GW中に、「リセット」なんていう鬱な小説を讀んでしまったので、ここ數日は小説から離れていました。リハビリには軽いものを、ということで本作を今日一氣に讀んだ次第です。
本作は辻真先の超犯人シリーズの二作目。スーパーとポテトの二人が探偵というのは一作目となる「仮題・中学殺人事件」と變わりありませんが、今回も幕間に作者が登場するあたり、本シリーズの仕掛けが冴えています。
前作はアレ系の仕掛けが「犯人は讀者であるあなたである」という捻りとなってメタ・ミステリしていましたが、本作は寧ろ正統的なアレ系のミステリの特徴を前面に押し出した仕上がりになっています。テーマは「作者は被害者で、犯人で、探偵」というフランス・ミステリの某作品を髣髴とさせるもので、それをアレ系の技で見事に纏めています。とはいいつつも、超犯人シリーズのひとつですから、單純なアレ系の仕掛けだけで終わる筈がありません。
そしてアレ系、といってもその技は物語の最後ではなく終盤にえっ?というかたちで出されるので、當に面食らってしまいましたよ。これは既に出盡くした技なので、ミステリ好きには意外と見破られてしまうかもしれません。しかし自分の場合、何か仕掛けはあると思いながらもこんな單純なかたちで作者がこのテを出してくるのは思っていなかったので見事にやられてしまいました。
さて、物語の主題となるスーパーとポテトのミステリの方ですが、こちらは意外と普通の話です。ノッケから「鬼鍬村温泉縁起」と題して地方訛りの昔話が語られ、正史チックな雰圍氣を釀し出そうとしているんですけど、これが見事に空回りしていてちょっと笑えます。というか、辻真先のミステリに正史のようなおどろおどろしい探偵小説を期待する方が間違いであって、ここは鬼だの閉鎖的な村だのといった正史的なアイテムを開陳しながらも輕妙な物語に仕上げている作者の風格を寧ろ評價すべきでしょう。この輕さこそが作者の持ち味なのですから。
事件は密室らしくない密室というかたちで語られるのですが、被害者や事件現場の奇妙な點を指摘して犯行方法を推理するところはよく出來ています。しかしそこにメタ的な要素を絡めて、作者は探偵の推理を最後の最後でひっくり返します。このあたりがこのシリーズの醍醐味でしょうか。とにかくこのあたりの強引な捻り技が半端ではありません。
それと本題とは關係ないのですが、七十年代の少年が夢中になった懷かしいアイテムが散見できるのも、本作の魅力のひとつでして、例えば短波ラジオとか(中学時代、自分もTRIOの短波ラジオで短波放送を聞いて、ベリカードを蒐集していたという恥ずかしい過去があったりする)、或いはモービル・ハムとかそんな言葉が登場します。まあ、それだけ時代を感じさせる小説だということです。
前作と同樣、メタな捻りにアレ系の要素も加えた鵺のようなミステリ。キワモノが好きな方にはおすすめです。
take_14さん、こんにちは。
何というか、キャリアが長い方の方が好奇心が強いんですかね。前にもちょっと書きましたけど、島崎博氏もミステリにおける萌えとかに興味があるようですし。それと辻真先氏のサイトを見ると、とにかくあらゆるものに全肯定の態度で挑んでいるんですよね。このあたりが自分のような素人とは大きな違いで(^^;)。