門井氏の最新作。内容はというと、タイトルにもある通り、市立図書館のレファレンスカウンターに勤める主人公たちが「おさがしの本」を見つけてあげるという、いうなれば「それだけ」の物語。本ネタで本を探すというと「配達あかずきん―成風堂書店事件メモ」みたいな、ユルーい日常の謎ネタなんじゃないノ、なんて先入観を持ってしまう譯ですが、本作の優れているところは、「本を探す」という行為へ下手に「事件」を重ねて本格ミステリだ日常の謎だと気負うことなく、本搜しの魅力に注力してみせた、――いうなれば引き算の美學が際だっているところではないでしょうか。
収録作は、女子大のギャル娘が探している本に「シンリン太郎」という定番ネタを添えて、軽やかなペダントリーから構図を紡ぎ出してみせる「図書館ではお静かに」、爺さんがその昔児童図書館に置いてきたという「赤い富士山」の真相が日本人の感性に訴えかけるあるものとあるものとを美しく連關させる「赤い富士山」。
図書館の存亡に絡めて投げかけられた頓知クイズに精緻な衒学をもって挑む「図書館滅ぶべし」、亡くなった爺さんがその昔、図書館からガメてきたという本の真相とは「ハヤカワの本」、そして図書館存亡を賭けて「水と油」をつなぎ合わせた豪腕ロジックを開陳した主人公の活躍を描いた「最後の仕事」の全五編。
「図書館ではお静かに」の一編を読んだだけでも、その文章の醸し出すユーモアと独特のやさしさを湛えた空気感に思わずため息をついてしまうのが門井ミステリの素晴らしさでありまして、主人公の、斜めに構えながらも小市民的ではない、端然としたキャラ設定も見事で、彼とギャル娘との掛け合いに定番の「シンリン太郎」ネタを絡めているところもたまりません。正直、この軽妙なやりとりだけでも十分に面白かったりするのですけど、そこに氏ならではのペダントリーを添えて、謎かけを行った人物の眞意を繙いていくという推理の見せ方が秀逸です。
本編では、推理の結果として明らかにされる構図よりは、むしろ推理を行うという行為そのものが謎かけの眞意を現しているというある種のずらしを伴った真相を、いきむことなく軽やかに流してみせます。
これが「とにかくとにかく書店員様の活躍ぶりを描きたいんダイッ」というような企図のもとに書かれたのであれば、シンリン太郎ネタにある種の「事件」を添えてギャル娘と主人公がテンヤワンヤ、――というふうに転がっていくのでしょうけど、決してそうしたドタバタに逃げることなく、真摯に「本を探す」という行為一点に集中して、物語を構築してみせたところが素晴らしい。
門井ミステリではお馴染みのペダントリーなのですけど、「パラドックス実践 雄弁学園の教師たち」を取り上げた時にも述べた通り、門井ミステリの場合、開陳されるペダントリーはあくまで推理の端緒に過ぎず、本当の見せ場は推理によって明らかにされる構図にアリ、と考えている自分としては、収録作中一番のお氣に入りを一編挙げろといわれれば、「赤い富士山」になるでしょうか。
表紙イッパイに赤い富士山の描かれた本、というタッタそれだけのヒントから、目的のブツにたどり着くまでの過程が書かれていくのですけど、ここで謎の実体としてフォーカスされていくのが「赤い富士山」。爺さんのいう「赤い富士山」の正体を明らかにしていくプロセスで捨てられる推理も面白く、その正体が明かされた刹那にその過程で捨てられたものと真相の二つが「憧憬」と「讃仰」という言葉によって連關され倂置されるという構図が見事に決まった一編です。
「図書館滅ぶべし」は難敵から出された頓知に主人公たちが精緻なペダントリーを驅使して挑むという一編ながら、その推理の過程で非常にシンプルな「ずらし」をフックにしながら、目的の本へとたどり着くという展開も軽妙で素晴らしいのですけど、ここでは難問クイズの樣態に相反して、目的のブツが存外に軽いものだったというミスマッチがキモ。このあたりから連作短編として全体を貫く図書館存亡という裏テーマが明らかにされていきます。
「ハヤカワの本」は、収録作の中ではもっともペダントリーがあからさまな形で提示されているものの、ここでは次の「最後の仕事」へと繋げるための関連人物の整理という意味合いが強いように感じました。で、タイトル通りの「最後の仕事」は、図書館廃止贊成反対と眞っ二つに割れた議會に対して主人公がまさに「水と油」というべき二つのものを結びつけてディベートへと挑む、――という話。
本編で開陳される弁舌は「パラドックス実践 雄弁学園の教師たち」に収録されている「パラドックス実践―高等部」を彷彿とさせる面白さで魅せてくれます。また、この弁舌とそれを支えるロジックがその構図を際だたせるためというよりは、寧ろ主人公を取り巻く登場人物たちを大團円の舞台へとあげるための趣向になっているところにも小説的なうまさが感じられます。
上質なユーモアと演劇的な風格さえ感じられる台詞回しなど、何だか三谷幸喜あたりが映画化したら面白いものになるんじゃないかナ、なんて感じてしまうほどのやさしい雰囲気溢れる幕引きもいうことなし。というわけで、ミステリとしては派手じゃないし、バッサリいってしまえば、「ただ本を探す」だけのお話で、事件といえるほど大仰なものはナッシングという風格ゆえ、たとえば呪いの短劍で喉笛を掻き切られてやれ心靈現象だ呪いだ何だとボンクラワトソンが喚き立てなきゃミステリにあらず、みたいな原理主義者にしてみれば、まったく許せないほど地味ダメな一冊といえるかもしれません。しかしまア、このあたりは完全に好みでしょう。
「パラドックス実践 雄弁学園の教師たち」に比較すれば、奇天烈な舞台設定に頼らずに普通小説を装っている本作の方が、ミステリ読みのみならず普通の本読みの方にも手にとってもらえるのではないでしょうか。「人形の部屋」ような濃厚さはないものの、むしろほのかなユーモアと軽さが好印象な一冊で、門井ミステリの入門書としても広くオススメしたいと思います。