という譯で、ボンクラのプチブロガーとしては、柄刀一氏の新作「密室キングダム」は、傑作!と大きな声で言うことを躊躇ってしまう譯ですけど、一方、本格理解「派系」作家の首領などはこの作品を「首無」などと並んで、――恐らくは年末のランキング祭を頭においてのことでしょうけども、――「四つどもえの戦い」になると言っています。
要するにもう、讀まずしてこの作品を傑作であると宣言している譯ですけども、いったいどのような能力によって、作品を讀まないでもそれを傑作と判断出來るのか。「密室キングダム」という作品が内包している「後ろ向き」の本格と「前向き」の本格という側面に混乱して、二種類の「讀み」を併行して行うことすら出來ないボンクラとしては、是非ともこのあたりの超絶テクニックを學びたいという思いが強いのですけど、そのヒントになるかと思われる発言を見つけたので以下に紹介したいと思います。
それは山田正紀氏の「女囮捜査官〈4〉嗅覚」の解説でありまして、以下引用すると、
ちょっと自慢気に言うが、私はミステリーに関してはマニアである。マニアとファンの違いは、ファンはそのジャンルをただ楽しむだけであるが、マニアはそこに一家言あるということだろう。もしくは、理論を確立していると言っても良い。年季の入ったファンやマニアになれば、本の題名や作者名を見るだけで、それが面白いかどうか、ほとんど直感的に判断できる。それだけの読書経験は過去に積んでいる。このシリーズの刊行が始まった途端、私にはビビビと胸に迫るものがあった。
内容など見なくたって、「本の題名や作者名」だけでその作品が傑作であるかが分かるというのですから、これはもう殆ど神業に近い。しかし例えば島田御大の「嘘でもいから殺人事件」とか「倫敦と漱石ミイラ殺人事件」、或いは霧舎巧氏の霧舎学園シリーズなど、タイトルはちょっとアレでも傑作という作品もあったりする譯で、個人的には「本の題名や作者名」だけでその作品を傑作であるかどうかを見分けるなどマッタク不可能。
「密室キングダム」という題名にしても、「キングダム」なんて言葉は一歩間違えばかなり痛い語感でもあるように個人的に感じられるものの、これに「密室」という魔法の言葉を加えればいずれの作品も傑作になってしまう、ということなのかなア、なんて思ったりします。
例えば「密室キングダム」と同様に北海道を舞台にして、「セイッ、シッ!札幌よさこいソーラン殺人旅情」とか「旭山動物園もぐもぐタイムの殺人」なんていう脱力のタイトルでも或いは柄刀氏の作品であるというだけで、首領の神通力をもってすればその作品が傑作であるか否かも容易に分かってしまうのか、とか色々なことを考えてしまうのでありました。