傑作。待ちに待った岡部女史の新作で、……といっても色々と忙しくてスッカリ積読していたわけですが、ちょっと気分を変えるために本格ミステリよりは怪談を、ということで手に取った本作、期待を遙かに上回る傑作好編が揃った一冊で、堪能しました。
収録作は、おかめの面をかぶった女の幽霊とその業を幽玄の技法で艶やかに描き出した「おかめ遊女」、見世物小屋で見かけた曰くアリの美少女人形に対する隠微な行為を覗き見る因業譚「少女人形」、キ印女に声をかけたばかりに深淵を覗かされることになった女の恐怖「壺」、冒頭の「おかめ遊女」の伏線とともに、新宿という土地の磁場と宿業を見事に活写した「顔のない女」の全四編。
岡部小説といえば、個人的には岡本綺堂と並ぶその文体の魅力がまず挙げられるわけですが、音読にも十二分に耐えうる絶妙なリズム感と、語られるその場の空気までをも読者にありありと感じさせる文章の素晴らしさは本作においてますます磨きがかかっています。
冒頭の「おかめ遊女」における怪談語り、「少女人形」の口上、「壺」や「顔のない女」の自分語りなど、いずれも登場人物がそのものの因業を語って聞かせるわけですが、まずこの語りを読み進めていくだけで、耳許に語り手の声が聞こえてくるようにも感じられる臨場感が素晴らしい。
「おかめ遊女」では、決して美人とはいえないダメ遊女が、拙いながらも、自分が見たという幽霊の話を客に聞かせるところから始まるのですが、いま目の前にいる客の挙措を意識しているかのような緩急自在の語り口に、何だか自分もその場の客のひとりでいるように錯覚してしまいます。「……どうしたらそんな色男になれるのか、気になるのでしょう。いいでしょう、今夜は特別にお教えいたします」と客の興味をひきつつ、そのあとにいい放った言葉の鮮烈さなど、その巧妙な語りの魅力をあげればきりがありません。
彼岸との境界を意識した王道の幽霊譚にして、その境目を超えようとする男女の情念をしっとりと描き出した「おかめ遊女」は、舞台は昔ということもあって、まだホンワカした雰囲気に満ちているのですが、落ちぶれたバブル女のアレなリアリズムも添えて人間の暗部を隠微に活写してみせた「少女人形」からついに社会批評を交えた岡部節が炸裂、口上が始まるや、上にも挙げた抜群の臨場感をもってくだんの艶やかな人形の因業が語られていきます。
中年女の悲哀というよりは、バブル世代の女の因業というフウに、特定の世代の女の奈落と個人的には感じられる岡部ワールドのヒロインではありますが、「少女人形」の彼女もダメんずと判っていながらそんな男とズルズルと関係を続けてしまうダメ女。そんな女の業を容赦なく描き出してみせる筆致にニヤニヤしていると、いつのまにか「あちら」の世界の深淵を覗き見てしまうという展開もまたスムーズ。
「少女人形」に描かれる隠微な人形嗜好は、ミステリ読みからすると、乱歩的な魅力にも感じられるわけですが、乱歩的といえば、続く「壺」はさながら「押絵と旅する男」。とはいえ、あちらが幻想の風格を大きく前面に押し出していたのに対して、こちらは怪しいキ印老婆の恐ろしさが際立つ恐怖譚で、闇に引き込まれていくダメヒロインの奈落への足音が次第に大きくなっていくサスペンスフルな後半の展開がたまりません。
特にキ印女が語る壺の中身がアレするシーンは、本編収録中一番の怖さ、――というか、個人的には自分が読んだ怪談の中でも十指に入るほどの恐ろしさで、蒸し暑い夜にゾーッとするにはうってつけの一編といえるのではないでしょうか。
読み聞かせるという、語感のなかでは特に「耳」を意識した技法は、特に本作で強く感じられるところであり、本編において壺がカタカタと音をたてるところや、続く「顔のない女」の下駄を大仰に鳴らしてそぞろ歩くシーンなどが印象に残ります。「顔のない女」は、「壺」にも通じる狂女の存在を引き継ぐかたちで始まり、それがバブル女の奈落と重なりを見せていくという展開ながら、「壺」の自分語りが最高の恐怖を引き寄せたのに相反して、「顔のない女」では現代の女の救済が描かれているというコントラストが素晴らしい。
「おかめ遊女」と「顔のない女」が、おかめの面をかぶった幽霊という存在によって繋がることによって、それがタイトルにもある「新宿」という異世界の幻視と磁力を明らかにしてみせる結構も秀逸で、一冊の本としての構成もまた完璧。怪談として、そして小説としての「語り」は処女作『枯骨の恋』からよりいっそう洗練され、艶やかに、ときには凍りつくほどの臨場感をあやかしの音とともに描き出してみせる物語世界は、怪談マニアはもちろん、自分のような幻想小説ファンも大いに愉しめるのではないでしょうか。オススメでしょう。