「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ ! 」のトンデモネタでメフィストデビューした深水氏の第二作。まずタイトルからして地味というか、一昔も二昔も前の推理小説をイメージさせるものながら、まさに深水黎一郎という本格ミステリ作家に期待していた作風を大展開させた一編で、個人的には大いに堪能しました。
物語は畫廊の社長が自宅豪邸の一室で刺殺體となって發見される、果たして犯人は、――という話、と書いてしまうと、ジャケ帶にある「呪われた芸術家たちの汚れなき魂が招く不可能犯罪!」とか「芸術論と本格推理をクロスオーバーさせた渾身の一作!」とかいう惹句に比較して、どうにも小粒な印象を持たれてしまうかもしれません。
展開は緩急は抑え気味に、豪邸へとやってきた刑事を中心とした地味な捜査が續き、そこへガイシャの手になる芸術論が挿入されるという結構で、このあたりの淡々とした展開が深水ミステリ。
実際のところ、その技巧は「ウルチモ」を彷彿とさせる細やかさで、これがまた讀んでいる間にはこの作者の企みにはマッタク気がつかないというところが秀逸です。「ウルチモ」では超能力のパートと作家の場面がこれまた淡々と進められ、最後にはその一方が大胆に過ぎる伏線であることが明らかにされるという構成でしたが、本作でも刑事の視点からなる事件のパートと、芸術論が謎解きの段階で「クロスオーバー」するという大仕掛けでありまして、超能力などといううキワモノに頼らず、エコール・ド・パリに画廊社長のガイシャというフウに、挿入される芸術論と地續きに二つのパートを纏めたことがより大胆な伏線として機能しているところも素晴らしい。
後半には「読者への挑戦状」まで添えてみせるというベタっぷりで、作者曰く「読者は事件の全真相を当てる必要はない。曉宏之を死に至らしめた犯人は誰なのか、また現場の密室はどのように作られたものなのか、その二つを当てれば充分である」とあるものの、実はここにも本作に込められた驚愕の真相を讀者に悟られないための仕掛けが張り巡らされているという周到ぶりで、これには完全にやられてしまいました。
ただ、中には作者がこの挑戦状で述べている通りに、「曉宏之を死に至らしめた犯人は誰なのか、また現場の密室はどのように作られたものなのか、その二つを当て」ただけで滿足して、フツーの地味なミステリじゃん、なんて感想を抱かれてしまう方がいるやもしれず、そのあたりがやや心配、というか、それでは作者の奸計にハマったまま本を閉じてしまっている譯で、このあたりについて少しばかり述べてみたいと思います。
以下はかなりネタバレ氣味なので、先入觀なく本作に取りかかりたい方はスルーしていだたければと。
本作で実際に描かれているのは「有名画廊の社長が密室で殺される」という、本格ミステリではいかにもベタな事件です。さらに讀者への挑戦状の中で作者が推理を促しているのも、「曉宏之を死に至らしめた犯人は誰なのか、また現場の密室はどのように作られたものなのか、その二」な譯ですが、ここまで本格ミステリのベタな趣向を前面に押し出しながら作者が本当に隱しているものを果たして見拔くことが出來るかどうか、――本作最大の趣向はここにあると思うのですが如何でしょう。
というのも、本作ではこの密室事件の背後である大きな事件が進行しており、作者はそれを讀者に悟らせないよう、上に述べたようにベタな「密室殺人」を配してこの事件を刑事の視点から描き出すとともに、最後にはダメ押しとばかりに「読者への挑戦状」の中でこの密室殺人事件の犯人をその犯行方法を指摘して御覧、と誘導してみせます。
密室殺人事件の「犯人」とその犯行方法が明かされた刹那、この密室殺人そのものが「犯人」の「計畫」と「意志」から大きく離れた樣態をなしていたことが讀者の前に提示され、まさにそこから、裏に隱されていた、本作で語られるべきだった本当の事件が立ち上ってくるという結構の巧みさ、――ここは本作の大きな見所の一つでしょう。
さらには、この本当の事件の伏線は、その「犯行方法」から「犯人像」までのすべてが作中に引用されていた芸術論の中に仕込まれていたという大胆さに注目で、「ウルチモ」では超能力というトンデモネタと作家のパートの風格の乖離が逆に讀者の先讀みを許してしまった側面もあった譯ですけども、本作では事件の場面で再三引き合いに出されるエコール・ド・パリの作家たちの來歴と、引用される芸術論が違和感なく並べられているがゆえに、密室殺人事件という本格ミステリとしては表の事件の背後で進行していた、真に描かれるべき事件を隱蔽してしまっています。
この表の事件と裏の事件を照応してみれば、作者が裏の事件を隱すために樣々なミスリードを凝らしているところにも気がつける筈で、密室殺人イコール、犯人の完璧な計畫の元に完遂された犯行、という圖式を期待していた原理主義的な讀みは、探偵の推理によって完全に覆されてしまいます。この後に探偵が繪解きをしてみせた密室殺人の真相は將に作中で引用されていたエコール・ド・パリの作家たちのように「一人一派と言えるほど、それぞれがあまりに大きく異なっている」登場人物たちが各人の思惑によって動いていたという真相です。
密室殺人に讀者への挑戦状という、今にすればあまりにベタな趣向を添えながら、その実、本作において表の事件が明らかにされた後に開示される事件の樣態と裏の事件の真相は現代の本格の典型ともいえる風格を持っているところもいい。
裏の事件が存在することを讀者に悟らせない、というのが本作における最大の仕掛けな譯ですが、刑事の視点から密室殺人を捜査するというベタな展開が、讀者を誤導するための效果を発揮していることは勿論なのですけど、上にも述べた通り、本作の中心的な謎を密室殺人の「犯人」とその「犯行方法」に限定している讀者への挑戦状の仕掛けにも着目するべきで、本來解かれるべき裏の事件と謎、――例えばガイシャの病氣や、男の死――は、この讀者への挑戦状の企みによって完全に後景へと退いてしまいます。
このあたりの伏線と誤導を驅使した技法は見事で、ネタを明かしながらも同樣の仕掛けによって背後に進行する事件を隱してみせる巧みさは「ウルチモ」以上だと思います。さらには本当の事件が探偵の口から語られた刹那に、登場人物たちの思惑と「犯人」の悲哀が語られ、作中で引用されていた被害者の芸術論が空疎なものへと轉じるとともに、エコール・ド・パリの芸術家たちに対する視点の中に隱されていた酷薄さが立ち上ってくるという結構の見事さ、――このあたりをごくアッサリと流してしまったところがやや殘念といえば殘念なのですけど、本格ミステリの技巧によって人間の殘酷さと悲劇を描き出しているという点も含めて、まさに本作は現代本格の一册といえるのではないでしょうか。
作者の言葉通りに密室殺人の犯人と犯行方法だけを当てて、その地味さにボンヤリとした印象しか持てない方は、まだまだ作者の手の内で踊らされたままともいえる譯で、裏の事件を隠しおおせた作者の奸計を見拔いてこそ、真の讀者への挑戦に勝利したともいえる本作は、密室殺人を取り上げつつもそのひねくれぶりはやはりメフィスト作家、本作も一筋繩ではいかない作品といえるかもしれません。
「ウルチモ」を讀んで、作者の眞髓はメフィストらしいトンデモなく、本格ミステリの技巧を精緻に操る業師ぶりにあり、と感じた方には大いにオススメしたいと思います。プロローグに込められたエコール・ド・パリと本格ミステリの照応など、かなり批評的な讀みも出來る逸品ながら、メフィストらしいハジケっぷりを期待するとアレだし、密室が三度のメシよりも好きな本格原理主義者だと作者の術中に嵌められたまま讀了して終わり、ということになってしまうやもしれず、そのあたりがチと心配でもあるのですけど、如何でしょう。