短命故の光芒。
本作は、以前取り上げた「黒猫」同樣、光文社文庫の探偵雜誌アンソロジーの一册な譯ですが、マニアならずとも本格趣味とサイコ風味が横溢した素晴らしい傑作選。冒頭、山前氏の手になる解説「精力的な出版活動を背景に創刊された「探偵春秋」」によれば、この雜誌は「もっとも探偵小説に意欲的だったと特筆」されるべき出版社である春秋社からのリリース乍ら、「創刊から一年も経たない」うちに「合計十一册をだしたところで」廃刊となってしまった短命雜誌とのこと。
それでも本作に収録されている作品はいずれも極めてモダンな出来榮えで、探偵小説芸術論をブチあげた木々高太郎の「債權」、これまた前にも紹介した悪魔主義の大家、渡辺啓助御大の手になる「血のロビンソン」、更に和製ポーのアレとでもいいたくなる眞相が素敵な酒井嘉七「京鹿子娘道成寺」、異國で出会ったジャパニーズパンパン娘にまつわる謎に迫る、西尾正「放浪作家の冒険」、探偵小説というよりは完全に怪奇小説のオチを見せる雰圍氣満点の、光石介太郎「皿山の異人屋敷」、そして我らがキワモノマニアが俄然リスペクトしてやまない蘭郁二郎は、本格ミステリらしい仕掛けのなかにしっかり變態が登場する「鱗粉」を。そして山岳行の中で暴かれる恐るべきサイコ犯罪を描いた傑作、蒼井雄の「霧しぶく山」を収録。
そのほか評論では木々高太郎のお馴染み「探偵小説芸術論」と、この内容を論じた野上徹夫の「探偵小説の藝術化」、甲賀三郎の「探偵小説十講」なども入っているんですけど、正直、巻末の我孫子氏のエッセイにもある通り、個人的には「そんなものはどうでもいい」という代物ですよ、こちらの方は。まあ、自分としては芸術だろうがなかろうが面白ければいいという考えなんで、評論に關してはここでは完全にスルーさせてもらいます。
芸術論云々はどうでもいいとはいえ、本作の冒頭を飾る「債権」の作者は木々高太郎。かといってこの作品が芸術かどうかなんていうのはまあ、どうでもいい譯で、個人的にはこの話、大心地先生の元にやってきたキ印男の造型だけで大滿足。
患者の細君曰く、夫は何かにつけその代償として金錢を要求するという。愛情、睡眠、疼痛なども金錢上に見積もると書いてあるんですけど、それにしても愛情は相手がいるからまだ良しとして、一体に睡眠だの疼痛だのといったものをどうやって金錢に還元出來るのか、このあたりは完全に常人の理解を超えています。
しかし大心地先生からは単なる奇癖に過ぎないといわれてしまい、旦那のキ印認定を期待していた細君は落胆至極、しかしこの後金錢還元男が成金事業家の邸宅で溺死していたということから、果たして誰が、どんな理由で殺したのか、というところを推理していくのだが、……という話。
事故じゃないかなア、なんて考える警察に對して、男を常人だと判断した大心池先生は「あんなに、債権債務でこり固まっている人間は、殺して了いたくなる人間もあるに違いないぜ」と一度きりの問診だけでシッカリと他殺認定。男がポケットに入れていた奇妙なメモ書きと司法解剖が決め手となって眞相が暴かれていくのですが、正直事件の真相の方は小粒に纏まり過ぎて衝撃度は低い、ですかねえ。どうにもお行儀が良すぎるように感じられるのは、ひとえに変格探偵小説の變態趣味を厭うて芸術作品たらんとした結果なのかどうかは不明です。
その點、蘭郁二郎の「鱗粉」は、本格趣味が横溢したトリックもシッカリと交えて、キワモノマニアがリスペクトする作品へと仕上げられた逸品で、以前取り上げた怪奇探偵小説名作選の中に収録されていながらも、「夢鬼」の紹介ばかりに夢中になってレビューをしそびれてしまった作品です。
実をいえばこの「鱗粉」、あの名作選に収録されていた短篇の中ではもっとも本格趣味が前面に押し出された作品でありまして、砂浜で刺殺されていた女性の殺人事件を軸にそのトリックを推理する物語が、後半に到るや犯人が秘密屋敷につくりあげた美少女群の裸体國の全貌が暴かれるという變態ワールドに一変、その鮮やかな趣向が素晴らしい。
衆人環視の中で刺殺された水着の美少女という設定がいかにも萌えを重視する作者らしく、このトリックもなかなかのもの。美少女と變態ばかりに眼がいってしまいがちですけど、こういうキッチリとした本格ものも書こうと思えば書けたんですねえ。しかしそれを敢えてしない。變態とキワモノで押し切るその心意氣。やはり天才というべきでしょう。
酒井嘉七の「京鹿子娘道成寺」は思わぬ収穫でありまして、これまた舞台上の衆人環視のなか、鐘の中で殺された舞台俳優の死因を探るというもの。舞台の床には仕掛けがあって犯人が出入りすることは可能かと思われたものの、それが使われた形跡はない。実際、それは使われていなかった譯ですが、思わぬ犯人像にポーのアレを想起してしまうのは自分だけではないでしょう。勿論これが犯人であることは冒頭からの插話でシッカリと言及されてはいたのですけど、この犯人像に何とも不思議な違和感を殘した結末が見事。
光石介太郎「皿山の異人屋敷」は、全編これ怪奇な雰圍氣だけでグイグイと押しまくった作品で、真夜中に異人館が燃え上がり、そこから一目散に逃げ出す男を描くところから始まります。果たしてそこで何があったのか、というところが語られる訳ですが、後半、屋敷を訪れた私を襲う異人さんは完全にアッチの人。まあ、ネタバレをしてしまえば吸血鬼だったんですけど、それを「山蛭のむれだ!」「女郎蜘蛛!」と形容するあたりが純和風。
蒼井雄の「霧しぶく山」は、山登りをした語り手たちが、大木に吊された死體を發見、その男性の死體を下ろしてみると、男が記したと思われる手記が見つかります。そしてそこには恐るべき犯罪の所行が記されていて、……というところからその死體とともにこの山にやってきた男たちと女たちにいったい何があったのかという謎で引っ張ります。やがて第二の死體が見つかり、洞窟からは手記にもあった女のものと思われる声が聞こえてくる。さらに一緒に同行していた男が姿を消してしまい、語り手はその洞窟の中の女を見つけると、……。
これはまったく予想もしていない結末にちょっと吃驚してしまった作品で、手記の内容と失踪した男を絡めて展開していくのかと思いきや、サイコなネタを交えて眞相が明かされる後半には完全にやられてしまいましたよ。奧深い山の中を漂う霧の情景や、手記の中に現れる光の描写など、緊迫感を持たせつつも幻想的な雰圍氣が横溢しているところも素晴らしい。
渡辺啓助御大の「血のロビンソン」は、以前取り上げた怪奇小説傑作選の中にも収録されていましたが、お得意の悪魔主義テイストはやや薄め、ソファの中に隠されていた「血ぬられたる花」という表題のついた不可解なアルバムの謎を中心に展開される正統なミステリです。
語り手も至極マトモな人間で格別小市民という譯でもなく、また洋もののシリアルキラーの造型もお上品、さらには眞相が明らかにされてもこちらが期待する終わり方はしないところが御大の作品にしてはちょっと物足りない、ですかねえ。
渡辺御大と蘭郁二郎の作品はちくまの名作選で讀めるとはいえ、「霧しぶく山」と「京鹿子道成寺」の二作品の為にも本書を買う價値はあると思いますよ。もっともこちらはキワモノというよりは眞っ當なミステリに仕上がっていて愉しみどころは異なるものの、現代にも十分に通用するセンスと筋運びはそれだけでも貴重だと思います。前回紹介した「黒猫」傑作選とともにおすすめ、ということで。