スミマセン。本作を莫迦にしていた自分が本當の莫迦でしたよ。
第5回本格ミステリ大賞の候補作のなかで唯一讀んでいなかった本作ですが、理由は單純で、横山秀夫は自分のなかでは本格ミステリの作家という認識がなかったのですねえ。しかしこれが實際に讀んでみたら、あらあら、「生首」以上に本格ミステリの定石を踏まえた傑作でありました。
以前は「生首」こそが本格ミステリ大賞にふさわしいといいましたけど、ちょっと本作を讀んで考えが變わりましたよ。本作の方が大賞にふさわしかったのではないでしょうか、……ってもうとっくに終わったイベントにコメントしても仕方がないんですけどね。
ただ本格ミステリ大賞という括りを拔きにして、自分のミステリ観だけを基準にして見た場合、候補作の中で一番の傑作が「紅楼夢の殺人」というのは變わりません。要するに歴史的意味のある作品はどれかといったらやはり「紅楼夢の殺人」が一番でしょう。
で、自分のなかでのランキングとなるとこんなかんじ。
一位 「紅楼夢の殺人」
二位 「蛍」
三位 「暗黒館の殺人」
四位 「生首に聞いてみろ」
五位 「臨場」
何だか、自分的ランキングは全然逆になってしまうんですけど、正直、三位から五位間に大きな差はありません。やはり「紅楼夢」と「蛍」の二作がこのなかでは際だっていると思います。
さて、長い前置きになってしまいましたが、本作は本格ミステリのメルクマークのような作品であります。
ミステリ、というよりは推理小説という言葉が相応しい。現在あるミステリの中で語るより、土屋隆夫とか、あの時代の良く出來た推理小説の直系に思えるのですが、どうでしょう。
短編集ではありますが,倉石という、かなり癖のある検視官が全編を通じて登場します。物語はそれぞれ彼の周囲にいる警察組織の人間を狂言回しにして進みますが、本當にこの人物描写が土屋隆夫を髣髴とさせる、よく出來た推理小説のようなんですよ。ただ、今の若いミステリファンが讀んだらちょっと古くさく感じるのでは。
それでも「赤い名刺」や「鉢植えの女」の話の進め方は完全に本格ミステリのそれですし、法月氏や有栖川氏でも、この枚數で、本格ミステリの基本定石を踏まえつつ、ここまで人間を描ききることは出來ないのでは、……というか、「人間を描く」、これこそが本作にあって有栖川氏や法月氏の短編にないものでして。
しかしこれをくだくだ述べると、綾辻氏が登場した當時の、辟易するようなアノくだらない論争を蒸し返すことになりそうなので、ここではあえて多くを語りません。とりあえず新本格が「捨てた」ものが本作には殘っている、とだけいっておきましょう。
本作ですか、ミステリとしてもなかなかに贅澤なものでして、短編ひとつひとつの中では事件がひとつ、乃至は二つ発生するのですけど、そのほかにも倉石と登場人物との會話のなかで、ほかの事件がネタとしてさらりと語られたりするのです。このネタだけでももうひとつ短編が書けるのに、なんて貧乏性の自分は考えてしまうのですが、このあたり、作者は豪氣というか何かというか、凄いですねえ。
皆が既に指摘しているとおり、最後の「十七年蝉」のような明らかにミステリではない作品も含まれています。しかし短編としての完成度はそれぞれに高く、一册の本としての価値は非常に高いと思います。傑作でしょう。
「紅楼夢」はダメ、でも「生首」はイイ、という人はきっと気に入ると思います。