バカ、メタ、ユーモア、逆説の妙味を存分に愉しめる粒ぞろいの逸品ばかりで、堪能しました。『なぎなた』と同時二冊刊行ではありますが、こちらはどうやらユーモアに大きく振った一冊のようで、収録作は、アレな趣味を持った男衆の集まりの中で奇妙な事件が起こる「Aカップの男たち」、ラジオドラマの結構を持たせてフツーの推理ドラマ風の展開を見せながら、仕掛けの方は脱力と苦笑を誘う「真犯人を探せ(仮題)」。
時代劇をデフォルメしまくりながらも、その中に大胆な複線を凝らした傑作「さむらい探偵血風録」、収録作中唯一ユーモアミステリらしくないシリアスさで攻めながらも、最後はコガシン風の苦笑なオチがハジける「遍在」、これまた童話を模倣しながらリアルなルールが持ち込まれるぎこちなさに笑いを凝らした「どうぶつの森殺人(獣)事件」、猫丸先輩が登場し、パーティーの席上での毒殺事件に泡坂フウの極上論理が炸裂する、これまた傑作「毒と饗宴の殺人」の全六編。
ラジオドラマ風、時代劇風、童話風と、それぞれの風格を模倣しながら、トリックや趣向に脱力と苦笑を盛り込んであるところがキモで、ラジオドラマの「真犯人を探せ(仮題)」は、関係者に色々と聞き込みを行っていくというありふれた展開ながら、伏線よりも耳で聞きながらその内容を頭の中で思い描くという、読者の思考の中に巧妙な誤導が凝らされている脱力トリックに関心至極。
フツーであったら当然イメージされるであろう、あるもののかたちに意想外な仕掛けを凝らしながらも、アリバイなどまったく別方向へ読者の意識をミスリードさせる趣向が、ラジオドラマの定型によってより強化されているところが秀逸です。
「さむらい探偵血風録」も、また時代劇ならではのお約束を極端にデフォルメしたシーンが連打されるなか、ここではそのドラマを見る者の視点を据えたところが素晴らしい効果をあげていて、この見る者のツッコミが同時に大胆すぎる伏線として機能しています。あまりにあからさますぎて、またそれが何度も何度も繰り返されるわけですが、デフォルメの中に埋没してしまい、読者にはまったく気取らせません。
不可能犯罪の側面をクローズアップさせて、ハウダニットに読者の意識を向けさせながら、仕掛けはまったく別のところにあるという点で、「真犯人を探せ」と同じ路線を狙った一編ながら、時代劇シーンの苦笑と爆笑を誘う模倣ぶりが素晴らしいこちらの方が断然好み。
「遍在」は、シリアスに迫った一編で、ユーモアものばかりという本作の中では異色作。しかし作者があとがきで述べている通りに、そのオチはバカといえばバカ。時間軸にさりげなく誤導を巡らせて、それを最後の「壮大」でバカすぎるオチへと繋げてみせたあたりに、本格ミステリ的な技巧も用いられている点で、作風とオチは完全に非ミステリ的でありながら、本格の香りを残してあるところもいい。このネタはコガシン先生の作品でもありましたが、本編はそのスケールのデカさという点で桁違い。そして最後の最後に黒いオチで締めくくるところも見事に決まった一編といえるのではないでしょうか。
「どうぶつの森殺人(獣?)事件」は、これまた「さむらい探偵血風録」同様、童話を模倣した風格を持たせながら、そこにツッコミの視点を凝らして、苦笑と黒い笑いを惹起する展開がキモ。しかしオチは結構真面目で、それがまたツッコミによって否定されたリアリズムと見事な対比を見せているところも素晴らしい。このツッコミがあるからこそ、このリアルさが完全に盲点となってしまうところなど、誤導の技法にも注目でしょう。
「毒と饗宴の殺人」は、お馴染みの猫丸先輩が探偵を務める一編で、パーティーの席上で毒殺事件が発生する、というもの。しかし毒殺とくれば、その毒をいかにして入れたのか、というハウダニットが読者としては当然気になってしまうわけですが、そうした読者の意識をこれまた巧みに逸らして、異様なロジックから犯人をあぶり出していく展開がいい。泡坂氏の某短編を彷彿とさせる趣向ではありますが、毒殺といえばハウダニットという定石から異様な論理へと至る展開は新機軸。また、その論理をすくい取るための伏線の巧みさも素晴らしい。
いずれも仕掛けの中心には、定式の模倣やデフォルメを効かせて誤導と伏線を凝らしたという秀作ながら、個人的な好みは上にも述べた通り、笑いの分量がピカ一という「さむらい探偵血風録」と、毒殺の定式を華麗に裏切ってみせる推理が美しい「毒と饗宴の殺人」でしょうか。倉知氏ならではの軽妙さと読みやすさを兼ね備えた文体もこれまた素晴らしく、本格ミステリファンだけでなく、フツーのミステリ好きにも自信を持ってオススメできる安心の一冊、といえるのではないでしょうか。