ぎこちなさと老獪さ。歪な、偏愛すべきファンタジー。
作者の作品を手に取るのは初めてです。ジャケ裏のあらすじにあった「優等生の委員長と不良少女の淡い恋」なんていうところから、輕めのボーイミーツガールみたいな話を想像していたんですけど、非常に良い意味で裏切られましたよ。これはかなり好みですねえ。
物語は大きく三部に分かれておりまして、最初の「Boy’s SIDE」では、ニューヨークから歸ってきた優等生の男性の視點から、十年前に件の不良少女と交わした約束が語られていきます。
この優等生君は学生時代にくだんの不良少女とと或る約束をしておりまして、十年後のいま、それを果たす為にニューヨークから日本に歸ってきたという。で、その約束というのが吃驚で、不良少女に自分が隱し持っていた一億圓を渡すというもの。何故にこの優等生君がこんな大金を持っているのかについてはなかなか明らかにされません。
物語は彼の語りで進みつつ、ところどころに母親の幽霊を見る少年のシーンが挿入されていったりするのですが、この二つの場面がどのように関連していくのかも、叉一億圓の話と同樣判然としないまま、優等生君が十年前の約束の場所に赴いてみると、彼女の旦那という男が登場。彼曰く元不良少女は失踪してしまってずっと前から行方が知れないという。
で、彼がニューヨークでの生活を回想したりしていると、再び彼女の旦那が彼の目の前に現れて、不良少女の居場所が分かったら今すぐ一緒に來てくれ、なんていわれて車に乗りこむとそれが卑劣な旦那のトラップで、彼は真っ暗な部屋の中に閉じこめられてしまいます。
しかしニューヨークでホームレースとともに地下生活を送ったキャリアのある優等生君にとって、暗闇はいわば自分の庭のようなもの。暗闇での人間の鼓動を聞き分ける特殊能力と拔群の人間觀察力を発揮して旦那の狡猾な企みを交わすなり、今度は不良少女の手掛かりを探す為、かつての親友宅を訪れます。果たして優等生君はCGの仕事をしているエンジニアの彼と一緒に失踪した不良少女を捜し始めるのだが、……という話。
續く「Girl’s SIDE」はこちらの期待通りに元不良少女が優等生君を回想しつつ、第一部の「Boy’s SIDE」でも插話として時折姿を見せていた、母親の幽霊を見る少年の話も交えて展開していきます。
第一部と二部の両方に姿を見せる旦那が、何やら彼女の失踪と幽霊事件の双方に絡んでいるらしい。で、この二つの事件はどちらかを主軸に据えることなく、漠とした雰圍氣で物語が展開していくところに妙な違和感を感じていたんですけど、なるほど、最後の「Last Man’s SIDE」でその理由が明かされるのでありました。
ミステリ的な趣向としては、幽霊事件のトリックがあって、それが一億圓や元不良少女の失踪事件とともに、双方のサイドへ跨る謎として宙づりのまま話が進められていく構成にちょっとぎこちなさを感じてしまう人もいるかもしれません。しかしこれは恐らく作者が意図しているものではないかなと思うんですよねえ。
というのもこの作品は、最初の失踪事件に始まり、その後に續く幽霊事件と、次々と謎の視點が移っていくところが個性的で、さらに登場人物にも目を向けると、実際の謎解きを行うのも第一部で主役を張った優等生君かと思いきや、次の部からはこの優等生君の親友が俄然存在感を増していき、最後には探偵の役回りまで務めてしまうという趣向です。
事件の主題から、探偵の役に到るまでその全てがさながら主題となっているハートビートのごとく、二つの定位置を移り變わっていくという構成が秀逸。そこから生まれる規則的なリズムが後半、幽霊事件と失踪事件が交錯していくにつれ獨特の搖らぎとなって物語の雰圍氣を包み込んでいくところも素晴らしい。藤岡真氏の「白菊」とか、こういうふうに主題と構成が見事に絡み合った小説というのに弱いんですよねえ、自分は。
物語の表層だけをさらさらと讀み流してしまうと、登場人物の關係や、謎の見せ方、さらには優等生君の場面と幽霊事件の繋がり方など、見せ方に手際のぎこちなさを感じてしまうかもしれません。作者の作品はまだこの作品しか讀んだことがないので何ともいえないんですけど、実はこの登場人物たちだからこそ、必然的にこういう見せ方になったのでは、と思うのですけど如何でしょう。
そもそもが優等生と不良少女の淡い恋や十年後の約束というところも含めて、そのネタはミステリというよりは完全にファンタジー。この、ともすれば一本調子に陷りがちなファンタジーの世界に、優等生の親友を交えていびつな三角関係を据えて物語を描き出したところが絶妙で、逆にいうと、後半探偵役を勤めることになるこの親友を二人の間に介することで生まれてしまった、歪にしてぎこちない三人の關係が、そのまま物語の構成全体にまで影響を及ぼした結果ではないのか、と。
まあ、作者がそこまで周到に考えていたのかは分からないんですけど、自分はそんなかんじで讀んでいる間はこの何処か歪な物語世界にドップリとハマってしまいました。まあ、こういう深讀みも出來る、ということで。
どこかぎこちない登場人物たちの立ち居振る舞いに不思議と青臭さを感じないのは、作者が若者じゃない故でしょうか(1961年生まれ)。優等生君と元不良少女が青春時代の恋愛の記憶を引きずりながらも、その描写に拙さを殘さない、ある意味老獪な風格が自分好みですよ。ハートビートというタイトルに象徴される、謎の視點や登場人物の役割の移り變わりなど、或る意味非常に人工的な雰圍氣を濃厚に感じさせる作風は好みが分かれるかもしれません。
青臭い恋愛物語、幽霊の登場、複数場面の交錯、過去のトラウマ、そして最後に開陳される吃驚なアレと、どうしたってすべてを一緒に詰め込むには坐りが悪いネタをフル活用して、衒いもなく美しくも歪なファンタジーへと仕上げてしまう力業にはある意味脱帽。ぎこちなくも人工的な、美しい物語に醉ってみたいという人におすすめしたいと思います。