怪作。教義に数学的要素をブチ込んだ新興宗教が無人島に理想郷を築こうと試みるものの、ある日奇妙な集団失踪を遂げてしまう。それから時を経て、友人の死に疑問を持ったフォトジャーナリストで色気もナシのヒロインが、廢虚ブームに乗って件の無人島にたどり着くと、人骨や意味ありげなアイテムを発見するや、彼女の周圍には奇妙なことが起こりだして、――という話。
背後に公安警察の影や、死んでいるとおぼしき教祖がもしかしたら生きているのカモ、なんてかんじで前半からかなり不穩な感じでサスペンスを盛り上げつつ物語が進んでいきます。奇妙な新興宗教の教義や謎の集團失踪など、山田正紀のミステリみたいな雰囲気ながら、かといって読み進めていくにつれて幻想と現実の境界が搖らいでいくような風格ではなく、あくまでヒロインとヒョンなことから知り合うことになったオタクっぽい數学マニアの奧手男と色気ナシ女の二人が實直地道な調査で件の新興宗教の謎を解いていくという物語です。
しかし捜査から推理のプロセスは地に足の着いたものながら、後半に進むにつれて明らかにされていく「現実」は完全にアッチの世界。ミステリ的な趣向でいえば、「狂人の論理」が大爆発といったかんじで、そこに数学的暗合を絡めて中盤から明らかにされていく教義の本質はミステリというよりはもうホラーといってもいいくらいのおぞましさです。
この教義が歪んだ殺人連鎖を引き起こしているという推測が途中からなされていくのですけど、この連鎖を支えている「狂人の論理」が抜群に素晴らしい。ある行為の定義をまったく別のものへとすり替えて、そこからこの連鎖をあくまで論理的にくみ上げていくのですけど、その過程に教団の教義によってあるものが数値化されていくという歪んだ狂氣が恐ろしい。
この目眩のするような狂氣の感覚は京極氏の「陰摩羅鬼の瑕」を彷彿とさせるものの、「陰摩羅鬼」があるものの状態の「意味」の歪みが明かされる一瞬に注力した物語だとすると、本作にそうした外連味は薄く、黒幕や操りの首謀者などが揃ったところで推理によって明かされていく真相はタイトルにもある通りに数学的なプロセスを重視した見せ方ゆえ、世界がぐるりとひっくり返るような衝撃度はやや希薄です。
しかしながら個人的には、ある行為の意味づけを現実世界のものとはまったく異なるものへと定義したところを起点に、件の殺人連鎖が何故行われなければいけないのか、そして何故ヒロインがこの事件に巻きこまれたのか、というホワイの部分が明かされていく見せ場だけでも二重丸の出來映えで、教祖が生きているんだか死んでいるんだか、そうした細かいところはどうでもいいや、となってしまうくらいに本作の謎を支える「狂人の論理」は魅力的です。
本格ミステリ的な見所としては、教祖の骨が発見されたというのに、その一方で教祖が生きているとしか思えないという矛盾した状況がどうやって解かれるのか、というあたりと、教義をあらわした呪文めく暗合の解読がキモで、暗合に関してはある意味シンプルな気付きを基底にしたものながら、その暗合が時間を隔ててあることを引き起こすためのアレだったというところが面白い。
あと、うまいと思ったのが、教祖の生死に絡めてなど、一つ一つの謎に細やかなミスリードを鏤めているところでありまして、たとえば教祖が生前に罹っていたおぼしき病によって生死の矛盾を引き起こしていたあるものから読者の注意を逸らしてみせるところなど、読者を誤導させる「事実」を点在させていくところも、強く押し出されているサスペンスの風格に乘せられ語られていくゆえ、うまく騙されてしまいます。
教祖を失ったあとの新興宗教の暴走や影で祕かに進行しつつある陰謀、さらにはヒロインの運命がまったく知らないところで操られていく展開など、「数学的帰納」というタイトルからイメージしてしまうロジック地獄は極力控えめにして、サスペンスを前面に押し出した物語は読みやすく、要所要所に出てくる數学ネタも頭の体操みたいなものなので、そんなに構えて読まなくても十二分に愉しめるのではないでしょうか。
それと最近話題になった冤罪事件を想起させるとあるものへの扱いと警察捜査との関係や、ネトゲ廢人など、この小説が書かれているときにはそれほどクローズアップされていなかったであろうものが、今読むと、現実世界の事柄をどうしても重ねて見てしまうという奇妙な一致が何だか非常に不氣味ながら、この幕引きで語られているある事実がリアルと異なることを知って、現実世界の未来はこの小説のようには進まないんだろうなア、と一安心。
未来へと繼承された狂氣がさらに先鋭化されてトンデモない事態が起こりつつあるという不穩に過ぎる幕引きも本作にふさわしく、このラストは何だか本格ミステリというよりはSFの範疇でとらえたほうがいいくらいのハジケっぷり。本格としての細やかな誤導を凝らした技巧や、暗合を鏤めた迷宮めく事件の構図、さらには一つの言葉の意味をすり替えるだけでこの狂氣の世界を構築してみせた奇想など見所も多く、フツーの本格ミステリとして、というよりは狂人の論理の魅力を前面に押し出した怪作として読むのが吉、のような気がします。