ユーモアの品格、怪奇幻想の吟客。
日影丈吉もこのブログで是非とも取り上げたかった作家の一人だった譯ですが、さていざ氏の作品について書くとなると、一體どの本にしたものかとこれまた惱んでしまうのでありました。容易に手に入るものとなれば、お馴染みのちくま文庫怪奇探偵小説名作選からということになるのでしょうが、今日は少しばかり捻くれて、氏の最晩年の短篇を収録した本作「鳩」を。
澁澤龍彦といい、いったい幻想小説系の作家というのは歳をとればとるほど味わいのある作品をものにしてしまうところが怖いところでありまして、本作も天使と悪魔のあわいに現出した病院内での幻想譚が不思議に美しい表題作「鳩」や、吸血鬼へのツッコミがいかにも氏らしい品格のあるユーモアを堪能出來る「極限の吸血鬼」など傑作がテンコモリの素晴らしい作品集です。
最初を飾る「墓碣市民」は或る場所へ越してきた私を語り手とする物語で、冒頭からいかにも日常のさりげない景色を淡々と描きながら、そのなかへすっと怪異を忍び込ませて讀者を「向こう側」へと誘う筆捌きは流石。
ここでは私が投票所に赴いた時に見かけた、背丈が二メートルもありそうな大男のことが語られます。投票所でその異樣な男に氣がついているのは私だけ、というところから、果たしてその男の正体は、……というふうに物語は進むのですが、語り手が異界へ足を踏み入れようとする寸前でこちらに引き返してきて幕引きとなる、という構成がいかにも怪奇幻想譚らしくて完全にツボですねえ。
この構成は續く「冥府の犬」も同樣で、これまたある土地の景色が淡々と描かれるところから始まります。氏の作品の登場人物は總じて大人しく、どんな異世界が目の前に現出してもアワアワと取り亂すことはありません。
語り手の私は路地に見つけた洋食屋で食事を濟ませてその店を出るのですが、店先で見かけた犬がこの物語のキモ。再びそのシェパードを道の眞ん中で見かけた私は、……。隨筆ふうに淡々と進む話の最後に、異界の使者であるシェパードがぞっとする妖氣を放っていて、このあたりのさりげない描写は本當にうまいなあ、と思います。
「角の家」は少しばかり趣が違って、近所に建った家に越してきた住人を気に掛ける私の話。一風變わっているのは、語り手の私の中ではその怪異があたりまえのものとして物語が成立していることでありまして、果たして語り手が狂っているのか、それともこの物語の世界がそもそもおかしいのかという點がなおざりにされたまま話が進むあたりに、奇妙な味わいを感じさせる佳作。これを文章力のない作家がやったら單なる莫迦話に堕してしまうところですが、ひとたび氏の巧みな文体で描かれると何とも奇妙な小噺に化けてしまうのですから不思議なものですよ。
奇妙な小噺という點では「壁の男」も同樣で、入院した私を語り手に据えつつ、病室の壁に描かれた落書きが人型になって私の前に立ち現れて、……という話。事件らしい事件は発生せず、ただ私の身邊が怪異とともに描かれただけの短篇なんですけど、最後の終わり方といい、何ともいえない餘韻を殘すこれまた佳作でしょう。
「鳥雲に入る」も、「冥府の犬」と同じく、異世界へふと足を踏み入れてしまった男の小噺で、ここに主人公の郷愁を交えて手堅く纏めているところがいい。
で、本作に収録された作品のなかでは、ぞっとするような怖さを交えつつ、最後の幻想的な情景が美しい「鳩」が頭ひとつ拔きんでていますねえ。
これまた病院に入院した私が語り手でありまして、院内の古參看護婦と若い看護婦たちとの確執を遠卷きに眺めつつ、若い看護婦たちのぞっとするような振る舞いを描いた作品です。
最近この病院にやってきた若い看護婦たちは當に天使の微笑をもって私たち患者に接しているのですが、その裏では教会の十字架に黒いシャツをかぶせたりといった悪魔的な惡戲をしている。果たして彼女たちは天使なのか悪魔なのか、……という問いかけを添えつつも、作者はここで看護婦の正体を天使悪魔といった相反するもののいずれかに峻別することはせず、そのあたりを曖昧にしたまま最後の幻想的な情景の中へその答を委ねて物語を締めくくります。
作者の作品に顯著なのは、聖と俗或いは信仰と冒涜といったような相反する事柄に敢えて嚴密な線引きを行わず、そのあわいに現出する事象を端正な文体で描き出すところでありまして、ことはじめからその世界には相對するものがお互いにぶつかりあうような事柄は発生しないがため、必然的に大仰な出來事を排除した噺へと纏まる譯です。そこに「事件」は存在せず、ただ世界の事象のみが、時には語り手の主觀を交えて淡々と描かれるに過ぎません。この作者の作風はこの「鳩」に特に顯著であるように思います。
で、以前山田正紀の「妖鳥」を取り上げた時に言及した日影丈吉の作品というのがこれでありまして、この物語の最後に見せた看護婦のぞっとするような振る舞いは、「鳩」に登場する若い看護婦たちに通じるものがあるんじゃないかなあ、と思うのですが如何。
「極限の吸血鬼」は、作者の品格あるユーモアを堪能しまくれる佳作。吸血鬼だということで村人から袋だたきにあって殺された祖父を持つ、クレイグという青年が主人公で、舞台は吸血鬼といえばお馴染みのルーマニア。
クレイグは日本人の女性に惚れてお互いの将来を誓い合うのですが、クレイグに惚れた莫迦女が登場し、その莫迦女に惚れた男が勝手にクレイグを戀敵に認定、決闘を挑んできたからさあ大變。果たしてクレイグはこの決闘に破れて死んでしまうのですが、吸血鬼として復活し、……という話。最後の最後、果たしてどうなるのか、と思わせておきながら寸止めで幕引きとなる結末がこれまた面白い。また最初の方で吸血鬼の講釈を垂れながら、そのセオリーにいちいち軽いツッコミを入れるのが何とも笑えるんですよねえ。
その他、未收録作ということで、「ヨハンの大きな時計」があるのですが、これまたいかにも味わいのある大人の童話。
日影丈吉というと處女作の「かなむぎうた」しか思い浮かばないという方もいるかもしれませんけど(實際、怪奇探偵小説名作選のタイトルもこれだし)、いずれも味わいのある怪奇幻想譚ばかりで、晩年にしてますますその深みを極めた短篇を集めた本作もまた、作者の妙味を堪能することが出來るも素晴らしい仕上がりです。おすすめ、なんですけど、アマゾンで調べた限りこれも絶版ですか。早川の文庫で復活は、……これまた絶望的でしょうかねえ。