戀愛、連結、煉獄。
昨日讀了した「首無の如き祟るもの」があまりに素晴らしく、その余韻が覺めやらぬゆえ、今日は路線の大きく異なる作品を手に取ってみようと考えた次第です。という譯で、今日はこのブログでは「怖い話(ミステリー)と短い話(ショート・ショート)」とか「指揮者」キワモノばかりセレクトしてしまっている結城昌治の大眞面目な傑作、「暗い落日」を取り上げてみたいと思います。
ロス・マクリスペクトのハードボイルドというのが本シリーズにおける一般的な賣り文句なのかもしれませんけど、本格マニアも十二分に愉しめる、――というか、そもそも本格ミステリのキモは怪奇趣味の横溢した物語や空前絶後驚天動地の密室トリックや超人探偵とボンクラワトソンの三文芝居とかでは決してなく、まずは何よりもその技巧と技法にありき、と考えているようなボンクラとしては、本作もやはりその伏線とミスディレクションの技法の巧みさから大いに評價したいところです。
物語の主人公は元警察の探偵真木で、資産家爺から失踪した孫娘を探してもらいたいという依頼を受けた彼が彼女の行方を追っていく、という話。探偵が行く先々で一癖も二癖もありそうな登場人物らに出會い、味のあるキメ台詞をさらりと口にしてみたりという、ハードボイルド小説らしい見せ場も添えつつ、物語は資産家爺の家族の慟哭を明らかにしていくという結構です。
やがてコロシが發生して、現場には失踪した娘っ子のブツなどがシッカリと残されているところから娘が犯人に違いない、みたいなかんじで進められていくものの、本格讀みであればこれがミスディレクションであることはもうバレバレ。
もっともこれは事件の記述者である探偵に向けられた仕掛けでもある譯で、このあまりにあからさまなネタに探偵がどう反應するのか、というあたりが讀者としては氣になってしまいます。
ここでも探偵は決してトリックも知らないボンクラに描かれているような譯ではなく、娘っ子が犯人なのか、或いは娘は既に何者かに殺されているのかもしれないという二つの軸をシッカリと備えつつ、探偵の捜査と推理は進められていきます。
本作の仕掛けはこの二つの軸を備えつつも、資産家爺の一族の系圖が徐々に明らかにされていくことによって、事件のキモとなる人物の視點から緩やかな傾斜を見せつつ、最後にはその人物とは陰陽の對をなす犯人の影が浮かび上がってくるという展開もいい。
この事件の因果に絡めた仕掛けに登場人物たちの人生因果を提示してみせるところが本作最大の見せ場でありまして、錯綜した事件の綾からとある人物の煉獄風景が現出した刹那にコロシの情景が一轉してみせるところは秀逸です。
そして全ての眞相が明かされた後、數々のコロシとその起點となった因果を探偵が回想してみせる場面が個人的には壓卷で、大団圓では超人ヅラをして自らの推理を開陳してみせる一方、犯人が全てのコロシを終了させるまではマッタクのボンクラ、という本格ミステリの古典では定番の造詣とは対照をなした、探偵真木のキャラもまた素敵。
資産家爺から仕事の依頼を受けた探偵が何故、今回の事件においては無力だったのか。事件の因果を絡めて語られる眞相の中で、やぶれさる探偵にはシッカリとその理由が明かされます。そしてさらに事件が集束した後、なおも探偵を無常の慟哭へと突き落とすダウナーぶりもいい。
何が一連の事件の引き金となったのかというところは、あくまで探偵の推測に委ねたまま、登場人物たちの連關を解き明かすことによって謎解きを行うことしか出來ず、畢竟、探偵は事件を引き起こした人間たちの内奧にまで立ち入ることは不可能、――という「探偵」の役割の不可能性から、本格ミステリにおいて人間を描くことの意味合いを考えてみるのも一興でしょう。
本作では事件の因果関係に絡めた仕掛けが前面に押し出されているゆえ、一人稱の記述で物語が語られるハードボイルドスタイルが云々というあたりは、再讀してみても思いの外氣になりませんでした。
寧ろ再讀してみて感心したのは、やぶれさる探偵的な真木の造詣でありまして、仕掛けの開示によって明らかにされる眞相が、そのまま探偵という役割の限界を現しているところ、でしょうか。
またこの無力というテーマが、事件のキモとなる人物の、決して變えることの出來ない因果な人生とも巧妙に連結していて、登場人物それぞれの煉獄風景を徐々に描きだしていくという後半の展開をより引き立てているあたりも非常にうまい、と感じました。
探偵真木と登場人物たちの味のある會話が、現代の小説に馴れてしまった今の自分には些かクサく感じられるところがアレとはいえ、後半のやるせない無常ぶりは「暗い落日」というダウナーなタイトルとも相俟って心に迫ります。ハードボイルドという大枠を忘れて讀んでも、その仕掛けを堪能出來る傑作でしょう。