石持浅海氏の地雷シリーズ目当てで買ってしまった「ジャーロ」なんですけど、後半に一挙掲載されていた作家評論家の方々の選評もなかかな讀み應えがあったので、ここで簡單乍ら紹介しておきたいと思います。
個人的には今回の「本格ミステリ大賞」は「容疑者X」で決まりだろうと思っていたので実をいえばあまり興味がなかったんですけど、こうして作家評論家の方々が何故にその作品を選んだのか、その理由を一通り讀み通してみると各人のミステリ觀や作品の嗜好が見えてきて面白い。
とはいえ、自分にとっての一番の関心事は、誰が「向日葵の咲かない夏」を推したのかともう、その一點だけでありまして、結論からいってしまうと、この作品に一票を投じたのは、小森、千街、辻村、伯方、藤岡、山田正紀の六氏となります。
この中でもシビれてしまったのはやはり千街氏のコメントでありまして、氏も最初は動機の扱いが連城氏の作品を髣髴とさせる「容疑者X」を推すつもりでいたものの、「向日葵」が候補に選ばれると知るや一轉、
何をおいてもこの作品に票を投じないわけにはいかない。一見不条理な作中世界がある仕掛けのためだけに設定されている点といい、その仕掛けが小説だからこそ可能なものである点といい、真相のヒントがあからさますぎてかえって盲点になってしまう点といい、読者の意識の操作する怜悧な技巧は文句のつけようがない。
とベタ襃め。また既に自身の日記「日々是好日乎」で「向日葵」を絶贊していた藤岡氏も、
ミステリの謎を『設定』の部分にシフトするなんて、凄いことを考えたものだ。『設定』そのものが、実はトリックの根幹を成しているというパターンは、いままでなかったはずだ。それでいて、客観性の欠如、偶然の一致の多発が、これほど気にならない小説もないだろう。
と創作者の側から、この作品の技巧面の素晴らしさを解説してくれているところがいい。また「誰もわたしを倒せない」という傑作短編集をリリースして新作も待ち遠しい伯方雪日氏も「これだけ斬新で特殊な世界観を成立させた力量は賞贊に値する」とこれまた大絶贊。
「容疑者X」と「扉は閉ざされたまま」は買えないという小森氏の文章の中で目にとまったのは、「向日葵」を「美しい幻想小説の味わいある」作品と述べているところでありまして、氏にとつて「美しい幻想小説の味わいのある」ミステリと、「幻想ミステリ」の違いは何なのだろう、などと考えてしまうのでありました。この作品を完璧な幻想ミステリとして讀んだ自分としては、同じく本作を「本格ミステリ味のある幻想小説として味わ」ったというつずみ綾氏にもこのあたりを聞いてみたいところですよ。
千街氏、藤岡氏そして山田氏は自分の予想通り、というか期待通りの結果を出してくれたなあ、というかんじなんですけど、まったくのノーマークだったのが、辻村氏でありまして、これを機会に手にとってみようかなと思いました。
で、見事受賞した「容疑者X」に對しては、皆さん樣々な角度からこの作品を評價しておられるのですけど、昨年末のランキング祭で、この作品を推したばかりに本格推理原理主義者の二階堂氏から批評家として完全ダメ出しをされてしまった黒田氏曰く、
候補作の中から一篇を選ぶ際、僕がもっとも留意するのは、本格ミステリを一册も読んだことがない人に「これが本格ですよ」と薦められるかどうかということだ。
とその釈明とばかりにここでは非常に明快なポリシーを開陳。マニアっぽい作品はこの賞にはふさわしくないと、他のミステリ大賞に比較すればどう見たってマニアっぽい本賞に對して、自説を堂々と述べられています。まあ、個人的にはこういう考えも大いにアリだと思いますけど、こんなことをいっているとまた原理主義者の逆鱗に触れてしまうのでは、大丈夫かなア、なんて心配になってきます。
「容疑者X」を推した作家の中でもっとも心に響いたのは北村薫氏の文章で、一讀して鳥肌がたってしまいました。名文でしょう。これは是非とも皆さんの目で確かめていただきたいと思います。
そのほかでは夏来氏が「向日葵」と「扉」に、共通する「リアルか否かを超えた面白さ」を見たと述べているところが興味深い。もっとも氏の場合、そこから「本格ミステリへの意識と挑戦表明の強さ」を天秤にかけて最終的には「扉」を推した譯ですが、これはこれで十分に納得出來ます。
で、恐らく皆さん、本格推理原理主義者の重鎭であられる二階堂氏が、この短い選評の中で「容疑者X」に關してまたまたどんなハジケたことを言っているんだろう、とそのこと「だけ」に興味津々だろうと思うんですけど、結論からいってしまうと今回は殘念乍ら「容疑者X」については完全にスルー。
この短文の中で杉江氏や福井氏に對して、例によって妙チキリンな捨て台詞の一つやふたつ、ブチかましてくれていないかなあグフグフ、なんてかんじで期待していたんですけど、完全に肩すかしでしたよ。
島田御大の「摩天楼」と柄刀氏の「ゴーレム」について簡單なコメントをするのみで、二階堂氏的には「キミとボク」系で箸にも棒にも引っかからないであろう「向日葵」はこれまたなかったかのように無視を決め込んでいます。まあ、氏の嗜好を鑑みればこれも納得、ですよねえ。
最後にこの選評の中で一番強烈だった方の一文を引用して今日は簡單に締めくくりたいと思います。矢口敦子の以下の文章に大注目ですよ。
「容疑者Xの献身」は全くダメです。
何処がダメなのか、何が氏にとってマズかったのか、その理由を一言も述べることなく完全なダメ出し、「摩天楼」に一票を投じた矢口氏は「ゴーレム」、「扉」、「向日葵」については簡單乍らもコメントを殘しているのに、「容疑者X」に關しては「全くダメ」とバッサリですよ。グダグダと意味不明な文章を羅列して墓穴を掘り続ける原理主義者よりも遙かに強力にして凶惡なその完全否定の超絶手法に、一素人の自分はタジタジとなってしまったのでありました。
こんにちは。
私も今回の選評に大変興味がありますが、まだ入手していませんので、
支配人様のダイジェストは本当ありがたいです。
実は、『容疑者X』は今秋に台湾に訳本を出すことになりました。
訳本の担当編集として、矢口氏の強烈な一言でぎっくりとしちゃいました、
そんなに単刀直入なコメントをはじめて見たんで、
そこまできらいか、すごいとしか言えないですね。(笑)
いろいろな原因(笑)で、私は『容疑者X』が好きなほうですけど、
この2005年の最大な問題作(大げさかな?)は台湾の読者の中に、
どんな議論を引き起こすかと、楽しみにしていますね。(性格悪い~)(爆)
>『設定』そのものが、実はトリックの根幹を成しているというパターンは、いままでなかったはずだ。
この文だけを読むと、そんなことはないだろう、という気がします。例えば「迷路館の殺人」をして、設定がトリックの根幹と無関係、などと言えるでしょうか?
当該作品は未読なのですが。(ついでに言えば「容疑者X」も未読ですが)。これはミステリ評論によくある感情論(つまりは言葉のあや)と受け取るべきでしょうか? それとも深い意味があるのでしょうか?
ご無沙汰しております。
自分も東野作品好きな方ですが、まあ確かに「容疑者Ⅹ」にはいろいろと消化しきれないモノがありましてね…先入観かもしれませんが、「何かしらの賞を狙ってるでしょう」な感じがどうしても払拭できず、なかなか作品の世界には入れなかったのです。「嫌い」まではないんですが、世間ではこんなに評価しているのを見てかなり冷や汗がダラダラと、むしろ矢口氏のコメントを見て少しホッとした、な感じです(みやびさんごめんなさい)
千街氏と北村氏のコメントは気になりますね…なんとかジャーロを一冊買おうか…
みやびさん、こんにちは。
「容疑者X」、もう台湾で飜譯決定ですか。早いですね!
それにしてもおかしいですねえ。本格原理主義者で最近は自作の「人狼城」がようやく台湾で飜譯リリースとなった二階堂氏曰く、「今、台湾では、日本の推理小説――特に、新本格推理――が大人気」だっていうのに、新本格とは明らかに異なる東野氏の作品の方はこうも早く飜譯出版が決定してしまうというのは、いったいどういうことなのかと(爆)。
最近の目の肥えた台湾のミステリファンが「容疑者X」をどう評價するのかは自分も注目したいと思いますよ。ただ個人的には「向日葵」を飜譯してもらいたいと思うのでありました(^^;)。
zeitさん、
藤岡氏がここで設定ではなく、敢えて『設定』とカッコ書きにしているのには勿論理由があります。この作品を讀んだ方が悉く内容について多くを語らない、語れないのも、藤岡氏が述べているように「ミステリの謎を『設定』の部分にシフト」している故で、このあたりはもう讀んで確認してもらうしかありませんかねえ。
既讀者だったら、ここでの藤岡氏のコメントの意図は十分に理解できると思います。という譯で、「深い意味」というよりはこれ以上は多くを語れないので、短いコメントの中では『設定』とカッコ書きで書くしかなかったといったところでしょうか。
elielinさん、
矢口氏のように「全くダメ」というのはアンマリだと思うんですけど、この作品の場合、作者の意図と出版社編集者の意図が微妙にずれていたところが、本格ミステリとして見た場合「不幸」だったかなあ、と思ってます。作者は別に恋愛路線で賣りたかった譯ではなかったのに、編集者側は「純愛」とかいう、昨今の日本の出版界を席捲している珍妙なブームに乘っかって賣りまくった譯で。
自分はやはり連城ファン故、千街氏の考えに非常に近くて、この犯人の動機のキワモノっぷりを堪能したクチです。これ、本格ミステリとして見た場合はオーソドックスな作品だと思うんですよねえ。
まあ、いずれにしろ、これで「容疑者X」が翻訳されれば、二階堂氏がブチ挙げた議論の全貌が台湾のミステリファンに明らかにされる譯で、自分としてはこれによって台湾のミステリ界が二階堂氏の原理主義的言説をどう評價するのか、そちらの方が氣になってしまうのでありました(爆)。
>taipeimonochromeさん
[意図は十分に理解できる]とかそういうレベルの文章を評論として扱う世界と言うのは理解できないですね。読者コメントじゃないんだから。 私が知りたいのは評者の意図なんかではなくて、作者の意図です。読者にテレパシーを送って評論と呼ぶような独りよがりなぞどうでもよいのであって。
私は読んでて頭に来る様な本に金を払うつもりも時間を割く意志もありませんから、プロの仕事と言えないような代物にお金を払って解説記事までupしてくださる方の労力には頭が下がると共に、よく我慢できるなあといつも思います。まあ「容疑者X」は文庫になったら読もうとは思っています。当該の「向日葵の咲かない夏」という作品も文庫化して書店で並んだら買うでしょう。
>出版社編集者の意図が微妙にずれていたところ
なるほど、あのブームか!最初から「恋愛」を念頭に置いて読むと、どうしてもおかしく感じる原因はこれですか!これで釈然できますね。確かに本格ミステリ作品として見た場合ある意味「不幸」かも知れませんが、でもこのような形でいろんな人に読ませることは、「作品」としては幸せかも(mixiのコミュの参加者は9000人を突破しましたし)
>台湾のミステリ界が二階堂氏の原理主義的言説をどう評價するのか
台湾では確かに島崎さんのような経験も実力もある評論家がいますが、大半zeitさんの言う「読者にテレパシーを送って評論と呼ぶような独りよがり」レベルの「評論」しか書けないんです…ミステリに限らず漫画やアニメもそうですが、台湾では流行るんですが文化としてはまた定着していない状況でもあるし、実作経験が乏しく(普遍化していない)、印象や断片の情報で構成する脳内バーチャル理論や脳内バーチャル業界だけで語る人はかなり多いです。えらい長文なのに蓋開けてみれば(自覚症状のない)ただの感想や妄想…なので「台湾ミステリ発、的の射る評価」は、恥ずかしいですが、はっきり言って生じ難いです。まあ、台湾のミステリ界隈では、ちゃんとルーツを遡って考える人はそんなに少ないとも言えない、そこは漫画アニメと比べればまだ救いのあるところでしょう。
日本のように、互いに何かを基づいて「論争」を起こせるとかは、またまた難しいと思います(ですので今度の「容疑者Ⅹにめぐる仁義なき戦い」を見てうらやましく思います)もう少し時間が必要じゃないかなと思います。
そもそも「本格」について論ずることも、かなり禁忌になっているような気がしますが…そんなに自国作品が少ないのに、論じて戦う余地はいくらでもあるはずなのに…
本題に戻しますが、実際「容疑者Ⅹ」に関し、台湾は現在みやびさんのブログ以外ほとんど情報がなく、日本では論争が起きたこと自体もさほど論じられていなさそう…言葉の壁はやはり厚いです。二階堂氏の原理主義的言説を評価するのは、誰かその始末を中国語にして広めていかないと、まず無理でしょう。さもなくば、たぶん「容疑者Ⅹ」の解説文とかにこの論争のことが書かれ、そこで紹介した日本ミステリ界の評価は、概ね台湾ミステリ界の評価になるでしょう。
悲観過ぎる考え方でしょうか…(悩)
elielinさん、
「容疑者X」に關してはまあ、これによって普通の本讀みの方々がミステリに関心を持ってくれるきっかけになれば良いのでしょうけど、本格ミステリ作家が直木賞を受賞、ということでいえば、一時の連城ブームと、ミステリ界における現在の連城氏の評價を見てい る自分としては、ちょっと複雜な心境、……ですかねえ(爆)。
まあ、連城氏はミステリ的ではない作品で、そして東野氏に關しては本格ミステリで受賞、とこのあたりが大きく異なるので比較するべきではないのかもしれませんけどね。
多彩な作風、ミステリとしての技の冴え、ミステリでもないものも一級品として仕上げてしまう技量とセンス、そしてイケメン作家、と似ている要素が多い為にどうにも比べてしまうんですよねえ、自分としては。
台湾の評論に關しては、自分の認識はちょっと違っていて、やはりプロと我々アマチュアも含めて、島崎御大がいわれているように、「「論、評、談」を混同すべではないと思うんですよ。で、台湾ではそういう「レベルの「評論」しか書けない」、乃ち「論、評」に値するものがない、のではなくて、そもそもが「論、評」というものがないのではないか。
「「論、評、談」的寫作形式不同」な譯で、讀み手の我々もこれらを混同するべきではないと思うし、台湾の現状を見てみると、ブロガーも含めて、結局は面白かった、面白くなかったとかそういうところに集束してしまっているような氣がします。要するに「談」な譯ですよ。
個人的にはダメといわれている作品といえども、ミステリとして技術論にまで踏み込んで評價をし、「論」は無理としても、「評」のあたりまで踏み込んだ内容を書いてもらいたいなあ、という期待はありますね。まあ、自分もそんな得れそうなことはいえない譯ですが(爆)。
それでも台湾ミステリに關しては、ここでも意図的に技術論に踏み込んでネタバレをしてしまっていたりするんですけど、そもそもこれらも中國語で書かないと意味ないか(爆)。でも、elielinさんみたいにバイリンガルでブログを運営していくほどのパワーを持ち合わせていないので、もう歳ですしねえ……。このブログをやっていくだけで手一杯ですよ。
で、二階堂氏がブチかました容疑者Xの議論なんですけど、これなどは「論、評、談」を混同した典型的な一例で、そもそもが単なる「談」に過ぎない年末のランキング祭の結果にイチャモンをつけたのがきっかけでした。
そこへさらに、
ははは。「このミス」の一位は、東野圭吾さんの、『容疑者Xの献身』でしたか(笑)。
とか、
ほう。『本格ミステリ・ベスト10』も、『容疑者Xの献身』が1位でしたか。ますます戦いがいがある。闘志が湧いてきた(笑)。
とかいうかんじで、「談」の戲れ言を重ねていったといういきさつです。つまりそもそもが「論」というかたちでこの議論は始まっていない譯です。そこへ二階堂氏の言説にブチ切れた巽氏が大眞面目に長大な「論」を二階堂氏の掲示板に投稿して、この「議論」がようやく「論」の體裁をもってきたというかんじですからねえ。
議論をふっかけてきた本人である二階堂氏が「談」に噛みつき、「談」を持ってそれに応じたに過ぎない譯で、その意味ではこの「論争」を始めた人物はもしかしたら巽氏といえるのかもしれません。まあ、巽氏も自分の文章を曲解されまくって氣氛が惡かったのは十分に理解出來るんですけど、これに應じたのは今思うと果たして良かったのかなア、なんて思いますよ。
自分としては、今回の「容疑者X」を巡る議論は、そんな譯で、そもそも論争の體裁をなしていたのか、そのきっかけ(二階堂氏の「談」に對する「談」の應酬)からして激しく疑問です。
ですから、台湾の普通のミステリファンにこの論争が話題として廣まるのはちょっと恥ずかしい、というか何というか……。もっとも島崎御大や藍霄氏も含めて、本格ミステリの中心にいるプロの方の意見は聞きたいところですけどね。まあ、島崎御大が「野葡萄」で最近発表された内容を讀む限り、今回のこの件に關してはすでにご存じなのかなあ、という氣はしています。
言葉の壁については、もしかしたら自分たち日台のミステリファンの最大の敵はこれかもしれません(爆)。何かいい方法はないですかねえ。日台ミステリの交流を願う一人としては、このあたりはもう、真劍に考えていきたいと思っているんですけど、まあ、一素人に過ぎないプチブロガーの自分がこんなことにウンウン頭を惱ませても意味ないか、とも思ったりしてます。
とはいえ、これは自分にとっての課題、ですかねえ。自分としては日台ミステリの交流が進んでいけば、この年齡(歴史)の相違から日台双方は良い影響を享受出來ると思うんですよ。そこから歴史的傑作が生まれてくれれば、自分としてはそれに勝る喜びはない譯で。
何だかコメントだというのに大變な長文になってしまいました。まあ、このくらいにしておきますか。