台湾にもミステリ雜誌はいくつかありまして、自分が定期講讀しているのはこの「野葡萄」。誌面の内容はというと、ミステリ一邊倒という譯では決してなく、日本の雜誌でいえば、「ダ・ヴィンチ」と「月刊カドカワ」を合わせたような雰圍氣でしょうか。
以前は單行本ほどの大きさの小振りな雜誌だったんですけど、最近になってA4サイズになって誌面も少しばかり刷新されました。かつての小振りなサイズの頃の方が創作小説も多く取り上げられていて、ミステリ關連の記事も多かったような氣がします。
現在はメジャーになった故か、野暮ったい文藝雜誌という雰圍氣はすでになく、本に關する樣々な話題を取り上げた毎號の誌面は綜合雜誌の趣さえ感じさせます。自分としては昔のややマニアに振った誌面の方が好みだったんですけど、まあ、多くの讀者にアピールするには、こういう内容でいくしかないんでしょうかねえ。
たいてい表紙になっている俳優なりアーティストなりのインタビュー記事があり、誌面の殆どが新刊雜誌の紹介で占められているあたりが「ダ・ヴィンチ」っぽいですよ。
ミステリファンとして氣になるのは「推理野葡萄」という毎號の特集記事でありまして、新刊本の批評に始まり、台湾の推理小説研究會の研究報告や對談などが掲載されています。
ここに取り上げた2004年九月號の表紙はモデルにして女優の林志玲。つい最近まで台湾親善大使をやっていた彼女の顏をテレビで見たことがあるという人もいるかもしれません。で、この號の推理野葡萄では、昨日取り上げた藍霄の「錯置體」の批評が二つと、「關於推理小説創作的兩、三事」(推理小説の創作に關する二三のこと)という、藍霄自身の手になるエッセイも収録されていて、さながら「錯置體」祭の樣相を呈しています。
この號に「錯置體」の批評を書いているのは杜鵑窩人と冷言の二人なのですが、彼らは精力的に「野葡萄」へ論評を書いており、台湾ミステリを語る上では欠かせない主要人物。機会があったら杜鵑窩人と冷言の二人についても何か書こうと思います。
で、二人の「錯置體」の批評の焦點は、最後の最後に明かされる犯人の名前に集約されておりまして、正統的な本格推理小説を書いていた藍霄の作風はこの作品で變わってしまったのか、とか、餘りに意外性を狙いすぎた為に過去の作品に比較してフェアプレイとロジックがこの作品では捨てられてしまったとか、まあ、そんなことが述べられています。
台湾ミステリの掲示板などを見ても、この點に關しての意見は分かれるようで、最後に明かされる犯人の意外性にはガッカリ、という意見もあれば、その一方でこの作品は犯人の意外性よりは、犯行方法や様々な事件の繋がりが解明される過程の面白さを狙ったものであり、その點に關しては充分滿足という見方もあるようです。
因みに自分は後者で、確かにフェアではありませんけど、この作品は眞犯人の姿も含めて變格ミステリの範疇で評價される作品ではないかと思っておりまして、件の眞犯人についてはノープロブレム。冷言氏が述べている通り、中盤、藍霄が受け取った、妄想幻想としか思えないメールの内容を推理していく過程は相當に面白く、自分としてはこの部分だけでも傑作と認定したいくらいですよ。
「野葡萄」が軟派だとしたら、「推理雜誌」という激硬派の雜誌も台湾にはあるんですけど、こちらについてはまた今度、ということで。