台湾ミステリを代表する幻の傑作、ついに刊行される! と思わず声が大きくなってしまうのですけど、台湾ミステリ界ではその最先端を行く氏の代表作「上帝禁區」が今月ついに白象文化からリリースされたのは冷言氏のファンとして嬉しい限り、――というか、ようやくこれでこの作品を日本に紹介出來る譯で。
二重の語りの技巧によって不可能犯罪を見事に描き出した表題作「風吹來的屍體」、そして事件の描き方に語りの技巧を凝らして顛倒の構図を見せてくれた「空屋」、さらには反密室ともいうべき特異な状況に物証の不在を起点にした顛倒推理の巧みさが光る「找頭的屍體」、倒叙形式の変型に精緻な語りの技法を仕掛けに据えた「請勿・垂掘」など、「找頭的屍體」を除けば、いずれも語りの技巧を中核にした特異な結構が冷言ミステリの特色でありまして、本作でもそのあたりの超絶技巧は遺憾なく発揮されています。
ただ長編である本作が大きく異なるところは、「事件」の外観を非常に分かりやすい、明快な形に見せているところでありまして、思えば冷言氏の短編はいずれも精緻な語りの技巧が際だった作品ゆえ、この系統のミステリを読み慣れていない讀者にしてみれば、一讀しただけではその凄みが理解されないこともまたなきにしもあらず、というところがありました。
またユーモアも交えて展開される物語世界は個性的ながら、しかし個性的であるがゆえに海外の作家と比較してその風格をうまく説明出來ないという皮肉さも相まって、今ひとつアピールが難しかったのもまた事實なのかもしれません。
後者についてもう少し補足すると、例えば精緻なロジックの冴えが際だった林斯諺の作品であれば、クイーンや有栖川有栖を引き合いに出してその作風を語ることも可能であろうし(実際は林斯諺の短編は非常に多彩で、一概にクイーン風と一括りにすることは出來ないのですが)、また寵物先生であればその叙述トリックに注力した風格から「台湾の折原一」というふうに形容するのもアリながら、翻って冷言氏の場合、日本の作家の中でも似ている風格の作家というのがまず見あたりません。
しかし本作では、讀者の前に提示される事件の外観「だけ」を見れば非常にハッキリとしておりまして、いかにもコード型本格の風格を踏襲しながらそれでいて冷言ミステリの神髄とも言える語りの技巧が結構の全体に施されているところに注目でしょう。
物語は、作家冷言を語り手とするプロローグから始まります。語り手には幼少時の失われた記憶があり、またここへ頭の中に聞こえる奇妙な童謡やドッペルゲンガーという怪異も交えて、「信用できない語り手」を強烈にアピール。かつて雙子村と呼ばれていた奇妙な村の縁起も添えて、冷言ミステリではお馴染みの女刑事と退職したヘビースモーカーの爺さんたちが、四十年前に発生した猟奇殺人事件の謎解きを行うため件の村に向かうのだが――。
雙子村という名前の通りに、村の大地主の祖先というのが雙子で、そこには近親婚や過去の因果な殺人が語られていたりと、田舎の曰くありげな村で起こる連續殺人、といういかにも横溝ミステリの風格を装っているものの、その實、語りの技巧を駆使した本当の仕掛けはこの事件の舞台となる物語の外側に凝らされているところが素晴らしい。
この四十年前の事件というのが強烈で、発見された五体の死体はいずれも、左腕から上半身、右腕上半身、首、右足、左足を切断されていたというところから、日本の本格ミステリファンではあれば、島田御大の大傑作を頭に思い描いてしまいます。勿論、これもまた作者の意図するところでありまして、本作の中でもプロローグから「フランケンシュタイン」を引用しつつ、雙子村の中で行われていたクローン人間の実験というトンデモネタをもブチ込んで、讀者の推理を誤導していくという企みがステキです。
物語は、四十年前の猟奇殺人事件の謎を解くために村を訪れた彼らが殺人事件に巻き込まれてしまうというコード型本格では定番の展開をトレースしていくのですけど、田圃の中に建てられた小屋の中でバラバラに解体された人形を抱いて殺されていた館の当主の図、というコロシでは密室殺人をアピールしつつ、ここに幽霊騒ぎの怪異も添えて、曰くアリの一族の謎が次第に明かにされていきます。
この田圃の密室殺人のあと屋敷の婆が殺されてしまい、幽霊騒ぎの謎が解かれたと思ったら、今度は秘密の小屋の下にある地下壕から発見された手記には、四十年前の猟奇殺人にまつわるトンデモな眞相が記されていて、――と、とにかく畳みかけるように物語が展開されていくところには、ボンクラ検事が容疑者の聞き込みで延々と頁數を稼ぐような黄金期の本格に見られる冗長さは皆無、いかにも陰鬱陰惨な過去を背景にしながら、冷言氏らしいユーモアも交えた筆致も相まって非常に讀みやすい文体で物語は進みます。
日本統治時代のトラウマから日本人憎し、と運命に翻弄された狂人の手記が挿入され、ここに至って死体切断の理由が明らかにされるものの、怪奇幻想ミステリとしては秀逸なこの「眞相」のあと、プロローグから始まる語りの技巧によって隠されていた構図がイッキに明らかにされる後半の展開こそが本作最大の見所でしょう。
田舎村の呪われた大富豪とその一族にまつわる陰惨な殺人事件、――といかにも横溝正史的な風格を台湾の舞台に移植したコード型本格のかたちをとりながら、そこに怪奇幻想趣味とSF的な奇想を融合させたところが秀逸で、さらには「雙子村」という村の様態から大胆にヒントを提示しながら、クローンやフランケンシュタインといった奇想を添えることによって讀者を誤導してみせる技法もまた流石。
そして最終章のタイトル通りに、冷言という筆名に絡めてプロローグからその語りに込められた大胆な仕掛けは、眞相が分かった後に讀み返してみると、「悲劇(一)」の冒頭で記されている喫茶店での描写などに凝らされた「視點」を顛倒させる技法によって支えられ、またそれは「信用できない語り手」に託して頻繁に目撃されるドッペルゲンガーという怪異を語り手の手記の中で際だたせるとともに、女刑事の場面と語り手のパートの間に見られる微妙な違和感を伏線にしていることが分かります。
さらにはこのドッペルゲンガーという怪異の謎が解明された瞬間、自らの出自と過去の犯罪が強烈な連關を見せ、この奥にある眞相が明かされるのですけど、「雙子村」というあまりにあからさまにその仕掛けの様態を曝していながらも、否、それだからこそ、この眞相に到達出來る讀者は殆どいないのではないでしょうか。
精緻な語りの技法の外枠に凝らされた、横溝ミステリ、フランケンシュタイン、ドッペルゲンガーといった怪奇趣味のガジェットのすべてが讀者の先読みを二重、三重に誤導する機能を果たしているところも素晴らしく、たとえ舞台が横溝ミステリ風であっても、それらコード型本格の体裁のすべてを語りの技法によって大胆な仕掛けへと昇華させてしまうところには冷言氏の強烈な個性が感じられます。
何だか台湾のミステリファンの評判も上々のようで、こうなったらこの勢いに乗って、長編第二作の「鎧甲館事件」も出版されれば、――なんて密かな期待をしてしまうのでありました。