騙りの迷宮。
「戻り川心中」が光文社文庫で復刻されて、ミステリファンが再び作者の作品に目を向けてくれるようになるのは嬉しいんですけど、やはり旧作だけではなくここ最近の作品も讀んでくれると嬉しいなあ、と思ってしまうのでありました、という譯で今回は二年前にリリースされた本作を。
「白光」のように人が死ぬ譯でもなく(いや、確かに人は死ぬけどミステリの仕掛けとして關係なし)、また「人間動物園」のような誘拐事件をサスペンスフルに描いたというものでもありませんが、騙りによる騙しという作者の十八番を十分にいかした本作は、「美の神たちの叛乱」や「牡牛の柔らかな肉」の系譜に連なる作品で、畳みかけるように展開される怒濤のどんでん返しが見所です。
舞台は藝能界、そして主人公となる男は藝能マネージャ。もうこれだけで作者の得意技を堪能できる舞台が揃ったといってもいいでしょう。アマゾンに書かれているあらすじによれば「酒場で出会った風変わりな男が持つスターの素質に惚れ込んだ芸能マネージャー・北上は、その男をスターにするべく奔走するが…。」なんてあるんですけど、物語はこのスターになった男、「あいつ」をある男がある人物に語るところから始まります。
そしてこの語り手の話を補強するかたちで、大スター花ジンのマネージャ北上と男女の出會が語られていきます。北上が出会ったダメ男の美人局と彼の戀人の三人で、樣々な騙し合しを行いながら、男をスターにさせようとするのだが、轉々という話。
三人で、といっても花ジンのマネージャ、そして彼がスターにさせようとする男、更にはその彼女とそれぞれに思惑があって、この三人の中でも騙し騙されの展開があるのは勿論のこと、監督、マスコミ、そして花ジンのスキャンダルなど、彼らが仕掛けていく虚實の企みが展開される中盤も面白い。
騙している方が実は騙されていて、しかしその実、その外ではそのことさえも利用する人間がいて、……という虚々實々、二転三転、二重三重の騙しが畳みかけるように展開されるところは壓卷で、例えば花ジンをスキャンダルで失墜させようとするマネージャと花ジンが部屋の中で會話をするシーンでは、一頁の中でこの二転三転の騙し合いが何度も何度も展開されます。
もう讀んでいるこちらは何が何だかですよ。何しろ登場人物のすべてが藝能人ですから誰一人として嘘をいわない人物はいない、というかんじで、お互いの利益と思惑の為に樣々な嘘を繰り出しては相手を翻弄し、相手の嘘までも利用してしまう。
冒頭の語りで、スターとなった男はかつて渋谷で男を殺してしまっているようなのですが、これが最後の最後に何ともいえない事態を引き起こします。勿論これをネタに三人の中でも樣々な驅け引きが行われ、更にはそれをスキャンダルに利用して最後の大花火を打ち上げようとするマネージャと女の企みなど終盤も目が離せません。
「美の神たちの叛乱」ではこのような虚實の反転が繰り返されるだけでもうお腹いっぱいだった譯ですが、本作では更に大きな仕掛けが最後に現れます。當に作者ならではの語りによる大どんでん返しでありまして、これによって冒頭から展開されていた物語がひっくり返ってしまうというカタルシスが素晴らしい。
この仕掛けの為にと凝らした作者の手法も樣々で、語り手と男の出會のシーンを語る時にも映画フウに時間をその時まで卷き戻してみせたり、或いはミステリのアレ系ではお馴染みの人稱の使い分けを驅使したりと、最後に見せるどんでん返しに向けての仕込みも完璧ですよ。
そしてまたこれを最後の最後に持って行かないところが作者らしいんですよねえ。これが普通のミステリだったら、このどんでん返しで眞相が明かされたところで物語は終わるのでしょうけど、物語はここから更に續きます。そして最後の最後で、ある重要な人物が死ぬんですけど、自分がつくりだした嘘に殉じるその姿が本作の主題を体現しているようで何とも複雜な讀後感を殘してしまうのでありました。
作者の作風の変遷を見れば、「白光」と「人間動物園」はちょっと異色。寧ろ「美の神たちの叛乱」や「牡牛の柔らかな肉」に連なる本作こそが今の作者のやりたいことなんじゃないかなあ、と思うのでありました。もっとも讀者を騙す為ならどんなエグい技を繰り出すことも厭わない作者のことですから、この路線をずっと續けるつもりなどないに違いなく、「人間動物園」と「白光」はいうなれば次の展開のへの布石といったところでしょうか。とにかく新作が待ち遠しいですよ。
という譯で「人間動物園」や近作の「白光」とはまったく異なる風格なので、この二作がちょっとあわなかったんだけどねえ、という方にも手にとっていただきたいと思います。また「美の神たちの叛乱」がいいという御仁は本作も最高に愉しめるかと。