反密室小説。
「台湾ミステリを知る」第五回となる今日は、期待の新星、冷言の傑作短篇「找頭的屍體」を紹介したいと思います。「野葡萄」の8號に掲載された本作、何よりも密室小説の體裁を裝いつつ實際は端正なロジックで見せるというその構成が洒落ています。
物語はとある學校に傳わる「學校の怪談」から始まります。この怪談の舞台となるのは小学校の舊校舎にある便所で、學校が終わった夕方、小學生たちが舊校舎でかくれんぼを始めます。
で、逃げる方の子供のひとりがトイレの個室に隱れます。見上げると、天井に巡らされた配管と天井の間に隙間があるという譯で、男の子はそこによじ登ってそこに隱れようとするのですが、首がその隙間にはさまってしまい、宙ブラリンになったまま無慘にも首チョンパ、胴體の方は個室にバサリと落ちた後、首は配管の隙間にぶら下がったままという凄慘な死を遂げた男の子は、以後首無しの幽霊となってこの舊校舎を徘徊していているという、……という話のあと、語り手が「で、その男の子が首を吊ったというトイレがあそこで」と窓の外の向こうに見える建物の便所を指さすと、そこから首を括った男の顏がヌボーッと覗いていた……。そしてここからが本當の物語。
主人公は梁という名前の婦警さんで、醫科大學で起こった殺人事件を片づけたのもつかの間、再び事件が発生ということで朝にもかかわらず上司から現場に呼び出されます。
殺人事件が発生したその場所は學校の便所の個室で、三室あるうちの眞ん中に男が首を括って死んでいたという。個室は内側から鍵が掛けられてい、天井から吊された繩で男は首を括って死んでいたのですが、だとすると犯人は内側から鍵を掛けたままどうやってこの個室から脱出したのか、と言うことが問題となり、すわ密室殺人か、と一同はどよめきます。
そのあとは節を隔てて、四人の容疑者を婦警が聴取を行うという形式で進むのですが、この容疑者というのが揃いも揃ってミステリマニア。婦警の聽き取りから、彼ら容疑者が教室を出て便所に行った時間、そして食事のあと教室に戻った順番などの証言が得られます。
普通であれば、ここからいかにして犯人は密室にしたのか、そのトリックは、とか、犯人はどうやってこの密室から逃げたのかというところで物語を引っ張っていくのが普通でしょう。しかし本作ではこの密室のトリックが問題篇の後半でいともアッサリと讀者の前に開陳されてしまいます。そして本作の優れているところはここからで、この密室を行ったトリックと、容疑者四人の証言から論理的に犯人を導き出そうとするのですよ。
つまり本作はいかにも密室殺人を扱った短篇という體裁ながらその実、精緻な論理で犯人を推理していくロジック型のミステリであるということなのです。本作がありきたりの密室小説ではない、ということは、作者が容疑者の一人の言葉を借りてクイーンの「ローマ帽子の謎」と「Yの悲劇」に言及しているところからも明らかでしょう。
密室トリックは見破ったものの、ここからどうやって犯人を割り出せばいいのか、自らの推理にスッカリ行き詰まってしまった婦警は知り合いの齒科研修醫の探偵を頼るのだが、……。
探偵はもう一度現場に戻ってあるものを探せと彼女にいうのですが、結局彼がいっていたものは見つかりません。しかしこの見つからなかった手懸かりを強力な論據として、そのあと探偵は事件の真相を推理していきます。そしてまたこの論理が美しい。更にこの「手懸かりがない」ことから導き出された犯人像を補強するかたちで、探偵は四人の証言の嘘を暴いていくのですが、單純に過ぎて意味をまったくなさないように見えた容疑者の証言の數々が、この探偵の論理によって事件の樣相を明らかにしていく様がまた素晴らしい。
この「手懸かりがない」ことを手懸かりとして眞相を導き出すという発想、更には密室小説の體裁をとりながらも安易な密室トリックのみの小説に堕することを拒否してみせるその姿勢。予定調和的なミステリからは一線を画した作者の志と意気込みに着目したいところですよ。
物語の骨子はこの密室殺人を中心に据えつつも、冒頭で語られた學校の怪談にも現実的な解を導き出す場面があったりと、論理にこだわりを見せる作風が凡百の短篇とは大きく異なるところでありましょう。
欲をいえば、冒頭で提示された學校の怪談が、密室殺人のトリックと有機的に結びつき、讀者へのミスディレクションとなっていれば最高だったんですけど、これだけの短さでそこまで求めてしまうというのは欲張りでしょう。この透徹した論理の冴えを堪能出來るだけでも自分的には大滿足ですよ。
という譯で、作者の冷言は、日本でいえば有栖川有栖や氷川透と同じ立ち位置にいるものと自分は理解しているんですけど如何。既晴氏からの情報によれば、作者は今年中には長編もリリースするということで、これもまた期待してしまいます。
果たして有栖川有栖フウに端正な論理を驅使した美しい構成で魅せてくれるのか、それとも氷川センセのようにひねくれまくった論理の迷宮で我々讀者をめくるめく世界へと誘ってくれるのか。個人的には後者を期待、ですかねえ。後期クイーン問題の煉獄を彷徨っていてスッカリ新作も御無沙汰な氷川センセのことを考えると、日本のファンとしては、ねえ(爆)。
で、自分がざっと探した限りで、本作を反密室小説とか手懸かりの意味の転倒というあたりから評價しているのを見たことがないんですけど、このあたりを台湾のミステリファンはどのようにとらえているんでしょうか。自分としては本作、上に挙げたような技術的な試みだけでもかなり評價しているんですけどねえ。