「神州纐纈城」の紛い物?否!斷じて否!
何だか先にリリースされている「国枝史郎 探偵小説全集」の方のレビューも濟ませていないのにこちらを先に紹介してしまうというのもアレなんですけど、とりあえずジャケ帶で「幻の名作長編」と謳っている「先駆者の道」だけ讀了したので、こちらを先に取り上げてみたいと思いますよ。
ただこの作品、編者の末國氏は解説でいきなりダメ出ししているんですよねえ。曰く、「恐らく国枝は、かなり意識的に自身の代表作からエッセンスを取り出そうとしたのであろうが、その試みは必ずしも成功していない」、「だが『神州纐纈城』を書いた国枝の作品として考えると、どうしても傑作とはいいきれない部分が目立つ」。
まあ、確かにあの超絶大傑作「神州纐纈城」に比較すれば、どんな傳奇小説も霞んでしまう譯で、この作品を堪能する為にはとりあえずあの名作のことは頭からスッパリ忘れて取りかかった方が吉でしょう。作者の最後の長編傳奇小説といいつつ、そこは腐っても(失礼)国枝史郎ですから面白くない筈がありません。いや、実際こちらの期待通りにハチャメチャで破天荒で、トンデモなく素晴らしい物語なんですよ。
まず登場人物がいい。主役となるハンサム侍庄三郎、そしてその庄三郎にひと目ぼれしてしまう健氣な巫女志望娘お鳥、そしてそのお鳥の母親で神懸かりのキ印ババア静子、國粋主義者で感極まると常に「我が志は南洋にあり!」と絶叫する小源太、さらにはスーパー行者明覚などなど、もうこれだけの個性的な人物が富士と江戸を縱横無盡に暴れまくるのだから堪りません。
物語は師匠の江川太郎左右衛門から、小反射炉をつくる為には良土が必要だ、ついてはその良土の在処を知っている明覚という名の行者を見つけ出してほしいという命を受けた庄三郎は富士に向かう。そして山登りの途中で道に迷ってしまった彼は、部落で巫女をやっている母親を持った娘、お鳥と出会うのですが、このお鳥はハンサムな庄三郎にひと目ぼれ、道に迷ったという庄三郎に「ええええそれでは妾がご案内を……」なんてどもりまくってしまうところが妙に可愛いい。
しかし霧の中に鳴り響く法螺の音を聞きつけた庄三郎は、お鳥をその場においたまま音のする方へと猛ダッシュ、そしてその後を追うは庄三郎の師匠の敵方、小源太。
しかし敵方といいつつ、二人の師匠がいがみ合っているだけで庄三郎と小源太が喧嘩をする理由はない譯です。しかし主人公で庄三郎の師匠は日本を守る為には洋モノをジャカスカ取り入れていかないとマジでヤバい、と考えている進歩主義者で、一方小源太のの師匠の韮山は國粋主義者で日本を守る為には南洋を目指す、と、双方はお互いに日本を愛する愛国主義者でありつつもそのスタンスが違う。
それでも庄三郎と小源太の二人はジェントルマンですから、時には刀をX字にぶつけあって闘うこともあれど、國を守るという目的の為、時には助け合ったりしながら樣々な事件を潛り拔けていく譯です。
で、庄三郎は行者の居所を突き止めたものの、すでにそこには小源太が先回りしていて、おまえを行者に会わせることは出來ない、という。一方の行者はこの富士界隈に住居を構えた二つの部落で發生した問題の仲裁にあたっている。この問題というのを簡単に説明すれば、要するにロミオとジュリエットみたいなもので、富士界隈のどっかに源頼朝が隱した黄金があるという迷信を信じている二つの部落はこの黄金を巡って昔から仲が悪い、で、その仲裁をする為にと隣部落のキ印婆静子が、こっちの部落の女と行者がついている方の部落の男を結婚させてはどうかというアイディアを持ちかけてくる。
しかしそんなことは我慢ならねえ、とお互いの部落はますます反目を強めて一觸即發の状態となり、そこに行者が仲裁を頼まれて、……というところに部外者の庄三郎と小源太がやってきます。さらに巫女のキ印婆は放心状態の最中に「黄金は何処にあるのか。ヒント、行者の法螺貝」というお告げをマイ神樣である木花開耶姫命様から受けたからもうグスグスしてはいられない。皆で行者の法螺貝を奪いにいくぞッと部落全体が決起します。
その部落間抗争に部外者の庄三郎と小源太が巻き込まれてしまい、……とこの富士篇がだいたい物語の半分くらいを占めていて、この間にハンサムボーイの庄三郎はお雪というこれまた健氣な美女に惚れてしまったりするのですけど、この色戀沙汰が妙に初々しいところが昔テイスト。しかし庄三郎は何しろ一に國体、二に國体、日本國のありようで頭がイッパイの日本男兒ですから、無邪氣で可愛いお雪を見ても、ついつい「そちら」のことを考えてしまう。こんなかんじ。
こんな無邪氣な無垢の娘へ、日本の国体が、世界無比の優れたものであることから説いて教え、日本婦人の貞操問題や、日本民族が他民族とくらべてどんなに優秀であるかということなどを知らせ、ゆっくり教育したなら、これこそ理想的の日本婦人が出来るのだが。
結局部落民がやいのやいのと騷ぎたてて行者を捜し回っている間に、例のキ印婆静子は明覚を見つけるのですが、法螺貝をカッパらうという目的を氣取られ行者には逃げられてしまう。さらに逃げられてしまうだけでなく、この婆は自分の神器である御幣までも奪われてしまうという大失態を犯してしまいます。
富士から逃れた行者は江戸へ行き、その後を追うように庄三郎と小源太の二人も江戸へと向かう。さらに奪われた御幣を奪われてすっかり神通力も失ない銷沈してしまった婆も巫女志願の娘お鳥を連れて江戸へ行く。そこで再び行者を巡ってテンヤワンヤの大騷動となるのですが、庄三郎はお鳥とキ印婆のアジトで世話になっている間に、だんだんいい雰圍氣になってきます。お鳥としてはひと目ぼれしたハンサムボーイ庄三郎が目的を達して行者を見つけ出してくれれば嬉しいのだけども、そうなるとこの江戸での三人暮らしも終わってしまう。
で、「やっぱりわたしはこのお方を愛しているのだわ」なんて思う一方で「庄三郎様は立派なお侍さまで、……日本の國のお為に將來大きなお仕事を遊ばす方、それに反して私は、富士の麓の部落の巫女の娘、身分違い!どう悶えても夫婦などになれる二人ではない。こうして一時なりと、ご一緒に住んでいられるのを光栄と思わなければならない身分……」なんて本心を言い出せずにウジウジ、モジモジしてしまうところが可愛らしい。
一方、庄三郎もそんなお鳥の気持を分かっていて「わしに尽くしてくれるお鳥!その心持ちはわかっている!……何んとかして報いねば……」なんて考えているんですけど、そんなある日、お鳥が庄三郎の為にと富士の描かれた枕屏風を手に入れて帰宅すると、その枕屏風の富士を見て、江戸に來てからは神器も失ってすっかり落ちぶれていた静子婆の神通力が再び発動、「お山!おお富士のお山!」と絶叫して、再び彼女は行者の法螺貝の幻覺を見るや、家を飛び出してしまう。
庄三郎は、「直感力恢復したぞ!」と大喜びで、あの狂いっぷりだと神通力で行者のところへ自分を案内してくれるに違いないと、婆のあとを追いかけます。で、當然ながらお鳥も二人の後を追って家を飛び出す譯で、
この深夜に、江戸の町を、女の身で、狂人さながらの身で、喚き走られたら世間迷惑!いや夫れよりも、肝心の母の身上にもしものことがあっては一大事!……それに、鴨下様(庄三郎のこと)が走って行かれた!あのお方のお身上に、怪我でもあっては!――この二通りの心やりから、戸外へ走出たお鳥であった。
そこへ小源太が仕掛けた祭り囃子が来襲、行者を見つけた婆は、「明覚殿ォーッ、その御幣を!」「法螺貝渡せ!」と喚き散らすものの、行者はシレッと黄金の鍵はすでにそなたに渡してある、と素っ氣ない。そして明覚は御幣を舟のかわりにして海を渡るという神通力を発揮して、その場を逃走。「御幣を返せ!法螺貝下されヨーッ」という絶叫も行者には届かず、自分の神器である御幣も、そして法螺貝もゲットすることの出来なかった静子婆は以後廢人同然となってしまう。
やがて小源太は好敵手庄三郎の師匠の船を盗んで改造を施し、その船で南洋を目指す。そして小源太から行者の居所を聞いた彼は伊豆天城を目指し、ついに行者から良土の在処を聞きつけ、小反射炉は完成する。
行者から御幣を返してもらった庄三郎は富士の麓、お鳥のいる部落へ行くのですが、廢人となった婆の代わりに巫女を繼承したお鳥は、江戸で一緒に暮らしていた頃のお鳥ではなかった。そのことにすっかり落ち込んでしまった庄三郎だったが、持ち歸った御幣を廢人お婆に渡すと再び婆は正氣を取り戻す。お鳥は氣質に戻って庄三郎と結婚、めでたしめでたし、……という話、ってあらすじどころが最初から最後まで書いてしまいましたよ。
こうして纏めてみると、何だか普通っぽいなあ、なんて感じる方もおられるかと思いますが、とにかくキ印婆やトリックスターめいた活躍を見せる行者、そしてハンサムボーイの庄三郎と小源太、モジモジ女のお鳥といった魅力イッパイのキャラが要所要所で小爆を繰り返しながら展開される物語はまさに国枝ワールド。派手さはないものの、どう転んでもこのタマラないテイストはやはり国枝史郎でしかなしえない獨特の風格といえるのではないでしょうか。
という譯で、編者の末國氏がダメといっても、やはり面白い。未收録短篇がこのあとも目白押しなので、また讀了したら取り上げてみたいと思います。とりあえず本作も探偵小説全集と同樣、限定1000部ということなので、今すぐに讀まずともとりあえずマニアは購入する必要あり、ですよ。
で、解説の後ろには「作品社の本」と題して、「国枝史郎探偵小説全集」の宣伝とともに、近刊、国枝史郎伝奇短篇小説集成 第一巻、第二巻とか書いてある。これはもう、全作揃えるしかないですよねえ、やはり。こうなったら復刻されてもすぐ絶版になってしまった故に現在では手に入れることも難しい「神州纐纈城」、「蔦葛木曾棧」なども作品社から出してもらうしかありませんよ。
で、もうひとつ氣がついたことなんですが、編者略歴に曰く、本作の編者末國善己氏は「1968年広島県生まれ」、ってまたまた68年生まれですかッ。これで日下センセ、そして「外地探偵小説集」の編者藤田知浩氏に續いて三人目ですよ。68年生まれというのはいったいどうなっているのかと。「68年生まれマニア説」を本氣で提唱してみたくなってしまうのでありました。