「実話系」の「系」の字にイヤでも目がいってしまう本作、やはり実話怪談ならぬ「実話系」であることへのこだわりとは果たして如何ほどものなのか、またそうした「実話系」であることが怪談本来の結構にどのような変容をもたらしているのか、というあたりも含めて、大變に興味深い一冊でありました。
収録作は、怪談文芸における「実話」の講義が恐ろしい物語へと轉じていく結構が見事としかないいようがない京極夏彦「成人」、水商売を舞台にオーソドックスな怪異譚が最後に奇妙な捻れをみせる仕掛けが秀逸な福澤徹三「見知らぬ女」、山の怪談では定番ともいえるネタから「実話系」らしい語りの趣向が綺麗なオチへと・壓がる安曇潤平「顔なし地蔵」。
祟りか呪いかという実話怪談では定番ともいえるネタを披露しながらも、妙にホノボノとした風格が収録作中違和感ありまくりな加門七海「茶飲み話」、実話怪談らしい小咄の連なりで定番の趣向を凝らした「怪談BAR」、何だか実話系という趣向からは企画外ともいえる物語を披露しながら最後にそれが美しい彩りを見せて幕となる小池壮彦「リナリアの咲く川のほとりで」。
実話怪談的な物語を素直にトレースした立原透耶「つきまとうもの」、木原浩勝「後を頼む」、「東京伝説」とは異なり、語り手の落ち着いた語りから異様な物語が立ち上る平山夢明「顳・莵 蔵出し」、俗悪なエッセイを装った結構が鬼畜人間の奈落を描いた幕引きへと轉じる岩井志麻子「美しく爛れた王子様と麗しく膿んだお姫様」の全十編。
正直、衝撃度という點からすると京極氏の「成人」が圧勝、という気がします、――というか、この作品の怖さ、薄気味悪さは怪談というよりは寧ろミステリの技巧を用いているように感じられるゆえ、怪談讀みよりは、物語に伏線や因果を求めてしまうミステリ讀みの方が、この作品の怖さをより味わうことが出來るのではないでしょうか。
物語はまず「怪談」における「実話」の講義から始まり、いくつかの拙い作文が提示されたあと、強度にメタ的な趣向を添えて怪異を描きつつ、じわり、じわりと薄気味悪く、不穏な雰囲気を盛り上げていきます。「成人」というタイトルに絡めたオチはうっすらと見えてはいるものの、寧ろ本作では、この物語の語り手と、挿入された作文、さらにはその作文に關わった人物などがメタ的に入り乱れながら、奇妙な連關を見せていくところに怖さが際立っています。
この物語が何故かくも気味悪いのか、というのは、この「実話系」という趣向ならではの、語り手、聞き手、また挿入された作文の書き手など、様々な人物がメタ的な連關を見せていくところの怖さは勿論なのですけども、個人的にはそういった「連關」が結局は、「因果」へと落ちて「くれない」故ではないかな、という気がします。
この薄気味悪い怪異の逸話に絡め取られていく人物や、作文の書き手など、得体の知れない「あるもの」がうっすら、ぼんやりと描かれてはいくものの、それが結局、明快な因果へと落ちてくれないことへのもどかしさと気味悪さ。さらにそこへメタ的な趣向を凝らしたことで、物語の外枠を突き抜けて讀み手の側へと向かってくるのではないか、という怖さもある。
伏線を唐突に明かしながら、作文やそれに纏わる奇妙な怪異の様態が連關を見せていくとこにはミステリ的な謎解きの風格もあり、讀者としてはこの展開に引き込まれてしまうのですけども、實をいえばこれは作者の技巧に絡め取られているともいえ、物語が終盤に至っても結局、それらの明快な因果は明かされず、様々な事柄の連關が最後には薄気味悪い全体図を描き出して幕となる構成など、とにかく怪談らしい気味悪さ、怖さが様々な技巧によってマックスにブチこまれているところなど、正直、この京極氏の一編だけで完全にお腹イッパイ。
小池氏の「リアリナ」は、「実話怪談」以上に、そもそもマッタク怪談らしくなく、寧ろフツーの短編としてちょっと奇妙な人たちと語り手との交流を描き出した物語ながら、終盤、とある登場人物の「ここにいなさいね。何があっても」に續くある台詞によって、語り手とこの語られている物語の曰くがイッキに繙かれるという結構が美しい。冒頭の叙情的な描写と語り手が見た不可思議がこの台詞によって美しい「実話系」の物語へと変容してみせるところなど、人によっては「そもそも実話系どころか怪談じゃないジャン」なんてクレームがつきそうな気がするものの、個人的には非常に偏愛したくなる一編でありました。
京極氏の「成人」と並ぶ強烈なもう一編が志麻子姐の 「美しく爛れた王子様と麗しく膿んだお姫様」で、姐のエッセイを讀んでいる讀者であれば、韓国人や南国の愛人ボーイの話は当然既知の事実であり、今回はそれらの私生活の背後で密かに進行していた裏話をコッソリ教えます、という結構。
最初の方は志麻子姐の笑える筆致も相まって、怪談じゃねえよこれ、なんてかんじで緩く讀み進めていたら、ネタ中の主人公ともいえる人物が奈落へ堕ちるという、鬼畜に過ぎる幕引きでジ・エンド。續くお姫様のネタも、電波女のストーカーかと思いきや、捻れつつも美しい人情噺へと轉じ、それが最後にはぞっとするような「実話系」ネタへと流れて、虚構と讀者のリアルを隔てた膜を突き破ってこちらへと向かってくる幕引きで締めくくります。
作者の「実話」を知っているからこその、それを見事に悪用したネタっぷり、そしてそれをエッセイ風の語りで讀者をリアルな怖さへとたたき落とすという、容赦なし、ともいえる技巧の悪ノリと、やはり志麻子姐、一枚も二枚も上手です。
「実話系」ひいては「怪談」というものに何を求めるのか、というあたりで讀者の評價も大きく変わってしまいそうな短編が揃ってい、それぞれの好みで好き嫌いがあるだろうと推察されるものの、個人的には京極氏と志麻子姐の二編だけでも完全に「買い」の一冊でありました。特に京極氏のネタはミステリ讀みゆえ、見事にその術中にハメられてしまったこともあり、読み終えてこれを書いている今もその怖さを引きずっているという鬱ぶりで、ここ最近讀んだネタではもっとも薄気味悪く、イヤな話でありました。