輕妙洒脱にして、本の重さは重量級。
新潮文庫の「悪夢小劇場」しか持っていなかった自分としては、當に待望の本作といえる譯ですが、何より吃驚なのはそのボリュームですよ。
百一編という特盛りサイズは、短篇マニアの自分には堪らないものの、この携帶性をまったく無視した超重量級の装丁にはちょっと鬱。今、体重計で測ってみたら二キロもありましたよ。大きさ重さも含めて持ち歩くことは絶對に不可能、という譯で、十編づつチビチビ讀みながら本作に収録された珠玉の短篇の魅力をお傳えてしていこうかと思います。
冒頭を飾るのは「悪夢小劇場」にも収録されていた「ちりぢごく」。齒科醫を營むデブ女が運転免許とれたてで世田谷の自宅から新宿のデパートまでドライブとしゃれ込むのですが、デパートで買い物、パーラーでフルーツ・パフェを食べて歸ろうとするとすでに外は薄暗い、おまけにこのデブ女は超弩級の方向音痴、……とくればこの後の展開は分かりますよねえ。渋滞に卷き込まれ、道に迷いと期待通りの災難に巻き込まれ、最後は何ともなオチで終わります。飄々としながらも要所要所にブラックなユーモアを鏤めているところが流石です。
續く「景徳鎮」もブラックな一篇。出版社のパーティーで久しぶりにとある未亡人と再会した主人公は、夫人のマンションを訪れたときに、景徳鎮と思われる陶器を盗んでしまいます。雇っているお手伝いが部屋のものを盗んで困る、なんて夫人がいっていたのをいいことに、少しばかり魔がさしてしまった主人公でありましたが、この後に樣々な災難が彼に降りかかり、……と最後にこの陶器のいわれが夫人の口から語られたところでオチが明らかになるという結末。これまた小市民の主人公を地獄に突き落とす悪魔テイストが素晴らしい。
「金歯」は金歯がとれてそれを飲み込んでしまった關西弁の主人公がアワアワとあわてふためく前半から一転、男は喀血した後に死んでしまいます。小噺としてうまく纏めているものの、捻くれたオチがないので印象は薄いですかねえ。
「西海悲情」はこれまた最後のオチに惡魔的な味わいがきいた一篇で、法律事務所から心中事件について調べてほしいという依頼を受けた探偵が、被害者の子供二人と一緒に事件を調べていくという話。
この心中事件というのが、会社役員の妻がある男と驅け落ちした末、女は睡眠薬をのまされ男に首を締められたのちに死亡、男は自分も毒をあおったものの死ねなかった、というのですが、不倫に走った女の子供たちはどうにも納得がいかないらしい。探偵は姉弟という二人とともに女が殺された長崎へと向かうのだが、……。
讀者の意識を心中事件へと向けさせておいて、最後にそれを見事にひっくり返すという騙しが何とも黒い。推理小説っぽく展開される中盤から、姉の意外な告白によって事件の樣相を一転させるという構成が光っています。
「使者の鼾き」は、團地で犬を飼いたいと考えた女が、知り合いの獣醫からブルドックを讓り受けるのですが、その犬がトンデモないほどに大鼾をかくから困ってしまう。やがてこの犬を讓り受けた獣醫も病気で寝こんでしまったらしく、それにつれてブルドックも日に日にやせ細っていき、……。後半にさりげなく夢の不可思議についての言及がなされ、それがちょっとした怪談噺の味を添えているあたりが洒落ていますねえ。物語の構成は單純ながら、輕妙な文体と期待通りの展開でしっかりと讀ませる技が冴えています。
「空いっぱいの窓」はミステリ。ひょんなことで知り合ったホステスと受驗生の交際が描かれる前半の普通小説っぽい雰囲気から、そのホステスが殺されて犯人を探っていく後半への展開が巧み。犯人が何故ある人物を狙うにいたったのか、最後にそれが明らかにされます。何かミステリの短篇でありそうなトリック乍ら、それを使ってこういう話をさらりと書いてしまうところが面白い。
「白魔」は雪山で遭難した男たちの幻覺を報告書のような文体で淡々と仕上げた作品です。仲間のひとりが転落したことから、殘りの人間が猛吹雪のなかで樣々な幻覺に苛まれます。最後にこれを幽霊話へ纏めてしまうところが恐ろしく、転落した男が幽霊になって吹雪のなかからぼうっと姿を現すのですが、この描写がかなり怖い。何となく石黒達昌を髣髴とさせる仕上がりですねえ。
「ジャガタラ文」はフランス特派員として赴任した男に、フランス人の女性、男の大学の先輩にあたり、フランスのこの業界では事情通として知られる男の三人の交流を描いた物語。これは普通の小説でしょう。仕事も出來る男が自殺をしてしまうのですが、彼が残していた手記の内容は、……という話。
「悪夢志願」はねじくれた幻想小説とでもいうべき仕上がりで、作家デビューは果たしたものの、その後は鳴かず飛ばずの男が、悪夢を題材に作品を仕上げようと決意、樣々な趣向を凝らして悪夢を見ようと試みるのですが、この奮闘ぶりが妙に笑える。
この睡眠惡化を試みる作家の手記に悪夢の描写をはさんで、彼の見た夢の内容が明かされるのですが、最後の一文にさらりとトンデモないことが書かれてあるところがミソ。これが夢の中の事実なのか、それとも現実の中の事実なのかが證明されずに物語が終わってしまうところが素晴らしい。
「味見指」はヘタをするとエロ小説へと転んでしまうような内容のお話で、友人の男二人に、女一人、で、男の一人が女と結婚してしまうのですが、その実、女は結婚生活にウンザリしていて、……となれば、かつて彼女のことを好きだったもう一人の男がそれにつけ込んで女と関係をもってしまうというのは御約束。一方旦那の方は二人の秘密の關係を知らなくて、男を自分の家に招待するのですが、……とここで何ともエロな場面が展開されます。ある意味非常に惡魔的なお話ですよ。
と纏めて十編、輕妙な語り口につられてさらりさらりと讀んでしまったんですけど、十編のいずれもがまったく違う風合いを持っているというところが驚異的。ジャケ帯にある椎名誠の言葉にいわく、「日常的異常小説路線」とあるのですが、まさにその通りといったかんじで、いずれも小市民が味わう異常な物語ばかりで、味のある短篇を所望のマニアには堪らない作品集といえるでしょう。
しかしこの本、最初に書いた通り、鞄に入れて持ち歩くことは不可能で、そこのあたりが何とも殘念、とはいえ、このボリュームでこの値段は破格でありましょう。4000円という價格に尻込みしてしまう御仁は、まずこの本の大きさ、重さ、ボリュームを本屋で實際に手にとって体感していただきたく、……といいたいところなんですけど、なかなか大きな書店でもお目にかかれないところが問題でしょうか。
幻想小説、奇妙な味の小説が大好きなマニアにはマスト。自分もまた家にいて時間があるときに續きを讀んでみたいと思います。