何でも「台湾の西尾維新」と呼ばれている九把刀の一册。といっても西尾維新もマトモに讀んでいない自分のようなロートルのキワモノマニアがここで取り上げるのも何なんですけど、非常に素晴らしい作品だったので彼の殺手シリーズの第一作「殺手、登峰造極的畫」を今回は紹介したいと思います。
九把刀の作品の中で何か一册、といっても恋愛小説あり、武侠小説あり、伝奇小説らしきものもありと、とにかく多彩な作風を持っている作家でありまして、手を出すにしてもいったいどれから取りかかったものかと迷ってしまったのですけど、ミステリらしい作品で一番好みに合いそうなものを、ということで今回「殺手」シリーズをゲットしてみた次第です。しかしこれが若者にアピールしそうなキャラ小説的な讀みは勿論のこと、悲哀とロマンティシズムを添えた風格は將に絶品ともいえる物語で、個人的には大いに堪能しました。
本作「殺手、登峰造極的畫」は現在四冊リリースされているシリーズの一册目で、五つの物語から成っている短編集の体裁に、それぞれに一人の殺し屋を配し、その人物の「殺手」としての生き樣を描き出すという結構です。
収録作は、狙撃手ともいえる手腕で獨得の美學の元に仕事をこなす殺し屋鷹の物語「殺手、鷹 陽台上燦爛的華」、最強の殺し屋Gの仕事を活劇風味も添えて描き出した「殺手、G 登峰造極的畫」、中年女性の殺し屋吉思美を悲哀と慟哭溢れる筆致で描き出した傑作「殺手、吉思美 蒐集不幸的天使」、武侠小説の結構によって時代に生きる男達の生き樣を見事に活写した「殺手、角 見識到、很了不起的東西」の全五編。
「殺手、鷹 陽台上燦爛的華」の冒頭、アシモフのロボット三原則を引用しながら、「殺手三大法則」なるものが掲げられ、殺し屋である主人公と依頼主、また殺される標的などとの關係を描き出していくというのが本作に収録された物語のおおよその結構ながら、それぞれの殺し屋のキャラ立ちにも注目でしょう。
「殺手、鷹 陽台上燦爛的華」における鷹はビルの上から標的を狙撃し、その任務を遂行した後、その場所に花を添えるというダンディズムを披露、一方、「殺手、G 登峰造極的畫」に登場する最強の殺し屋Gは至近距離から肝臟を銃で一撃、殺される人間の最後の願いを叶える。そして「殺手、吉思美 蒐集不幸的天使」の主人公である殺し屋、吉思美はそんなGの振る舞いを見下している、――という具合に、各が持っている殺し屋としての美學に絡めて物語が展開されていくという趣向が素晴らしい。
「殺手、鷹 陽台上燦爛的華」は、殺し屋鷹と引っ越してきた娘っ子との關係を軸に展開されていくというもので、この一編はあくまで主人公となる殺し屋と「殺手三大法則」に絡めた殺手のダンディズムによって流れる物語の結構を説明していきます。
本筋は寧ろ次の「殺手、G 登峰造極的畫」からで、ここでは主人公となる殺し屋Gがいかなる人物であるか、とある人物たちの会話によって間接的に語らせながら、まずはGの美學によってトンデモない事態へと陷るエピソードを披露、その後、盲目の娘っ子のコロシを依頼されたGとその標的である彼女二人の物語を描き出していきます。
標的にされた娘っ子は自分のコロシを依頼してきた人物が誰であるかを知っている樣子で、そこへ標的の最後の願いを叶えてあげるというGの美學を絡めて二人の關係の変化を綴っていくとともに、Gに最愛の人を殺された殺し屋の復讐劇という、もう一つの物語を描き出していきます。二人の殺し屋の思惑を對蹠させながら終盤へと流れていく構成もうまく、讀ませます。
しかし個人的にもっとも惹かれたのは「殺手、吉思美 蒐集不幸的天使」で描かれる殺し屋吉思美で、彼女が殺し屋になるに到った逸話や、Gとは對稱的な彼女なりの殺手としての美學を元に、悲哀の物語を見事に描き出した結構は最高です。
金だけでアッサリとコロシを請け負うGのようなやり方もそれはそれで職業としての殺し屋としては一貫しているものながら、この物語の主人公、吉思美はそんなGを輕蔑している。彼女にはしかるべき理由のあるコロシだけを請け負いたいという思いがあるゆえ、その立ち位置は殺し屋というよりは仕置き人とでもいった方がわかりやすいかもしれません。そんな彼女に今回コロシの依頼をしてきたのは學生で、その標的は自分の父親だというのだが――。
ここではこの前にGの物語が置かれているという構成が素晴らしく、これによって吉思美という主人公の一人の人間としての輪郭がより明確になっていて、それがまた今回のコロシの依頼とその悲哀の結末へと繋がっていく展開も巧みです。彼女の場合、銃は用いずに必ず刺殺というダンディズムがあって、その理由も作中でGとの対比によって語られ、またこの足枷がどのように今回のコロシを行うのかという謎を提示するともとに、後半のサスペンスを盛り上げていくところにも機能しています。
殺手鷹が娘っ子との交流の中でかいま見せる人間的な一面をクローズアップさせて物語を展開させた「殺手、鷹 陽台上燦爛的華」と、標的である娘っ子との出會いによって最強の殺し屋Gのキャラを際だたせた「殺手、G 登峰造極的畫」の二編とその方向性は異なり、冒頭からGとは対照的な人物として描かれている「殺手、吉思美 蒐集不幸的天使」の場合、その殺手としての美學を軸にして、殺し屋吉思美と日常生活の中に生きる普通の女性Ramyという二面を行き来する彼女の生き樣を活写しているところに注目でしょう。
最後の「殺手、角 見識到、很了不起的東西」に関しては、物語の舞台が秦、燕の時代の話であること、さらにはタイトルに添えられている殺手、角を敢えて時代の傍觀者的な立ち位置に据えながら、歴史に翻弄される男たちを描き出しているところが前の三編とは大きくその風格を異にします。
これはもう純粹に武侠小説として讀んでしまった方が愉しめるのではないかという気がするものの、それでも作中で殺手、角との対比によって語られるある人物の語る「殺手」と「劍客」との違いを物語に通底するテーマとして掲げながら、角が最後にはタイトルにもなっている「殺手」から「劍客」へと「覺醒」するという結構は、この殺手シリーズの中でこそ強い輝きを放つ一編という見方も出來るでしょう。
泣き、という点ではこの「殺手、角 見識到、很了不起的東西」がピカ一で、最後に角が口にする台詞、さらにはそこに到るまでに彼の好敵手であった人物の言葉を回想していくシーンではもう涙が止まらないという、――まあ、確かに日本でいえば時代劇としてもベタに過ぎる展開ながら、將に堂々たる風格を持った逸品です。
西尾維新をマトモに讀んでいない自分が言うのも何ですけど、「殺手、角 見識到、很了不起的東西」や「殺手、吉思美 蒐集不幸的天使」に横溢するロマンティシズムと悲哀、そして「殺手、鷹 陽台上燦爛的華」や「殺手、G 登峰造極的畫」に描かれる人間関係の機微など、個人的には西尾維新というよりは乙一に近いのではないかな、という印象を持ちましたよ。台湾でも人氣があるというのも大いに納得で、將に一流の小説の風格を持っていると思います。
「台湾の西尾維新」というのであれば、自分のような六十年代生まれのロートルよりも、ライトノベルやYA!世代の方が取り上げた方が説得力があるのでは、なんて考えてしまうものの、今しばらくこの作者の作品を追いかけてみたいと思います。