも、そうした困難を克服していく過程を描き出すという、昨今では「泣ける」「癒し」小説としての部分もシッカリと持ち合わせている作風も盤石で、日常世界からこの朧町へと入っていくところの幻想叙情溢れる描写もいい。「くさのゆめものがたり」と同樣、ラストの素晴らしさに壓倒され、ただただ放心するしかない、という一編です。
ときに最近「七つの死者の囁き」に収録されていた「夕闇地藏」を讀んだ時に感じられた恒川氏の小説世界と半村ワールドとの共通項については、本作でますますその思いを強くした次第でありまして、これは本作における主人公たちの日常生活の描写のさりげなさと、すぐそのそばにある幻想世界との絶妙ともいえる距離感や、そうした世界の仕組みを登場人物たちの人生に託して活写する手さばきの素晴らしさにあるのではないかな、と思ったりする譯ですけども、いかんせん恒川氏の小説といえばジャケ帶にもある通りに「圧倒的なファンタジー性」というふうにその「ファンタジー」的な側面を評価する傾向が大勢ゆえ、自分のように半村的「伝奇ロマン」としての風格を愉しんでいるのはごくごく小數かと推察されるものの、恒川氏が近い将来、例えば「産霊山秘録」のような長い時間軸を用いて長編を描いた場合、いったいどんな壯絶な物語になるのか、――と、そんな期待をしてしまいます。
處女作からずっと恒川氏の作品を追いかけているファンであればまず文句なしに氣に入るであろう風格のほか、やや意外というか、こんな物語も書けるんだ、という嬉しい驚きもあったりして、とにかく自分にとってはもっとモットこの物語世界に浸っていたいと思わせる素晴らしい一冊でありました。ただ讀了した後にはその物語世界に壓倒されてボーゼン状態、もう何も手に付かない、というのは、素晴らしい物語である一方、ある意味、皆川女史の小説にも通じる「毒」をも持っているといえる譯で、「感動」、「泣ける」、「癒し」といった昨今の風格をシッカリと体現しつつもその深奧に隠された甘美な毒に酔う可能性も大いにアリ、片手間に讀むには取り扱い注意、ということでオススメしたいと思います。