御大呪縛、首領の改心。
本格理解「派系」作家の首領が自身のサイトで、あたかも「打倒!探偵小説研究会ッ!本格を理解する俺様が取り仕切って素晴らしいムックをつくりあげてやったぞッ!」みたいなかんじでリリース前から大々的にアピールしていたため、本格理解者の、本格理解者による、本格理解者の為の一册かと思いきや、いざ覗いてみるとその中身たるや存外にマトモで本格無理解者の自分は吃驚してしまいましたよ。
内容の方はというと、卷頭言に島田御大が「『本格ミステリー・ワールド』刊行にあたって」という文章を寄せておりまして、これが強烈。相對評價によって作品の優越を決めてしまうような、年末のランキング祭に疑義を唱えてみせる御大の姿勢には大變共感出來るんですけど、これ、業界的にはどうなんでしょう。
出版流通業界にしてみればあの毎年恒例のお祭は本を賣りまくる大事な大事なイベントである譯で、プロ作家がこれに異議アリ、と声を上げるにはかなりの勇氣がいるのではないかなア、なんて考えてしまうのですけど、ここではランク付けはしないけどとりあえず毎年の選出行爲はシッカリと行いますよ、という妙案によってそのあたりはうまく切り拔けているようにも思えます。
もっともこのムックがつくられることになったいきさつに首領の暗躍があったのは皆さんご存じの通りで、このあたりを軽く引用すると、
優れた本格小説の姿勢が正しく後進に示されないと、良い本格の新作が誘導されないから、ジャンルは振興鼓舞されない。また理由はどうあれ、「屈折」が、示されるべき本格サンプルの提示を妨げているのなら、これはそのまま本格振興の妨害である。二階堂黎人氏がこうした状況に非常な不満と、憤りに近い感情を抱いてきたことは理解できるし、同意的にもなれる。他の二氏も、おおむね思いは同樣であろう。
と、「魔術王事件」や「カーの復讐」が本格ムラで評價されないのは納得がいかない、という首領の不満をシッカリと代弁してくれている御大の優しさと懷の深さに、ボンクラの自分などはある種の感動さえ覺えてしまう譯ですけど、今思えば首領も初めから「容疑者Xは本格ではない」とか妙チキリンな議論をブチあげずとも、自分の作品がランキングに入らないのはおかしい、と素直にカミングアウトした後この「本格ミステリー・ワールド」をたちあげていれば、これほど世間の風當たりも強くなかったのではないかなア、なんて思うのですが如何でしょう、……ってもう結果論なので今更いっても仕方ないですか(爆)。
で、やはり氣になるのは、一番のウリとなる「黄金の本格ミステリー」をどのように選出したのか、その議論の中身を知ることが出來る座談會「読者に勧める黄金の本格ミステリー」でありまして、選出者は、首領、小森氏、つずみ氏という、本格理解者の黄金三羽鴉とでもいうべき御三方。
確かに首領の「カーの復讐」や小森氏の「魔夢十夜」、さらには身内のアンソロジーをヨイショするという、こちらの期待通りともいえるイタいアクションは散見されるものの、議論の中身はというと、これが予想に反して結構マトモなものでありまして、本格無理解者の自分はここでも吃驚してしまいました。
例えば身内の作品ともいえる、ボクら派の某長編大作にしても、小森氏は「カーの復讐」と比較しつつ「古い器に盛られたトリックの見せ方が古めかしい」といい、つづみ氏も「大長編ミステリーならではの面白さというのが、なかなか感じられなかった」と、あの系統の作風の問題點についてもシッカリと指摘しているし、「仮面幻双曲」についても小森氏はその「破綻は、小さな修正ではすまないものがあると思」うと手嚴しい。
確かに首領をヨイショしようと「カーの復讐」をベタ襃めしているところもなきにしもあらずなんですけど、小森氏の「前例のあるトリックがベースになっていても、それを新しく見せる工夫があって、そこが評価できる」という指摘などには、自分も同意出來ます。
また小森氏の「魔夢十夜」について、首領は「夏期限定トロピカルパフェ事件」と比較しつつ「本格技術レベルや内容で相当の違いがある」といい、「夏期限定」は「薄くて安い一枚皮のクレープ」で、「魔夢」は「豪華なミルクレープ」と主張、カレーとアフガンハウンドに續いてここでも意味不明なイタ過ぎる譬喩を披露してみせるところが相當にアレ。
全體的に、首領の暴論やトンデモを小森氏はしっかりと操縦しつつ、正常な軌道に戻しているという印象を受けたのですけど、それでも「米澤さんには……本格の教養がある」とかやや電波臭のする發言も散見されるところはやはり首領、といったところでしょうか。
それと秀逸だと思ったのは、これまた小森氏が「今年の新作から、本格作家の目指す方向性として、作風的に前向きか後ろ向きかという点で大きく二分できる」と指摘しているところでしょうか。
個人的な希望をいってしまうと、探偵小説研究会にはここでいわれている「前向き」の本格を探究していってもらいたいと思うのですが如何でしょう。「形式そのものに革新」を行ってもなおそこに殘る「何か」、――それはいったい「本格」にとって如何なるものなのか、みたいなことにボンクラの自分は興味津々なんですけど、ダメですかねえ。
しかしこの面子で今後も「黄金の本格ミステリー」を選出しようとすると、首領や小森氏が傑作をものにしても結局ここで選ぶのは難しくなるという事態も發生しえる譯で、選定しなければこれはこれで問題だし、選定されれば内輪のオママゴトと批判されて自己矛盾に陷る可能性も叉なきにしもあらず、このあたりの運営の難しさが今後の課題でしょうか。
それと、本作は、島田御大と首領という、本格の定義と本格ミステリ界に對する立ち位置の大きく異なる二人が絡んでいるところが、本格無理解者の自分には新鮮な驚きだった譯ですけど、首領はこの本格の定義の相違についてどう對處したのか、このあたりも氣になるところ、ですよねえ。
このヒントになるかもしれないのが、最近サイトで發表した「新本格ミステリー入門」とこの座談會で明らかにしている「本格ミステリーの定義」。これが「本格推理小説」ではなく、「本格ミステリー」の定義であるところに大注目でありまして、首領曰く、本格ミステリーとは「本格推理+α」である、と。
つまり「容疑者X問題」で自らがブチ挙げた「本格推理小説」の定義はそのままに、そこへプラスアルファを加えることによって、御大が述べられている「本格ミステリー」との違和を限りなく少なくしていこうという狙いじゃないかな、と推察するのですけど、これが秀逸なのはこのプラスアルファを「αは過剰性だったり、余剰性だったり、ジャンルにおける故意の逸脱や破壊」であるとして、その意味合いを限りなく濁しているところでしょうか。
つまりこうなれば何にでも対應可能な譯で、これからは自分が良いと思った作品は「本格推理小説ではないけど、本格ミステリーであるから、この作品も黄金の本格ミステリーに認定します」みたいなことも可能になる譯です。
ここで「じゃあ、容疑者Xはアンタのいう本格ミステリーなのかい?」とか、その「プラスアルファの定義をシッカリさせろ」とかいうツッコミをしたくなってしまうのですけど、まあそこはそれ。
そのほか、「作家の計画・作家の想い」については、流石に皆さん、本格ミステリベスト10やこのミスなどと重複しがちなところをうまく交わして文章を纏めているように思いました。この中では綾辻氏のネタが素晴らしく、最高に笑わせてもらったんですけどその一方、冒頭の文章にはひどく考えさせられました。
特に「自分が「面白い」と感じるものと他者のそれとの何やら居心地のよくない乖離感」については共感出來るところも多く、……というか恐らくこれ、「びっくり館」のトラウマだと思うんですけど、まア、それだけ楳図漫画とアルジェントとプログレが好きなキワモノマニアが少なくなってきたということなのでしょう。「出版界全体に漂う漠然とした雰囲気」も含めて、色々と感じるところも多いものの、これを書き出すとまたキリがないのでこれくらいにしておきます。
そのほかの注目所としては、乾氏の煩悶と、倉阪氏の本格ミステリーに對する考え方、法月氏が予告されているリレー小説に巽氏が参加していること、「大量死理論」を反証可能なものにしようという氣概を見せる山田氏、竹本氏の本格観、三雲岳斗氏の写真が首領のそれとソックリな件、でしょうか。
麻見氏や鏑木氏といった新人作家を取り上げているのもこのムックならではだと思うし、本格ファンはかなり愉しめると思います、……といいながら勿論、これはちょっとなア、というところが多いのもまた事實で、ボンクラのキワモノマニアの好みからいわせてもらうと、「私のお勧めの本格ミステリー」はいらないんじゃないでしょうかねえ。
上で述べたように、「読者に勧める黄金の本格ミステリー」では、本格理解者「だけ」の内輪受けという批判を退ける為、(首領はやや暴走氣味ながら)三氏は相當な配慮を見せていた譯ですけど、ここで本格理解「派系」作家の作品を臆面もなくズラリズラリと竝べてしまうのは如何なものか。これじゃあ、三氏の苦労が台無しですよ。
首領の暴走と暴言を批判もせずに、ただただヨイショしているだけの本格理解者のお仲間には何か相當な問題があるんじゃないかなア、なんて頭を抱えてしまうんですけど、こんなフウに感じているのはやはり自分だけですかねえ。
それと、最後の天城御大へのインタビューもかなりアレで、聞き手の天城氏を小バカにした口振りがかなり辛く、熱烈な天城ファンはこれを讀むなり頭に血が昇って卒倒してしまうこと間違いなし、という素晴らしさ。
天城御大が「ペンシルバニアのカディスンが率いる云々……」なんて調子で滔々と語れば「すばらしいご成果ですね」と棒讀み、そのほかにも「それが数学の研究に役にたったんですか?」「それが探偵小説をお書きになった理由ですか?」「それが一転して、どうして「椿説」になったんですか?」「一本とったおつもりですね」などなど、何だか讀んでいるこちらがカチン、とくるような質問の仕方もアレなんですけど、聞き手に小馬鹿にされているのに氣がつかず好々爺のごとく自らを語りまくる天城御大のお姿が脳裡に浮かび、……ってまア、詳しくは実際に皆樣の目で確かめていただきたいと思いますよ。
後半の内容、構成には確かにグタグタで付け燒き刃的なところも見られるものの、このあたりは慌てて編集した一册ゆえ仕方がないのではないでしょうか。個人的にはかなり愉しめました。
ただ、島田御大の卷頭言なども含めて、本作は「これから本格ミステリを書こうとしている人の為の一册」のような氣がします。勿論自分のようなミステリ讀みも上に述べたように愉しめることは愉しめるのですけど、御大の実際の狙いは後進の育成にあるのかもしれません。
[02/19/07: 追記]
過去のエントリを讀み返したらラーメンではなくてカレーであることに氣がつきました(爆)。訂正しておきます。