カカシ様も吃驚、大鳥様まで唖然呆然。
傑作。シリーズ三作目にして現時點での最高傑作といえるのではないでしょうか。恐怖小説と本格ミステリの混交を目指した系統として見ると、ホラーの風格はシリーズ中もっとも薄めながら、その分本格テイストがいつになくテンコモリで、これだけ推理と騙しと仕掛けとどんでん返しで魅せてくれるとあれば、純粋に本格ものとしても愉しめます。
今回のキモはタイトルにもある通りに首無し屍体で、十年を隔てた殺人事件に男女含めて首無し屍体がゾロリゾロリ出てくるという、正に古典原理主義者のニヤニヤ笑いが止まらないサービスぶりにまず注目。
さらに妙チキリンな儀式の最中に事件が發生して、現場一帯が犯人の出入りも不可能な密室状態だったとあれば、これまた「密室」が三度の飯より好きという原理主義者も大満足、頁を繰る手も止まりません。
実際、前二作に比較すると、物語の記述者がいつもと違う為か、本作の文章は思いのほか讀みやすく、「厭魅の如き憑くもの」でその決して讀みやすいとはいえないネチっこい文体と大格闘したのも今は昔、とばかりにスラスラと讀めてしまえることにも吃驚してしまいましたよ。
正史を彷彿とさせる土俗的な因習が残る村を舞台に、雑魚キャラも含めてかなりの人物が事件に関わっているなか、首無し屍体が現場からゾロゾロ出てくるお話とあれば、事件の展開も古典よろしくボンクラ警察が關係者を集めてイチイチ聞き込みを行う展開が定番ながら、本作では事件の経過や現場の詳細については簡潔に纏め、個々人のアリバイについても冗長な聞き込み調査を大幅にカット、時間表に纏めて讀者に提示してみせるというサービス精神も好印象。
従って讀者としては必然的に、この村の怪しい因習や跡取り相續に絡めた動機面などの検証に集中出來る譯で、作中の結構には探偵小説が大きく絡んでいるとはいえ、登場人物が密室だアリバイだと大騒ぎする古典作品とはこのあたりが異なります。
前半、第一の事件が發生するまでに、村の因習とその曰くが語られてやや冗長に流れるものの、このあたりでさりげなくホラーの風味を交えて讀者を飽きさせないところも素晴らしく、事件の記述に力點をおきつつ、それを最後の眞相にシッカリと絡めてみせる稚氣も愉しい。
しかし本作最大の見所はやはり首無し屍体の大盤振る舞いにありまして、事件そのものに仕掛けられたトリックよりも、その「仕込み」の壮絶さにあるのではないでしょうか。そして最後に探偵が述べている通り、「実はたった一つのある事実に気付きさえすれば、綺麗に解けてしまう」という仕掛けの巧みさには戰慄さえ覚えます。
とはいえ、この探偵の言葉をそのまま鵜呑みすることも出來なくて、実際は後半の謎解きも、この「たった一つのある事実」に気づいた結果、真犯人をバッサリと指弾出來るような単純な構成では決してなく、語りに凝らした仕掛けによって、ここでも二転三転する「眞相」にはニヤニヤ笑いが止まりません。
そして眞相が探偵の推理によってそのかたちを變えていきながらも、「たったひとつの事実」を元に明らかにされた「眞相」は決して揺らぐことがなく、その外枠に凝らされた騙りの仕掛けによって讀者を翻弄してみせる手際もまた格別。
首無し屍体の「仕込み」をあからさまに描きながら、正に事件の發生したその時點に讀者の視線を引き寄せてみせる手法にも記述の技巧が光ります。これだけを見ても、密室だアリバイだと一つの事件に凝らしたトリックが明らかにされ、その結果として犯人が指摘されるというシンプルな作品とはその風格を大きく異にする譯で、その正史的な雰圍氣をたたえながらも、本作はやはり現代の本格といえるのではないでしょうか。
また前半部で語られる怪異が、首無し殺人のキモとなる「仕込み」によって明らかにされる徹底ぶりにも注目で、このネタを大きな軸にして壮絶な騙しを見せてくれる一方、後半に展開される怒濤の推理劇では、騙りに込めた仕掛けで眞相の着地點をグラグラと揺さぶってみせるところも素晴らしい。
本格らしい推理によって明らかにされる事件の眞相は、異世界に突き抜けてしまった大鳥様のそれに比較すると、結局は人間の所行にとどまるものともいえるのですけど、しかしそれゆえにこの徹底した「仕込み」が最後の推理によって明らかにされた瞬間の驚きは相當のもので、ここからさりげない描寫に隱された伏線がイッキに開陳される展開も冴えています。
上ではホラーテイストは今回薄め、と書きましたけど、それでも眞犯人が明かされた最後の最後、イッキにホラーへと転がり落ちる幕引きには大満足、「仕込み」から騙りに至るまでその精緻な仕掛けに本格ミステリの風格が濃厚ながら、その基本センやはりミステリとホラーの混交であることを感じさせます。
密室講義ならぬ「首の無い屍体の分類」が開陳されるところもマニアには堪らないところなのでしょうけど、こんなところにもシッカリと伏線を凝らしてみせる作者の意地惡ぶりも堪りません。
古典リスペクトを装った風格の中に、「仕込み」「騙り」「伏線」と本格ミステリとしての構築度も上げて、現代本格としての高度な達成を成し遂げた本作、オススメであることは勿論、今年リリースされた傑作の中でもマスト、といえるのではないでしょうか。讀みやすさも含めて格段に小説としての好感度もアップ、前二作からこのシリーズにはどうにもとっつきにくい印象を抱いてしまっている方も安心して讀み進めることが出來ると思います。
[05/02/07: 追記]
若干ネタバレになるので追記にてさりげなく。この讀者に「仕掛け」の存在を気づかせずに「仕込み」を行う手法がこの作品に似ているなア、と思ったのですけど、両作ともに正史的な雰圍氣でありながら、自分としてはやはり技巧面から本作をイチオシしてしまいます。本格理解者や古典原理主義の方とかはこの首無し屍体によって構成された事件の「外」にもうけられた、もう一つの大仕掛けをどう評價するのかにちょっと興味があります。
というのも、首無し屍体の眞相で開陳される仕掛けは、探偵の推理の後半部で本当の記述者が明かされる部分においても変奏されていることが分かります。フェアプレイを重要視する方々にこのあたりがどう映るのかなア、と。本作最大のキモはこの「仕込み」にあるのは勿論なんですけど、この後半部で眞犯人が二転三転する仕掛けも個人的にはツボでした。
いやはや傑作でしたね。三津田信三恐るべしです。
taipeiさんのご指摘で気づいたのですが、確かにムダに紙面を割く聞き込みやアリバイ確認が本書ではごっそりカットされてるんですよね。それでいて幕間まで使って惜しみなく情報公開してるので、「読者への挑戦状」はないものの、ある意味それに近いぐらいはフェアプレイな気がします。最後の最後の仕掛けがフェアか否かについては、事件自体とはまた別ですしね。
個人的には最後の“記事”三つが一番ニクい仕掛けで気に入っています。
この人はすごいと思いますよ。
表面的な装置とかは横溝なんでしょうが、その上でメタを絡めてミステリとして、もう一歩先の本格になっていますね。
最後にこれの本当のすごさが本格理解派のあの人にわかっているんでしょうか?
なんかあの人は表面しか見ていない気がします。
まあ、自分も深く理解しているかというと自信ないですが・・・。
まあ、本格理解「派系」作家にしてみたら正史フウに、おどろおどろしい雰圍氣で陰惨な殺人事件が起こればそれだけで大満足でしょうけど(苦笑)、本作の一番のウリってそこではないですよね。あるピースを嵌め込むことによって込み入った謎の「すべて」が明らかにされるというシンプルさと、最後のメタ的な趣向から恐怖が立ち上ってくる構造、さらにはその「仕込み」の仕掛け――個人的には正史的な雰圍氣より何よりこういったところにノックアウトされてしまいました。
本格理解「派系」作家の信念からしたら、後半のメタ的な趣向によってイッキにホラーへと流れる構造などは「フェアじゃない」筈で、ここに文句を言わずに本作を絶賛してしまったりするから、ますます本格理解「派系」作家の本音とは何なのかと頭がグルグルしてしまいます。
そうですよね。横溝的な道具立てだけに目が行ってしまうとそういう細かな謎解きに驚きますし、そこからのメタ的な仕掛けもいい感じですね。
確かに終盤になんにも言及していないのはなんでかなあと思いますね。まあ、カーの『火刑法廷』を許容しているからかもしれませんね。
今の本格って過去+αなでしょうね。それを過去の価値観で見ていると傑作の価値も過去どまりでしょうね。
最後にオカルトを導入するということでいえば、確かに「悪霊の館」もアレだったなア、なんて思いだしつつ、それでもやはり「首無し」の終盤に展開されるメタ的なアレは、本格理解者には許されるものなのか、とか色々と考えてしまいます。
笠井氏が数ヶ月前だったかの「ミステリマガジン」誌上で「アクロイド」絡みで言及していた内容などを鑑みるに、「首無し」のメタ指向は首領的には絶對にアンフェア、ということになると思うんですけどねえ。まあとりあえず本格理解「派系」作家連合の中では三津田氏は作品の正史的な外枠だけでも同志ということになるのでしょう(苦笑)。
なんか本格理解者の人は自分はオカルトになっても自分のを本格というならこれも許されんでしょうね。
なんか本格理解者の人は古い様式にしか目が行ってないような気がします。
今だったらそれに違うものも取り入れても本格として許容できると思うのですが・・・。