叙情曼荼羅、ポエム來撃。
「崖の館 」、「水に描かれた館」に續く館シリーズ最終話。「岸の館」に見られた本格ミステリ風味は「水に描かれた館」で幽霊譚となり、最後はイッタイどうなるのだろう、と期待と不安半々で讀み始めた本作、結論からいうとミステリからは離脱して完全にアッチの世界へ飛び抜けてしまいました。
ではそれが駄目かというと全然そんなことはなくて、寧ろ前二作の本格ミステリ的な結構によって描かれた物語世界にオトシマエをつけるにはもう、これしかありえないのではないか、という氣がします。
幻想ミステリというよりはもう完全に幻想小説というべき作品ながら、詩情の溢れまくった佐々木節によって描かれる物語は、先生のことが好きッ好き好き大好きッという怒濤のモノローグの分量も前二作を遙かに凌ぎ、メルヘンを愛する乙女は詩情溢れる佐々木節に眸をウルウルさせ、キワモノを愛するオジサンも少女趣味の裏に隠れたムッツリエロスを妄想しては思わずグフグフと忍び笑いを洩らしてしまう素晴らしさ。
メルヘンポエムを語りまくる主人公の娘っ子は子供の頃にとある屋敷に迷い子となってウロウロしていたところをそこのご主人に保護されます。以後、彼女はそのお屋敷で暮らすことになるのですけど、このお屋敷の女性たちはいずれもご主人にベタ惚れながら、ご主人を好きになると必ず不可解な死に方をしてしまう。
さらにこのモテモテボーイのご主人の過去には何やら秘密があるらしく、このお屋敷で日々女へと成長を遂げていく娘っ子も件の法則には逆らえず、ご主人に惚れてしまう。先生のことが好きッ好き好き大好きッ、という氣持ちが高まるばかりの娘っ子は過去の女たちと同様に殺されてしまうのか、……という話。
過去の女たちの死という「事件」は一応の謎として存在はするものの、それはあくまで脇の方に退けられたまま、物語は娘っ子が見る奇妙な夢や輪廻転生といったオカルトを軸に進みます。
ご主人が迷い子であった主人公の娘を引き取った曰くなどが明らかにされていき、やがてそれらは輪廻転生といったオカルトネタとともに、前二作の舞台となった館へと引き継がれていくのですが、後半、舞台を件の館に移してからの展開はもう完全にアッチの世界にいってしまっていて、「岸の館」や、或いは「水に描かれた館」に僅かながらも残されていたミステリとしての展開を期待していた人はここでもう、完全に置き去りにされてしまいます。
しかし前二作も含めた本シリーズの全貌がオカルトネタの大量導入によって明かされていく後半の展開は正に本作のキモで、とりあえずミステリ的なオチをワクワクして待っていた方には、舞台を館に移した後半部からはキッパリと頭を切り替えて臨んでいただきたいと思います。
とはいえ、館に辿り着いてから過去の事件についての推理がなされる展開には本格ミステリとしての風格がそれでも残されてい、探偵がお屋敷の人間關係を讀み解くことによって犯人を指摘していくくだりは、好き好き大好きッという怒濤のモノローグが地の文を浸食してしまっている本作の風格とは対照的。
お屋敷の中に存在する「家族の絆」を俯瞰しながら事件の眞相を見抜いていく推理の課程において、探偵は冷厳と人間心理を単純な公式圖式に當て嵌めてしまいます。輪廻転生の神秘に裏打ちされた娘っ子の戀心も最終的にはオカルト的なネタによって因果關係の説明がつけられるとはいえ、ここで明かされているオカルトを基盤に据えた論理と、この後半部に展開される事件解明のロジックには大きな差異があるように感じられました。
しかしそれがまた本シリーズの大きな軸である輪廻転生という大きな謎をより際だたせているように見えるところが秀逸で、本格ミステリにおけるリアリティの境界線の引き方によって本作の評價は大きく變わるのではないでしょうか。
個人的にはやはり主人公が館に到着してからのオカルトの大場振る舞いが最高で、最後の最後でアレを回避する為にアレを使う、という展開には完全に目がテンになってしまいましたよ。キワモノ的な視點で見れば、館の住人たちのアドバイスも完全にキ印のそれだし、それを一切疑うことなくアッサリと受け入れてアレしてしまう娘っ子の行動も常軌を逸しています。
とはいえ、全編に渡って大展開される好き好き大好きッのモノローグの奔流に完全ノックアウトされてしまった讀者はそこで冷静に考える余裕もなく、この怒濤の展開を受け入れてしまうより術はありません。
シリーズの結末にふさわしい幕引きにはキワモノマニアの自分も大感動、本格ミステリ的な讀み方を捨てることなく最後までこのシリーズに付き合ったとはいえ、十分に愉しむことが出來ました。
本格ミステリじゃないという不満を不思議と感じさせないのは、獨特の文体で語られるやりすぎメルヘンをやや斜めに構えて讀み進めていったおかげカモ、なんて考えてしまうのですけど、実際、冷静になってからこのメルヘン文体を讀み返してみると、
夜の海はごおうんと鳴ります。私たちの愛の銅鑼ですね。
私とあなたの愛も永い別離を割って咲きました。どうぞその微笑みを雪割草に。
海よ、崖よ、夢館よ、二人の愛の記憶をありがとう。
「二人の愛の記憶をありがとう」なんていう、演歌か何かみたいな言い回しはかなりアレだし、「愛の銅鑼」なんて壮絶な表現も常人は絶對に思いつかないものだろうし、その意味でもやはり作者は孤高の人だったのだなア、ということがビンビンに傳わってくる本作、ミステリとか幻想小説とかいうことは頭から忘れて怒濤の佐々木節を堪能するのが吉、でしょう。