京極氏の傑作を典型に先鋭的な雰囲気の感じられた「1」に比較すると、今回はややノーマルな作品が多く、一言で「体験談」といってもいいような軽い話が多いところが本作の特徴といえるかもしれません。個人的には「1」の方がトンガっていて好みだったりする譯ですけれど、むしろ本作の方が一般的な支持を得られるのではないでしょうか。
収録作は、東氏のおどろおどろしい序文に相反して優しい癒やしを添えた結末が心地よい加門七海「いきよう」、「事実」の連なりから怪談実話らしい「違和」の物語が語られる結構が秀逸な福澤徹三「別れのきざし」、「怖い話」を遙かに凌ぐ壮絶な怪異譚を揃えた平山夢明「お化くず」。
サイコ風味も交えたイヤ幽霊のビジュアルを際立たせた怖い話、木原浩勝「白いカーテン」、郷愁抒情を交えた怪異譚が語り手のリアルの中で美しい幕引きを引き立てる傑作、小池壮彦「浜辺の歌」、志麻子姐にしてはリアルな恐ろしさもやや控えめながら姐の霊感能力の曰くがユーモアを誘う「昨日の夢と今日の嘘」、怪談というよりは幻想譚的な風格の強い山野田理夫「緑の館」など全十一編。
上にも述べた通り、個人的には「1」の方がツボだったゆえ、例えば舞妓はんのはんなりとした優しい怪談を手堅くまとめた森山東氏の「お茶屋怪談」と、中川氏の「怪談BAR2」など趣向がかぶっているところなども、一冊の競作集として見た場合にちょっとアレで、そのあたりも「1」の方がインパクトがあったなア、……なんて感じてしまった所以だったりする譯ですが、――とはいえ、個人的には平山氏の「お化くず」と小池氏の「浜辺の歌」だけで十分モトは取れたような気がします。
平山氏の「お化くず」は「くず」とある通りに怪談としてはやや中途半端なものと謙遜してみせるものの、その衝撃は最近の「怖い話」などに比較すればその異常な話の強度が尋常ではありません。
何だかよく判らない、スッキリしない怪異という点では「新耳袋」などを彷彿とさせる風格で、個人的に一番ツボだったのは「忘れ忘れ」。二頁ばかりの非常に短い一編ながら、意識の断絶と怪異の融合が一息に描かれた話に、例によって平山怪談ならではの、譯の判らない呪文めいた台詞を添えたインパクトが強烈です。「目隈さん」も、怪異を体験した語り手とその結果として生じた現象に見られる因果の不条理がイヤーなカンジを引き起こす一編で、こうしたどうにも落ち着かない読後感をもたらす怪異譚が好みの自分としては、福澤氏の「別れのきざし」もなかなか愉しめた一編でした。
偶然か、あるいは何かしらの因果が隠されているのかというふしぎな話をまず「事実」として語りつつ、そこから「にもかかわらず、個人的には異常なものを感じる」と福澤氏が語る怪談が最後に開陳されるという結構がいい。冒頭に「事実」として語られた逸話の中に見られる「法則」がこの最後の話では奇妙な捻れを起こしており、それが「異常なもの」を讀後に醸し出すというもので、そうした座りの悪さがオーソドックスな怪談としては片付けられない凄みを魅せているところが素晴らしい。
収録作中、一番のお気に入りは、小池壮彦氏の「浜辺の歌」で、背景を語らずにある奇妙なものの曰くから、とある場所での怪異が繙かれていくという結構が、怪談というよりは上質な幻想小説のような雰囲気でありまして、件の怪異をもたらしていた過去の事件が次第に明らかにされていく過程で、終盤に奇妙なものと語り手の現実が重ねられていく展開もいい。幻想味溢れる息の長い文体もこの雰囲気づくりに寄与しており、一般的にイメージできる怪談実話というよりは幻想小説的な風格が際立っていながら、何ともいえない余韻を残します。
加門氏の「いきよう」は、確かにタイトルにも絡めた幽霊の台詞が怖さを引き立てているものの、最後の癒やしによってそうした怖さが浄化されるという結構の体験談。しかし本作で語られる憑いてきた幽霊の処理方法と、立原氏が「ひとり百物語 怪談実話集」の中で語っていた「デパートに捨ててくる」というものを比べて思わず苦笑してしまいました。
先鋭的な作風が際立った「1」に比較すると、やさしめのものが多く、怪談ジャンキーには物足りないのではないかなア、なんて気がするものの、一般的な受けを期待できるのはこちらの方、のような気がします。