収録作は「途上」「白髮鬼語」など定番ものながら、何故か「柳湯の事件」だけは記憶がなくて購入しました。足フェチ、覗き、頽廃願望、堕落趣味、奈落嗜好と將にジャケ帶にもある通りに「世紀末、惡魔主義」という煽り文句通りの逸品をコンパクトに揃えた一册です。
収録作は、アーティスト崩れのDV男が錢湯で女の死体を踏みつける快感をカミングアウトする狂氣「柳湯の事件」、プロバビリティの犯罪を暴き出す冷徹な論理が素晴らしい名作「途上」、親友から譯もなく忌み嫌われた擧げ句にコソ泥認定されてしまった男の奈落を描いた「私」、變人の友が暗號解読の果てに倒錯した愛へと覺醒する「白髮鬼話」の全四編。
この中でもっとも有名なのがおそらくは「途上」で、ネタが分かっていながらも今回再讀してみて探偵の紡ぎ出すロジックの素晴らしさと、徐々に野郎を追いつめていく展開のうまさに關心至極、やはり傑作だと再確認した次第です。
物語は道端で呼び止められた男が、友達の紹介でやってきた探偵から輕い調子で色々と質問を受けるのだけど、実はそこには探偵の企みがあって、――という話。とはいいつつ、視点は質問を受ける野郎に定められていて、最初は結婚の身の上調査みたいな輕い話かな、なんて油断していると、前妻のことを色々と聞きだしてくる探偵との驅け引きめいたやりとりがスリリングに展開されていきます。
探偵のロジックもステキながら、敵方となる「犯人」が前妻を論理で絡め取っていくプロセスが素晴らしく、特に乗合自動車の前の席に座らせるところには、この野郎のイカサマぶりと冷徹さが際だっています。「衝突の危険」と「感冒伝染の危険」という二つの危険をさながら綱渡りでもするかのごとく前妻を操っていくいくのですけど、そこに隱された矛盾を暴いていく探偵の推理も、この野郎の仕掛けた操りが狡知にたけているからこそ際だってくる譯で、このあたりのつくりこまれたうまさを堪能したいところです。
「柳湯の事件」は、突然やってきた青年が、錢湯の湯の底に女が死体があって、……と完全にキ印丸出しの告白をするのだが、という話。死体を足で踏みつけ、こねまわすという足フェチらしい谷崎惡魔王のエロ嗜好が炸裂した描写もステキで、個人的にはこの青年のDVというか完全に頭のネジがはずれたような女の扱いがもう最高。
戀人に対して行った折檻の内容というのが最後に女の口から語られていくのですけど、
その折檻の仕方が又非常に妙でした。たとえば私を圧さえつけておいて、ゴムのスポンジへシャボンをとっぷりと含ませて、それで私の目鼻の上をぬるぬると擦ったり、体中へどろどろした布海苔を打っかけて足蹴にしたり、鼻の孔へ油絵具をべっとりと押し込んだり、終始そんな馬鹿げた真似をしては私をいじめました。私がじっと大人しく玩具にされていると機嫌がいいのですけど、もし少しでも嫌がったり何かすれば忽ち腹を立てて乱暴を働きました。そんなこんなで、私はあの人と一緒にいるのが厭で厭でたまりませんでした。
ヌルヌル嗜好だっていうのはよく分かるんですけど、いったいどこのエロビデオかと苦笑してしまうような奇想ぶり。足フェチのほか、文豪のもう一つの際だった変態嗜好としてあげられる覗き趣味に關しては、「白髮鬼語」が秀逸です。
ヒョンなことから怪しい男女が落としていった暗號を解読し殺人が決行されることを知った奇人の友人に振り回される語り手の図、というところが二重の操りを描き出す仕掛けとなっているところが素晴らしい。
暗號を解読してコロシの行われる現場をようやく見つけ出した友人と語り手の二人がその樣子を覗き見るシーンがネチっこく描かれているところが流石谷崎、といったかんじで、このほかにも美女に首を絞められて殺されるという被虐趣味など、収録作中、頁數はもっとも多いながら、怪しい要素をテンコモリして語り手の視点から隱された操りを描き出した結構が秀逸です。
「私」は、理由もなく友人から嫌われ、擧げ句の果てにコソ泥扱いされてしまった男の語りで進むのですけど、この男のひねくれた語りに託して最後には奈落の構図が明らかになるという結構がいい。
簡單に纏めれば負け組男のボヤキ節というふうになってしまうような物語ながら、自尊心と倒錯した達觀が混交して狂氣へと近づいていく男の内省が恐ろしい。「途上」や「白髮鬼語」など、他の収録作に比較するとやや地味に感じられるものの、靜かな狂氣という点では非常に印象に残る佳作でしょう。
今の文庫にしてみたら薄いとはいえ、四百五十七円という安價なところも好印象で、改行の少ない文体は確かに今フウの小説を読み慣れた方にはチと辛いかと思われるものの、文豪とは思えない変態嗜好が炸裂した内容は怪しさもイッパイで存外に愉しめます。という譯で、昨年リリースされた中では最凶のダメミスである「本格ミステリ館焼失」に登場した馬鹿野郎の評論家みたいに「途上」を未讀の方には、この機会に、ということでオススメしたいと思います。