ミステリではないし、自分にとってはまったく畑違いの小説なのだけども、手に取ってしまいました。というのも、酒鬼薔薇事件を題材にした物語だから。はい、當然のことながら「赫い月照」と比較するだけの為に購入した譯です。
この作者のことはまったく知らなかったのですけど、三島由紀夫賞や野間文藝新人賞などの候補に挙げられているところを見ると、純文學の文脈で語られるべきひとのようです。だとしたら、ミステリでは酒鬼薔薇事件を取り上げたということで非難囂々、一部では散々なことをいわれている「赫い月照」と比較して、純文學ではこの事件を取り上げた小説はどのように評價されているのか、というのが凄く興味のあるところです。
まず結論からいってしまうと、酒鬼薔薇事件を取り上げたといいつつ、どうにもこの事件が物語のテーマに絡んでいるようには見えません。この物語は、事件が発生し、酒鬼薔薇が逮捕される前と後で展開が變わるという仕掛けになっているそうなのですが、自分にとっては、前も後ろもそれほどの違いがあるとは讀めませんでした。何故?
物語の方は何だかノッケから鬱々とした虐めのシーンから始まり、あとはもう書き割りのなかのダメ人間たちが、ブルセラだの援助交際だの、薬だの、家庭内暴力だのといった陳腐な現代風俗のなかで己のダメッぷりを延々と演じるばかりで、特にそのダメ人間っぷりが激しいのが、ヒロインと対になっている雅也という男。母親には好き放題に暴力をふるい、自分がダメなのはすべて親のせいにするという體たらくで、自分が天才と認めるアーティストの曲を聽けば自分も天才になれるような氣がすると錯覺し、酒鬼薔薇に共感しては彼の狂人が残した陳腐な台詞を口ずさみ、ヒロインには迷惑メールを送りつけ、最後はビルの上からダイブしてジ・エンドというどうしようもない輩です。
この雅也の親も親でどうしようもなければ、ヒロインの周囲にいる母親も愛人もダメダメ。学校の教師も生徒のブルセラ援交を見つけてはそれをダシに自分も女生徒とあんなことこんなことことしてみたいと考えているようなダメっぷり。
とにかくそんな輩が入れ替わり立ち替わり、自分たちのダメっぷりをこれでもかこれでもかと見せつけてくれます。いずれの登場人物たちも、陳腐な風俗のなかに埋没して自己主張の缺片もないようなダメ人間ばかりですから當然共感できるキャラも不在で、最後まで物語にノることは出來ませんでした。
それにカタルシスも何もない展開がやりきれなくて、讀み終えたあとには何も殘りません。というか、もう讀み返したくないですよ、こんな小説。
で、問題はこれが駄作なのか傑作なのかということです。直木賞作家の重松清が絶贊しているのだから傑作なのでしょう。しかし自分は認めたくないですねえ。重松氏は解説で、酒鬼薔薇事件を本作が取り上げたことにふれて、
時代のエポックとなってしまった現実の事件を、たとえ遠景とはいえ物語に導入し、なおかつ時間軸の折り返し点におくというのは、きわめて魅力的な仕掛けであると同時に、じつに怖いことでもある。もしも書き手の側に安易な姿勢があったら、それはたちまち、——おとなの読み手より、むしろ若い読者に見破られてしまうだろう。あるいは、たとえ眞摯に挑んだとしても、そこに「論」の高みに立つ臭みが覗いてしまうと、これまた小説がただの現実の絵解きになってしまう。……
とか書いていて、現実の事件を現実のまま取り上げた作者を絶贊しているのですけど、……うーん、現実の事件ひいてはこのような事件が起こった現実に対峙しようとした志は「赫い月照」の方があきらかに上回っていると思うんですけど、自分の讀みが足りないのでしょうかねえ。だってこの小説に書かれている出來事ってすべてが陳腐ですよ。少なくとも自分はこういう陳腐な世界に共感してしまうような感性は持ち合わせていないので、本作を堪能することは出來ませんでした。マスコミが垂れ流した陳腐な現代風俗をそのまま自分が生きている現実として容易に受け入れることが出來て、その陳腐さに共感出來る人にとっては傑作なのでしょう。自分はダメです。