アマゾンでブッキング版のレビューとかを見てみると、とにかく「切なくて涙がとまらない」みたいな感想が並んでいるゆえ、佐々木ワールドを一種の「キワモノ小説」として讀んでいる自分としては複雑な心境だったりするのですけど、本作も「忘れな草」に負けず劣らずのハジケっぷりで、個人的には大いに堪能しました。
内容の方は、――というか、この孤児シリーズの結構は何だか基本的に同じのようで、孤児としてとある家にもらわれていった娘っ子がその家で男のひとを好きになってしまい、その感情をもう心の底に押しとどめておくこともできすに、「好き好き大好きッ」というかんじで抒情ポエムの真言を唱えつつ、地元企業の後継者争いに巻き込まれていく、――という話。本作のヒロインもその造詣は「忘れな草」のキャラをほぼ継承しており、プロットの方も上に述べた通りそうそう違わないとあれば、大方の内容は想像できるのでは、と推察されるものの、本作は「忘れな草」より遙かに讀みやすいところがアピールポイント。
この讀みやすさは、ミステリ的な結構をあえて退けて、娘っ子の激情ラブ・ロマンスという佐々木ワールドのテーマを中核にドッシリと据えながら、件の娘っ子のライバルを四人も配して家族と恋愛をネタに昼ドラ的な分かりやすい物語に纏め上げているゆえでしょう。
このヒロインがもらわれていった家でひどいイジめにあう、というのは期待通りながら、本作ではただひたすらイジめられていく譯ではなく、例えば物語の前半、唐突にこのライバルとなる姉妹のひとりが暴漢によってレイプされてしまうという壮絶な展開があったり、あるいは「好き好き大好きッ」が昂じて女たちからモテモテのボーイが婚約すると決まるや、そのうちの一人は発狂してしまったりと、いくら好き好きでもこれだけ激しい娘っ子たちが揃いも揃ってキ印ワールドへ片足を突っこんでの大立ち回りを全編にブチ込んでみせた構成は、個人的には完全に「こっち」の物語。
また、ポエムを吟じて悦にいっているヒロインが時としてその黒い心をザワザワさせて呪詛の言葉を吐き散らすあたりは、「わすれな草」のヒロイン像をシッカリと継承しているとも推察され、そのあたりを上にも挙げた暴漢に襲われるシーンから引用すると、野郎どもにレイプされかかっているライバルを助けもせずにニヤニヤと眺めながらヒロインが嘯いてみせる独白がこれ。
ひざをかかえて見あげる空に父と母が映った。私はやっぱりあの人たちを恨んでいたのだろうか。だとすれば恨みのこうじかびは今発酵した。ふつふつと瓶の中で涌きあがり甘くて苦い濁り酒となる。私の十五年間の涙でわった濁り酒、お父さんお母さんどうぞ一気に飲み干してください。
とレイプされるライバル娘を肴に妄想の濁り酒で乾杯、と杯を天高く掲げてみせれば、レイプされた女にたいしても、その復讐心を露わにして「十五年間のささやかなお礼よ、いかがかしら?」と嘯く始末。さらには相手が自分の焦がれているボーイからフられたと知るや、
いらっしゃい、奈津子さん、二度目の地獄につき落としてあげる。あなたが恋焦がれて叶わぬ人は、あなたがゴミのように扱ってきた私を愛している。私はシンデレラ。今この一瞬にあなたは地獄へ、私はパラダイスへ。濁った悪魔の心臓をいっぱい刺してあげる。
と勝利宣言。このヒロインのあまりの黒さにはタジタジとなってしまいます。
とはいえ、ホの字のボーイに対してはもう完全に佐々木ワールドの住人の定石通りにメロメロで、ときにこのボーイが重力とか経済とかの知識を色々と授けてくれるのですけど、それにたいしては「あなたの声がしみ入ります」「あなたがくれる学びのレンガは私の青春を構築します」と恋愛というよりはほとんど崇拝ともいえる恋心を吐露しながら学習意欲のお盛んな自分をしきりにアピールしつつも、ボーイが一生懸命、人間の本質と政治経済の講義をしている最中に、そのなかのたとえで「昭菜を連れて山の中へ逃げて、木の実や川の水での十分生きていかれる」なんてことを口にしようものなら、その後に出てくる一番重要な「まとめ」についてはそ「のあとの言葉は何も聞こえなくなった。ただのたとえ話でも甘く矢が刺さった」と完全に聞き流してしまうというていたらく。
そして自分の恋心のみならず、ライバルの「好き好き大好きッ」という心情を語るときでも「もし一人の女の情念が完全に燃焼し、その火柱が天空を焦がし、灰となり雲となり心の塵となり、やがて白い雪となって大地に降りそそぐなら、私は雪であり冬であり氷そのものなのです」と何だか聖書でも読んでいるかのようなたとえ話によって抒情曼荼羅が構築されていくという佐々木ワールドの壯絶メルヘンの激しさをイッパイに堪能するのも吉、でしょう。
そのほかにも「私は氷。運命に溶けてしまうならいっそあなたの拳で打ち砕いてください」や、今回は「ベーゼ」はないものの、「口づけ」をしたシーンでは「星よ、月よ、遙かな銀河よ、運命の光を屈折し二人の愛のゆくえを照らすがいい」とシミタツも裸足で逃げ出すポエムを吟じれば、「哀しき愛の夢枕、過ぐる千歳の家と家。愛の吹雪を旅する私にせめて美しく咲け氷花」「貴方の鍵は春のかげろうのよう、大海を心細く流れる浮子のよう」「風は春をうたい心は愛をうたいます。貴方の春もさわやかでしょうか」「あなたの影と声に溺れてしまいそうです」「紅葉が一枚、また一枚、あの人の恋、この人の涙、札幌の空は美しき心の水模様」「叶わぬ愛に手を差しのべて禁断の垣根によじ登ろうとする。せめて雪よ、皮肉な命火の鎮魂歌となるがいい」「禁断のカプセルから発火した恋愛児たち」「雪が舞う、心が舞う、愛が舞う、私も舞ながら吹雪に散りたい」「この世の愛は一枚の花びら、咲いては散るのが男女の常ならば、私は独りで永遠の愛を口ずさみましょう」と、「愛の銅鑼」みたいな強烈な印象を残す真言はないものの、まだまだ引用出來るほどのニヤニヤ笑いがとまらないポエムがテンコモリゆえ、物語云々はおいといても、怒濤の抒情ポエムを拾い読みするだけでも十分に愉しめます。
前半の壮絶な虐めとヒロインの可愛そう過ぎる展開から、父母との劇的な融和やイジメていた娘っ子たちの、ヒロインと同じように運命へと翻弄されていくドラマなど、物語そのものにも読みどころは多く、ミステリ的な仕掛けがないとはいえ、昼ドラ的な結構によってシッカリと練り込まれた物語の強度は相当なもの。
果たしてこうした物語を「切ない」と感じるのがフツーの本讀みの感性なのか、それとも、こうしたかつての大映ドラマを彷彿させる「やりすぎ」ぶりと真言ポエムの乱れ撃ちにはどうしても苦笑してしまう自分のような讀み方は邪道なのか、――現代のスイーツ女の方々が本作をひとつのヒーリング(笑)として讀まれた場合、どのような感想を抱かれるのか、興味のあるところです。個人的には非常に讀みやすいこともあって、赤薔薇白薔薇が乱れ咲く曼荼羅ポエムに黒さも織り込んだヒロインの造詣など、「忘れな草」が愉しめた人には強くオススメしたい次第です。