ちょっと時間が空いてしまいましたが、北京大学での講演内容の続きです。一応、講演はこれで終わり。このあと、質問コーナーがあったりするのですが、これについては、また時間があった時に、先のイベントなどのものと合わせてテープ起こしをしたいと考えています。
写真は、講演の最後に行われた記念撮影。では、さっそく講演の続きにいきたいと思います。
これはおそらくこうした作風を本道から区別して、脇に寄せることを存外に主張したものと思われます。欧米流の探偵小説の本道とこれらは、異なっているという懸念や不安があったゆえと思われます。そして見せ物小屋とかお化け屋敷発想でない、欧米型の理知的探偵小説を本格の探偵小説と読んで中央に置くことを提案しました。すなわち甲賀は探偵小説という文芸ジャンルを、本来的には推理の論理性を目指す知的な小説群としてとらえて、一定水準以上に高度な論理性を有した作例を本格のものと呼んで、ジャンル振興のためにたたえる慣習をスタートさせたということができます。日本において探偵小説が文学勢より一段低く見られる理由はここにもあるのです。探偵小説の作家たちが、江戸川乱歩が開発したお化け屋敷的発想の通俗性にまるで疑問を持たなく見えたこと、そして前例に大挙して寄り掛かって無思慮に模倣を繰り返したことにあります。
こうした創作の態度は明らかに怠惰で、創造性が乏しいものでした。甲賀三郎の発案した本格という発想は、大海を隔てた日本人の、欧米の栄光を追尾せんとする態度であって、欧米の凌駕などはかけらも想像されてはいませんでした。しかし黄金期を遙かな過去にした今、英米の本格ものは姿を消しかかり、一方、本格の語とともに引き継いだ日本ではこのジャンルの優勢というものが続いて、今日にいたるも失速というまでの衰えは見せていません。そうであるならば、ここには考慮すべき重大事が潜んでいるといえます。
本格という語によって行った日本人のジャンル理解に、より深い提言性があったということができます。ポー創案の探偵小説は、すなわち日本において新たなスタートを切ったわけです。甲賀は館などの閉鎖限定的な空間内で終始することをとりたてて重用はしませんでした。また数十に及ぶヴァン・ダインのきめ細かな縛りにも拘泥せず、見せ物小屋的なセンスではなく、理知的な推理を軸とする小説であれ、という程度の鷹揚な希望を本格という一語に託して述べたわけです。
ヴァン・ダインの探偵小説振興の方法は、どこかイギリス的で、いわば外面から行為を規制していく行儀論に似た方法であるということができます。この発想は今日の007映画に見るように、全体をパターン化していきます。一方、甲賀のものは論理の背骨が最深部に必要だとする、内側からの観察発想になっていました。甲賀発想の本格という僅か一語による鼓舞の方が、本格創作の文化の振興と延命には有効であったことをその後の歴史は示しています。
この点もまた決定的に重要であると考えています。本格は日本を発して台湾に受け継がれ、中国に伝播し、韓国に及んで、広大なアジア地域に今、広がりを見せています。これを科学の時代とともに、アメリカに発生した新文学が150年の時間のうちに方法論が整備され、華文や日本語などアジア文化を中心軸として第二の発展を引き寄せようとしていると、こういうふうに受け止めても大きな誤りではないと思います。
日本にも新本格というブームという、アメリカに七十年遅れたヴァン・ダイン主義の復権ともいうべき現象がありました。この時代が本格のもっとも美味な部分を探偵小説の読者にアピールした功績は、大きものがあります。しかし今日はこれもやんで、館志向のコード型という創作メソッドも永続的なものではなかったということを、我々は再度学ぶに到りました。アジア本格の時代の黎明という新たな時代の初日に立った今、我々はポーのモルグ街の原点に再び、しかも正しく立つことを求められています。
本格という日本語は今日の視点からは、ヴァン・ダインの提言を十分に有効なものとして認めながら、使命はいったん棚上げにして、ポー流の原点に立ち戻ろうとするものに今は聞こえています。徹底して論理的であろうとする学究的な態度は、モルグ街においてこそもっとも顕著に書かれているからです。モルグ街の最重要な要素は、時代の最新科学を幽霊譚に出会わせた慧眼にあります。幽霊譚がいわゆるミステリであり、最新科学の成果およびそれを用いた科学者の態度が本格の語を説明しています。つまり本格のミステリとはこうした二種の異物の出逢いとそれによって生じた融合、いわば遺伝子レベルの結合によって生まれたハイブリットの文学ということができます。ヴァン・ダイン以降の本格ミステリは、事件の真相探求を野球のようにゲームとして完成させるために、指紋や血液型、異物収拾など十九世紀の科学捜査の方法以上の新しい方法を作中に導入することをいやがってきました。
アジア本格の時代という来るべき新時代において、探偵小説は野球に似た推理のゲームであった時代は終わらせてもかまわないと考えています。現在のミステリー発想、また捜査側の発想も、脳科学、免疫学、DNA発想を基本とした発生工学、遺伝子工学、バーチャル・テクノロジーの領域に踏み込みつつあるからです。アジア本格とは新世紀の新しい文学です。そうなら最新科学情報の作中への導入を躊躇う理由はなくなり、英米の探偵小説のように、真相探求の手段をモルグ街の時代で凍結させ、アンタッチャブルなものとする必要もなくなります。むしろそうしてはならず、最新科学の導入は、最重要の優先課題ともなりえます。二十一世紀のモルグ街は、新世紀の科学者として探偵を必要とするからです。ポーのモルグ街は十九世紀の科学者とともに生まれ落ちました。二十一世紀の今もまた同様であってしかるべきです。原点に即したこういう創作方法を、私は二十一世紀本格と呼んでいますが、アジア本格はゆえに二十一世紀本格でもあってほしいと、今期待しています。
英米から日本を経由した本格ミステリーについて述べてきましたが、一方西南アジアには日本の提案とはまったく無縁に、英米の影響のみで探偵小説を発展させてきた地域もあります。英国から地球を東方向に回ったインドです。二十一世紀の今、こうした東西方向からの旅を終えて、再開の前夜に立ってもいます。そんなおりに台北に現れた島田賞は、受賞作を台湾、中国、タイランド、日本の四カ国で翻訳刊行します。そして今後、もしも発展が得られる幸運があるならば、受賞作の刊行領域を英米の直接影響圏に拡げることも目標にしています。今回受賞作となった『虚擬街頭漂流記』は、ポーのモルグ街の殺人事件に似て、二十一世紀の最新科学情報を前期の幽霊譚と出会わせたものと解することもできます。
ここでも探偵物語とSFとの垣根とが取り払われて、遺伝子結合が行われています。そしてヴァーチャル科学を描写する力、これに乗せた人間たちの深い情愛を表現する力、この双方をこの作者、寵物先生もまた持っていました。したがってポー型の原点回帰を志向する二十一世紀本格という考え方を提唱してきた私個人の期待に、この作品はよく応えるものでした。賞立ち上げ当時の目論見通り、こうした最新のモルグ街を第一回目の受賞作として選ぶことができて、新世紀のアジアに出現した当賞は、本格ルネッサンスの第一歩を理想的に踏み出せたと、今感じています。この賞は今後も続きますので、ここに集まっていただいた皆さんにも、近い将来、是非力作を寄せてほしいものと願っています(拍手)。