去年発売と同時に即ゲットしていたものの、ジックリと讀みたいがゆえに積んでいた一册ながら、結局福袋だ何だと慌ただしい元旦に取りかかってしまったのがちと殘念。まずは作品社の国枝史郎小説集成のなかでも最も激しい煽り文句に注目で、「愛の十字架」については「物凄き伝奇浪漫長編」、さらに同時収録の「建設者」に対しては「余りに赤裸々な自伝的浪漫長編」と、国枝的語りを意識したアピールぶりにはニヤニヤ笑いが止まりません。
伝奇浪漫という括りで伝奇という言葉を添えているとはいえ、舞台は現代で妖術も怪人の登場もナシとあってはごくごくフツーの小説かと侮ってしまいたくなるものの、現代であれ何であれ、登場人物たちの激情ぶりや破天荒な物語の結構など、初の長編小説ながら国枝ワールドがマックスにブチ込まれているところは国枝伝奇小説を読み慣れているマニアにはもう丸わかり。
物語は前半、とある畫伯の一族を中心に、娘の出自や畫伯の発狂の真相などを軸にして進められるものの、中盤からは畫伯の宿敵ともいうべきワルを配し、さらにはお節介な實直君が不倫に悩む親友を氣遣う筈が件の浮氣女にホの字になってしまう顛末を描いたりと、いったい本筋はどれなのかと読者が頭を抱えてしまうほどの破格な構成で魅せてくれます。
劇作家らしく、登場人物たちの情感溢れる、――というか、ビックリマークの連打で大恋愛贊歌を大聲で謠いまくるキャラたちの暑苦しさはこれまた国枝ワールドの眞骨頂で、これに各の錯綜する恋愛模樣が拍車をかけて、愛するべき者と愛してしまった者との乖離に心の中で悶々とする人間群像を描き出していくところは秀逸です。
しかし解説で末國氏が述べているところによれば、当時、出版社からの評価は散々なもので、連載も途中で打ち切り同然のかたちで纏める結果に終わってしまっているところは殘念でなりません。恍惚と鼓を奏でる靈感娘など、これが長編の伝奇小説であれば、もっとモット活躍するべきであった登場人物も多く、作中の中盤後に、戀人を小バカにして奴隸扱いしている御孃樣の出生の秘密が明かされるというクライマックスシーンにしても、扱いはもう少し変わっていたかもしれません。
それにしてもこのタカビーな御孃樣が自らの出生の秘密を知るに至るや、自分探しの末にトンデモない変身を果たしているところなどはまさに国枝小説ならではで、ここに女にフられることになった男が呆氣なく発狂してしまった曉にこれまたダウナーな結末を迎えることになるというアッケラカンとした惡魔主義も破天荒の一言で片付けるには勿體ない。このあたりのトンデモな展開とディテールにも着目しつつ、どの登場人物に感情移入をしていくかで、本作の愉しみ方も変わっていくような気がします。
国枝小説や、半村良の「妖星伝」にしても、あまりにアクの強すぎる登場人物たちがゾロゾロと出てきては物語を引っかき回していくゆえに、樣々な逸話が入り亂れ、ときにそれが初心者にとっては大變な讀みにくさにも繋がってしまう譯ですけども、本作では多情な芸妓玉千代と、お節介なばかりに玉千代を好きになってしまう時麿のキャラが個人的にはツボでした。
玉千代は例えば「先駆者の道」のお鳥を彷彿とさせる奔放さと芸妓ゆえのさりげないエロっぽさもそなえたキャラ立ちがステキで、時麿もまたその實直すぎる性格ゆえにお家騒動に卷きこまれることになってしまうというところが好感度大、でした。
今、なにげに後ろをめくったら、「近刊」として「国枝史郎伝奇風俗集成」とあるのですけど、伝奇に浪漫であればまだ二つの言葉はかろうじて繋がるものの、伝奇に風俗の二つはボンクラの頭の中ではどういじってもこれは無理で、果たして収録作はどんなものなのか、――風俗とはいえ、おそらくは本作と同樣の風格であろうと推察されるものの、早く讀んでみたい氣持ちで一杯ですよ。「山本周五郎探偵小説全集」は結構評判が良いらしく、六十八年生まれのマニア三大神の一人である末國氏はそちらの仕事が忙しいかと思うのですけど、風俗集成も今年中のリリースを期待したいと思います。