以前取り上げた作品を再讀した際にあらためてエントリをつくることはないのですけども、今回のノベルズ版は巻末に道尾氏との「ネタばらしフリーの巻末袋とじ対談」がついているゆえ、あらためて取り上げてみたいと思います。
「対談」とありつつも、実際のところは道尾氏が本作をどのように讀んだのかという氏の「讀み」の技法を知ることができるところがいい。綾辻ファンのみならず、道尾ミステリのファンであれば、道尾ミステリの風格は氏がミステリ作品をどのように讀むことによって生まれてきたのか、――そのヒントになりそうな発言が見られるところにも注目でしょう。
綾辻氏の発言から引用すると、
「発表後、「これはシリーズの番外編だろう」とか「手を抜いた?」とか、そんな読者の声がちらほらと聞こえてきたりもして……これは正直なところ、作者としてはいささか不本意だったんです」
という本作に、道尾氏は「これはひょっとして『館』シリーズの最高傑作では?」という感想を持たれたとのこと。さすればもうこれだけでも世間のミステリマニアの「讀み」と道尾氏の「讀み」が大きく異なるであろうことは推察出來る譯ですけども、上の綾辻氏の言葉を受けて道尾氏曰く、
「なるほど。でも、そう感じる読者がいるというのはよく分かります。ロジックとかトリック、フェアやアンフェアといった言葉がみっちり頭の中に詰まった状態で読むと、ぜんぜん違う読み方になってしまうでしょうから。この作品はそういった概念を抜きにして、丸腰で挑むべきなんでしょうね」
こうした道尾氏の讀みからうかがえるのが、この作品も含めてミステリの「眞相」と口にする時のその「眞相」の意味合いでありまして、道尾ミステリの愛讀者であればその物語における眞相というのが、事件に添えられた「トリック」というよりは、登場人物の隠された内心によって構築された人間ドラマにあることは周知の通り。そこで『館』ものの風格に典型とされる「トリック」志向から一度離れて、道尾ミステリを挑む時と同様のこころみを本作に適用した場合、いったいどのような「眞相」が見えてくるのか、――というあたりについて、道尾氏が本作の引用を行いながらその細やかな技巧について言及しつつ、綾辻氏がそれを受けてさらにその企図について語っていく、……というのがこのネタバレ対談の大凡の内容です。
そういう譯で、この対談に目を通した後、道尾氏の「讀み」を指標にあらためて本編を再讀してみると、語り手の文章は勿論こと、登場人物たちの台詞のひとつひとつに凝らされた言葉の巧みさを堪能出來るような気がするのですが如何でしょう。
とそんなかんじて本作を再讀した印象をネタバレなんで文字反轉しながら書いてみますと、例えば道尾氏が対談の中で言及している「リリカの正体を隠す仕掛け」については、「長さを抑えるのに叙述の順序を入れ替えて」ある構成が非常にうまく作用しているところが秀逸で、これによってまず語り手が第一発見者として「リリカ」を目撃したところを回想するシーンを第一部の冒頭に持ってくることで、讀者が『リリカ』という名前を最初に目にするのがカギ括弧つきのそれであることになる譯ですけども、これがカギ括弧に括られた「リリカ」の名前に抱くであろう違和感を薄めてしまう方向に働いているのでは、と感じたり、また登場人物たちの台詞についても、眞相をすでに知っている再讀だからこそ、その言葉の端々に隠された真意についてあらためて驚くことが出來る譯で、例えば、対談でも道尾氏が言及している印象的な台詞である「密室――だったんだね、この部屋は」という言葉など、この台詞とともに、個人的にはこの台詞の前の、語り手が地の文で口にしている「彼もきっと、ぼくと同じことを考えているにちがいなかった」というところの「同じこと」の意味について色々と考えてしまいました。
この事件の眞相を知らなければ、ここではやはりこの語り手の言葉に續く「密室だった」という意味であろうかと考えてしまうのですけども、登場人物たちの境遇とともにこの後の語り手たちの行動を知るにつれ、このシーンがまったく違った意味を纏って讀者の胸に迫ってくるという、――隅々にまで細やかな意識の行き届いた文章を味わうのも再讀ならではの愉しみでしょう。
あと、道尾氏が触れているこの作品の重層的な結構については初讀時にはアンマリ意識していなかったのですけど、「悪魔の子」という「四枚のカード」があるからこそ、キ印爺のワンマンショーかと思っていた「びっくり館縁起」のアレの最後で爺が発作を起こして「何でこんなことさせるのか」の「こんなこと」も、もしかしたらナイフでグサリグサリとご乱心の動作のことかと思せつつ、実は「悪魔の子」に操られて腹話術を「演じる」行為そのもののことであって、それが最後にはあのコロシへと・壓がっていく伏線になっているのカモ、……とかいうフウに、さりげなくボカした台詞の真意を讀者に委ねる記述の妙がそこかしこに鏤められているところに気がつくにつれ、この作品の凄みにあらためて感心した次第です。
自分のようなボンクラでも、道尾氏の「讀み」を意識しながら再讀をこころみることで、上質な本格ミステリのみが持ち得る再讀の愉悦を愉しむことが出來るのがこの対談最大の魅力ながら、勿論ミステリーランド版を讀み逃した人にもオススメしたいと思います。