物語の主人公は五十に近いオバさんで、そのヒロインが娘の婚約者を好きになってしまうという、ある意味非常にベタベタな展開ながら、今回はオバさんのヒロインも含めた登場人物たちの含みを持たせた行動のイヤっぷりがかなり激しく感じられる本作、不可能犯罪もナッシングという風格ながら、これまた連城ミステリ的な騙りの技巧が冴えた一冊です。
物語はオバさんヒロインがハッキリとした不満もなく何となーく旦那がイヤになって家出をしようかと考えていると、突然に電話がかかってくるところから始まります。電話の主は娘の婚約者からで、この男は旦那の部下でもある。で、件のボーイは何か言いたそうなのだけどもそのあたりを何となく濁して、会話はもっぱらオバはんヒロインが家出をする話へと流れていき、――とこの冒頭のシーンだけでも、相手の腹の探り合いがネチっこく描かれていくあたりが堪りません。
しかしどうも今回ばかりはこのオバさんヒロインに感情移入出來ないところが個人的にはアレで、これはもしかしたら自分がこのヒロインの旦那の視点から物語を追いかけているところに起因するのかなア、という気もするものの、――実を言えばこの旦那も世間的には悪いところなど何もないないナイスガイの表向きとは裏腹に、結構イヤ性格の持ち主であることが次第に明らかにされていきます。
この旦那、銀婚式のときには、イタリア産の砂をつかって拵えた砂時計を妻への贈り物にしてみせたりという大変な洒落者でもありまして、そうしたナイスガイぶりを娘や娘の婚約者に見せつけるという、――いうなれば世間体の塊みたいな俗物男。実際、その金持ちのナイスガイぶりが何だか「BRIO」とかの中年雑誌で、愛車のマセラッティだかポルシェだかをバックにアルマーニのスーツでキメている業界人を彷彿させてしまうところが個人的にはちょっとアレ(苦笑)。
とはいえ、このヒロインのハッキリしない性格も相当な問題であることはその通りで、娘の婚約者のボーイを誘惑して奪ってやろうという野心が見え見えであればそれなりに理解も出來はするものの、本作の場合、このヒロインは自分の心の「よろめき」にも大きな自覚はなくて、さらにいうと最終的な決断は常に他人任せという曖昧な性格が致命的。
何だか、自分では大きな決断は先送りにしてただただ情報誌が垂れ流す最新の流行に流されるばかりのスイーツ女のなれの果てを見ているようなところがアレながら、こうした自堕落未満のヒロインの性格をフックに、様々な嘘や操りを凝らしてこの不倫恋愛劇を二転三転させてしまう連城マジックの冴えは相当のもの。
例えばボーイの言われるまま、娘の不純異性交遊を疑ったヒロインが新幹線に乗り付けるという前半のシーンでは、禁煙席のシート下に落ちていた煙草の吸い殻からヒロインは様々な推理を展開させ、娘とボーイ、そして人物Xとの關係を探っていきます。そしてそれがまたある人物の一言の嘘によって今までの舞台が鮮やかに反轉してしまうという仕掛けの素晴らしさは言うまでもなく、今までヒロインの脳内妄想とともにこの恋愛劇を追いかけていた讀者の意識を操るかのような、そうした転換点がいくつも設けられているのも長編ならではの愉しみでしょう。
オバさんのヒロインもヒロインなら、その娘も相当なもので、銀婚式でのちょっとした事件以降、「操り」の主導権を得るかのごとく、母娘というよりは二人の女として対峙する会話のやりとりは手に汗を握る描き方で、そこへさらにヒロインの婚約者であるボーイも絡めて、トンデモないことになってしまう中盤以降の展開が本作最大の見所かと思います。
ヒロインがついに家を出てからの流れはやや平板で、この結末もある種、予定調和的といえばその通りなのですけども、そうした調和がヒロインの娘の成長と新たな愛の受容へ繋げるともとに、娘の婚約者であったボーイのある決意表明への伏線となっているところが面白いと感じました。
アテられてばかりのBRIO旦那は、最後の最後までヒロインと娘とボーイの壮絶な操り劇のカヤの外でコトの成り行きを見守っているばかりかと思っていたら、最後の最後のある勝負へと出るのですけど、この行動が裏目に出て「一番マトモだと思っていた旦那が結局、一番のイヤ男だったなア」と判明してしまう幕引きも痛快なのか、それともブラックなオチとして苦笑するべきなのか、ごくごくフツーの感性しか持ち得ない本讀みとしては当惑してしまいます。
不可能犯罪がなければ本格にあらず、という原理主義的な讀みからは決して見えてこない、人間心理をフックにした操り劇の面白さは讀者を選ぶかと推察されるものの、そのあまりに人工的な登場人物たちの操り劇の激しさは一般の恋愛小説としては異様に過ぎるし、そうした人間心理を流麗な文体によって軽やかに弄ぶ手さばきはやはり巧緻な人工美を愛でるミステリマニアの方がより評価出來るのでは、という気もします。
例えばヒロインが娘の婚約者のボーイに、旦那は浮気していると語るシーンがあるのですけど、ちょっと長いながら引用すると、
「夫には私以外の女がいて、その女と暮らしているんだから」
「同棲……ですか?」
「ええ、まあ。結婚して二十五年、夫は私とじゃなく、ずっとその女と暮らしていたんです」
「それならただの浮気以上じゃないですか」
「そう。その女が本妻で私の方が日陰の女」
「どういう女なんですか。その相手の女というのは」
広田は同情の声になった。
「そうねえ……エリートの夫にふさわしいエリートの女。夫が胸にネクタイピンが勲章のように飾っておける女。家事の才能もあって、おしゃれな料理を作って、テーブルに花をさりげなく活けて、夫がひけらかす美術館の知識なんかに耳を傾けて……そんな夫のことが自分の唯一の自慢だっていう女。夫の地位にふさわしい品のいいブランドの服を着て、趣味は高尚な友禅だったりして」
「……」
「つまり、私なんです」
昌子はそう言って、ちょっと笑った。
「夫は本当の私じゃなくて、自分にふさわしい別の女を押しつけて、その女しか愛そうとしなかったんです。それって浮気みたいなものでしょう? 本当の私はいつも置き去りにされてきたわけだから」
その巧みな文体によって、こうした人工的な妙を自在に伸縮させながら仕掛けを構築していくのが連城マジックの真髄でもありまして、一見するとまったくミステリらしくない本作でも、こうした会話に込められた巧緻から連城氏が自身の作品に用いてみせる仕掛けの技巧を探るもまた一興、かと思うのですが如何でしょう。