ずっと積読していた怪談ものの棚卸しも兼ねてイッキ読み。前回のような奇抜な試みはありませんが、いずれもかなりのクオリティで堪能しました。収録作は、ささやかな怪談話を通じて、幽霊を見てしまう家族の中の私が浮上してくる工藤美代子「霊感DNA」、それぞれの怪異を耳にしたものだけが見てしまう連関がおぞけを誘う中山市朗「怪談BAR3」。
これまた怪異の数珠つなぎの中からおぞましき事件の因果が立ち現れる結構が秀逸な福澤徹三「数珠の糸」、ヤバいトンネルで近道してやれという好奇心が隧道の因果話へとなだれ込む安住潤平「隧道」、都市伝説、陰謀、闇の組織とヤバい事件と狂気の混沌が『怖い噂』フウの超弩級の怖さを引き寄せる、小池壮彦「春紫苑の憂鬱」。
達磨に祟られた因果話の壮絶コンボ、伊藤三巳華「姫達磨」、とある喫茶店の怪異にセピア色の詩情さえ漂う、加門七海「浅草純喫茶」、怪談を語り「たい」もののメンヘラ地獄と心の闇が『東京伝説』めいた狂気へと収斂していく異色作、松村進吉「私の話」、怪異の様態の独創性という点では収録作中ピカ一な怖さを誇る、牧野修「これは怪談ではない」、完全シリーズものと化した生き霊女のその後、岩井志麻子「あの女のその後」の全十編。
個人的に一番ツボだったのが「春紫苑の憂鬱」で、確か2に収録されていた「浜辺の歌」もかなりのお気に入りだった自分としては、こちらも実話系を擬態した(?)「そういう話」が好きな人にはタマらない一編といえるのではないでしょうか。戸川昌子女の某作みたいな胎児ネタの気持ち悪さに、女の狂気、さらには軍部の闇から陰謀から、『怖い噂』のエッセンスをギュッと濃縮させたようなネタの大盤振る舞いも素晴らしければ、点描される異様な逸話を語り手が探偵となって推理していくことで、それぞれを繋げていく展開がスリリング。そして全編に漂うこの尋常でない緊迫感と見えそうで見えないこの世界の向こうにある深淵を覗き見るような雰囲気はまた、『アムネジア』をも彷彿とさせます。
「怪談BAR」は、それぞれに語られた複数の怪異を聴き、そこに連関を見いだしてしまうことの恐怖を描き出したという点で、「春紫苑の憂鬱」と趣向が似ています。特に冒頭にさらりと語られる事故死とあるものとの偶然の連関は、因果が語られず宙づりにされているからこそ怖いという点では断然好み。幽霊が出てきてゾーッとなっても、実はその幽霊ってのがそこで亡くなった女のアレで……というかんじの因果話の定型へと落ち着いてしまうのはちょっと怖くないナー、なんていう御仁でもワククワできる結構も素敵です。
そうした点では「数珠の糸」も、バラバラに見えた事件と出来事が次第にある事件へと収束していく結構で、カットアップされたようなぎこちなさが、またどこが落ち着かない不穏な雰囲気を醸し出していてこれも怖い。
これとは逆に「語る」ものの立場から、それを聞きたがるものへと恐怖を照射してくる趣向がイヤ怖いのが「私の話」で、私の怪異を聞き取ってそれをネタにして本を書いている知り合いが云々、……という話だから、また例によってさりげない怪談のコンボで一編を仕上げた定型ものかと油断していると、冒頭に語られたちょっとイヤ怖い怪異が狂気を交えて奇妙な捻れを見せていきます。これが怪異によってもたらされた「現象であるべき」という断定がかえってリアルな怖さを立ち上らせるという転倒へと至る幕引きは実話怪談的な怖さとはかけ離れていつつも、イヤ怖いという点では個人的には「春紫苑の憂鬱」と並ぶお気に入りです。
怪談といっても、まあ、たいていは髪の長い女が暗い夜道にボーッと立っていて、……なんてカンジで、本格ミステリの謎の様態と同様、怪談における怪異にもある種の定型があって、これが最後に事故で死んだの殺されただのという因果話に落ちたりすると妙に興ざめしてしまうという昨今、怪談においても怪異の様態の独創性が求められているのでは、……なんて感じてしまうわけですが、「これは怪談ではない」でさらりと描かれるあるものの意外性は、牧野ホラーの幻視にも通じる恐ろしさ。あまりに不意打ちでこのシーンが出てきたので、思わずウッと声をあげてしまいましたよ。
「浅草純喫茶」は、何となく岡部えつ女史の「メモリィ」にも通じる詩情を称えた美しい一編。怪異が因果へと落ちるのを抗うように、ある怪異を全体として見たときに因果を抛擲したように見える絵解きが、この霊的存在を詩美性をより際立たせることになっている趣向が素晴らしい。
個人的には小池氏の「春紫苑の憂鬱」だけでも、『怖い噂』フリークだったら即買いという一冊ながら、その安定感ゆえに前三作のファンであれば安心して愉しむことができるのではないでしょうか。