サイケデリック・ヌーヴォーロマン。
「本格推理小説が自壞していく」という挑發的な惹句がジャケ帶に添えられた本作、本格推理小説云々といいつつ実際の内容はというと、「サイコトパス」の系譜に連なる幻想ミステリ、といったかんじでしょうか。ただ、シャプリゾの名前を挙げている通り、「妖鳥」的な風格もあって、後半の謎解きには本格ミステリの雰圍氣も殘しています。個人的には大好きですねえ、こういうのは。
物語は現代ではなく、沖繩が日本に本土返還された頃のお話。尖閣諸島をモデルにしたと思われる海鳥諸島を「日本の領土だと主張するのは、東南アジアへの、日本軍国主義侵出の第一歩であり、断固、これを粉碎すべきである」なんてアジビラを左翼バカのプロ市民が街頭でバラ撒いていると、そこを通りかかった右翼グループがイチャモンをつけてくる。バカなりにも端正込めて刷り上げたアジビラを「バカなビラ」だと右翼に一蹴されては黙ってはいられない、とばかりにプロ市民は武鬪派右翼に突っかかっていきます。
で、この左翼バカの倒錯したものいいを完膚なきまでに論破してギャフンといわせた右翼組の一人にひと目ぼれしてしまった語り手の私は、彼らを尾行するのですが、そこをガリ勉右翼女に見つかってしまう。で、ノンポリの私は大学サークルのノリで結局その極右集團に入團してしまう譯です。
彼らは中国、台湾、日本で領有權を主張しているその島に乗りこんで燈台をオッ立てるというアイディアをブチあげてそれを実行に移そうとするのですが、出発の當日、怪しげな公安の男が語り手の前に登場、行かない方がいい、と止められるものの、語り手の私は後輩の女性を連れて島遊びに旅だってしまう。
早速船に乗りこもうとしたところで今度は海上保安庁の荷物検査を受けたりとひと悶着、そうしてどうにか島にたどり着いたものの、語り手の私は、自分が崖の上から後輩の女性を突き落とすところを目撃、同胞を殺したというかどで彼女は仲間に連行され、小屋に閉じこめられてしまいます。
そのすぐあとに色気もないガリ勉右翼女が頭をカチ割られて死亡、さらに島の隧道に隱されていた爆彈が爆発、さらにはその隧道で中國語訛りの日本語を得意とする仲間の台湾人が扼殺される。果たしてこの連續殺人の犯人は私なのか、……という話。
実際は語り手の私の一人語りと、自らの記憶を辿る過去の回想が交錯しながら話が進んでいきます。この前半の漠とした私の一人語りと、孤島の事件が發生する予兆も含めた雰圍氣から、最初の方では皆川博子の「聖女の島」みたいな話かなあ、なんて考えていたんですけど、中盤あたりからグループを率いる右翼青年の場面が併行して語られるに至って物語は「そして誰もいなくなった」フウに展開していきます。
私が殺人を犯しているところを私が見ている、という幻想的な謎が最後には解かれるのですが、これは本格ミステリの手法で推理が行われるとはいえ、その着地點は明らかに幻想ミステリのそれでして、このあたりに不満を感じてしまう人がいるかもしれませんねえ。
何しろ出版社もジャケ帶に「本格推理小説」という言葉を入れているし、この作品を本格推理小説として讀んでしまう人もいるカモ、という譯で、ここでは強く主張しておきたいんですけど、これは幻想ミステリやサイコミステリとして讀んだ方が俄然愉しめると思うんですよ。
実際、自分はこの前半で展開される孤島の幻想的なシーンや、過去の記憶と現在の時間軸が微妙な違和感を伴いながら語られていく場面も含めて、これは幻想ミステリだろう、という気持で讀み進めていったのですが結局のところこの讀み方は大正解でした。
一番の謎である私が人を殺すのを私が目撃している、という謎に關しては、バカミスすれすれの眞相でありますから、このあたりを許せるかどうかで評價は大きく分かれてしまうような気がします。
もっとも何故そんなふうになってしまったのか、という點に關してももっともな理由が語られているし、何故私や實直右翼青年も含めてこんなことになってしまったのかということについても、チャンとした理由が最後に明かされます。ただすべてをこれで終息させてしまうというやりかたに納得がいかないという原理主義者の方もいるかと思われますので、この點に關しては御留意願います、といってここではシッカリと書いておかないといけませんよ。シツッこいくらいに。
ミステリとしての結構も、上に挙げた點が許せてしまえば十分に愉しめるんですけど、やはりここは作者らしい何ともズレまくったキ印の造型も堪能してもらいたいと思います。
蠍拷問のサディスト右翼男、そして蠍を使った根性試しにガクガクブルブルしながらも体育會系のノリでやる氣マンマンの亀頭男、さらには国体とか愛國心なんてよく分からないけど、町中にクダらないビラをばらまいていて鬱陶しい左翼バカをギャフンといわせたあの人は素敵、……なんてかんじで極右活動に身を投じてしまうノンポリの語り手とか、また船に乗りこもうとした時に棧橋でブツブツと譯の分からない台詞を繰り返して意味不明の独演會をやっていたキ印老婆とか、とにかく徹頭徹尾キャラ立ちまくった脇役が何とも素晴らしい。
右翼バカどもの壞れたキャラは何処となく「サイコトパス」に登場したお姉言葉のマッチョマンを髣髴とさせるし、キ印老婆は「神曲法廷」の掃除婦っぽくてナイス。
孤島ものとはいえ、これだけ壞れておかしなことになっている連中が殺人事件に卷き込まれるという趣向ですから、全てに本格ミステリらしい謎解きを期待してはいけません。繰り返しになりますが、幻想ミステリやサイコミステリとして讀まれた方が絶對に愉しめると思いますよ、……ってクドいくらいにこんな注意書きを書き連ねてしまうのは、ひとえに「びっくり館」の二の舞はさせないぞ、というキワモノミステリマニアの決意表明みたいなものでありまして(爆)。
幻想を認めないと全ての謎が論理的に解かれないという趣向は、有栖川有栖の「幻想運河」や既晴の「別進地下道」に似ていますが、サイコミステリに大きく傾斜した風格と、蠍やアホウドリのモチーフ、そして燃える夕燒けや爆発の炎といったイメージが語り手の不安定な独白とともに繰り返される手法は、どことなくヌーヴオーロマンっぽくもあります。しかし物語の舞台となっている七十年代からここは敢えてサイケデリックと表現したいところですかねえ。
という譯で、「サイコトパス」や「妖鳥」にも通じる濃厚な山田正紀テイストが詰まった本作、個人的にはかなりツボでした。いくつかの代表作に比較すれば、物語の広がり方も小粒だし大傑作とはいえませんけど、「サイコトパス」や「妖鳥」、さらには「幻象機械」などが好きな方はこの不思議な雰圍氣にドップリとはまれること受け合いです。普通の本格ミステリを期待している人は御注意、ということで、本作の幻想ミステリの雰圍氣を堪能してもらいたいと思います。