傑作「サクリファイス」の續編。巷の評価をざっと見渡すと「小説としては面白いケド、ミステリとしては……」みたいな感想が結構あったので、どんなものかと思っていたのですけれど、「サクリファイス」と対比することで見えてくる深みなど、個人的にはミステリとしても堪能しました。
物語は、語り手のチカがいよいよツール・ド・フランスに出場することに。しかし晴れやかな舞台デビューはチーム存続の危機によって一転、中盤からはある疑惑も浮上していよいよ事件が発生して、――という話。
「サクリファイス」は前半から、過去のある事件の真相は何なのかという謎が提示され、それを後段で発生する事件と連関させることで、絶妙な誤導を生み出していたのですが、本作では謎らしい謎があからさまに語られることなく、レースの模樣が鮮やかに描き出されていくという展開を見せます。
もっとも最初からいきなりチカのチームはとある事情で存続不可能、というような暗い話が出てきたり、それによってチームには不信感が募ったりと色々なハプニングが発生するわけで、レースの実況だけをスリリングに活写するというような、ストレートな物語ではありません。
チームに暗い空気が漂うなか、とある事情をきっかけにある人物に焦点が当てられていくのですが、「サクリファイス」では、過去の事件というあからさまな謎がある人物の疑惑へと焦点を当てていくという明快な結構であったのに比較すると、本作ではまずそうした事件らしい事件が描かれないために、推理によって解体される謎も何もないジャン、とストレートに読み進めていけばそうなる譯ですが、そもそも現代本格においては、謎の見せ方もまた読者の心理を操作するためには十分に留意すべき事柄であるべきでしょう。
そうして見ていくと、後段に浮上してくる疑惑をきっかけに登場人物の一人に焦点が当てられていくという展開はよくよく見れば、「サクリファイス」における「過去の事件」を「ある疑惑」へと置き換えた結構にも気がつき、同時にこの「疑惑」は「サクリファイス」においては事件の重要な構成要素であったことにも思い至ります。
そして「サクリファイス」における「過去の事件」がある登場人物の印象を誤導させるための仕掛けになっていたように、本作でもまたこの「疑惑」は、この後に起きる人死にの真相を錯誤させるために機能する、――というふうに、本格ミステリとしての結構を見ると、本作は「サクリファイス」とは双生児のような關係になるのではないか、というふうにも感じられます。
ただ、「サクリファイス」では語り手のアシストという役割が事件の眞相開示によって大きな構図の転倒を引き起こすという仕掛けに比較して、本作ではそうした転倒は最後の最後にややあっさりと語るにとどめています。「呪い」という言葉によって暗示されるものを、語り手と今回の事件の渦中にいた人物が共有することによって、次作の布石としているようにも見えるわけですが、この「呪い」に関していえば、語り手は騙される方であったのに対して、本作で「呪い」を背負うことになった人物は騙す側に立っていたわけで、そうした意味でこの「呪い」はより深刻。
このようにして語り手と本作の悲劇の中心人物の二人を本格ミステリ的な仕掛けを軸に対置することで見えてくる構図は、やはりミステリとしても、そして本格ミステリによって描かれる人間ドラマとしても十分に重たいものだと個人的には思えるのですが、それでもかなりの読者が本作にミステリとしては薄い、軽いという印象を抱いてしまうのは、「サクリファイス」に比較して謎の不在、探偵の不在といった結構ゆえかと思うのですが、いかがでしょう。
ただ、もう少し穿った見方をすれば、敢えてミステリ的な仕掛けと構図の開示を前面に押し出すことなく、レースの実況を活写することで、ミステリだけではない、広い読者層へのアピールを企図したものと考えることもできるわけで、個人的にはミステリとしては薄いかナーという本作の評価が、続編となる次作ではどのような変化を見せるのか、……なんてことは実のところアンマリ興味がなくて(爆)、チカが次にどんな活躍を見せてくれるのか、そちらの方に期待してしまうのでありました。