最近、ツイッターのミステリクラスタの中で、――といっても非常に限定された中ではあるのですが、一大ブームとなりつつある竹内薫こと湯川薫の華麗なるミステリ小説デビュー作がコレ。実は本作、トクマ・ノベルズで刊行された当時、手に入れたものの途中で挫折しているという、個人的には曰くつきの一冊でもありまして、果たして最後まで読み切ることができるどうかと不安イッパイだったわけですが、結論からいうと、どうにか完走することができました。
物語は、外国の日本人留学生たちがワイワイやっているうちに、娘っ子が教会に据えつけられた羅針盤に串刺しにされて殺されるという猟奇事件が発生。犯人の変態野郎はほどなく警察に射殺されてご臨終、とあっけない結末を迎えて事件は収束したものの、それから一〇年後、かつての留学生仲間がシェルター内部で奇妙な殺され方をし……という話。
まず本作最大のウリは、超ひも理論の研究で博士号をとったという科学的知見に秀でた作者が爆発させた物理トリックの大盤振る舞いでありまして、こうした作者の出自が明らかにされているゆえ、件の避雷針の串刺し死体についても、まア、例によってブーンとやってそいつを角度やら数式やらで最後にズラズラと説明してみせるんだろうな、……と勘ぐりながら読み進めていったらマンマそのまんまだったところには苦笑至極。
とはいえ、実をいうと本作でもっともブッとんだトリックは、タイトルの「耳」にもある仕掛けを用いたシェルター内での超絶なコロシでありまして、これもまた後半、作者はシッカリと科学的知見を元に推理を大展開させてくれているわけですが、ダメミスマニアの自分にはこのトリック、妙な既視感が、……ともったいぶった言い方をするまでもなく、これはダメミスの傑作とされる某作を彷彿とさせるものでありまして、被害者を確実に殺害するためのトリックまでもが、そのダメミスの本歌取りというあたりから、もしかしたらダメミス作者の着眼点や発想というのは案外似通ってい、さすればこうした実作を精査すれば論考のひとつや二つ書けるのではないか、――などと一瞬ニンマリしてしまったものの、ダメミスをとっこに論評などものにしてもどうせゴミしか生み出せないだろうと、そこは諦め、あらためて本作のディテールに目を凝らすと、ここにもダメミスならではの共通項がいくつも見られることに気がつきます。
呆王の処女作『彼は残業だったので』や、覇王の『トリック・シアター』、あるいは『エコの闇 テロリストの光』にも見られた「食に対するこだわり」については、経堂駅の古ぼけたラーメン屋で「特製ラーメン」を注文したり、屋台のホットドッグをほおばったりするだけという慎ましさながら、本作で注目すべきは、そうした食のシーンには必ず、ダメミスでは必須項目ともいえる昭和テイストが絶妙なフレーバーとして効かせてあることで、たとえばホットドッグを注文するシーンでは、
「ホットドッグ二つもらえる? それから珈琲ふたつ」
竹之内が声をかけると、のっぽの主人は、
「あいよ!」
威勢よく返事をして、ソーセージを温め始めた。六〇年代のヒッピーのような出で立ちで、髪もあご髭も長く伸ばしている。とうに色の抜けた赤いバンダナと額に刻まれた皺が妙にマッチしている。
ちなみにこのヒッピーは江戸っ子というミスマッチな設定がここでのキモだったりするわけですが、「あいよ!」というかけ声にも象徴される三文役者めいた台詞回しは、この後に登場するラーメン屋のシーンにも健在で「なんにしやしょう」「ご無沙汰いたしておりやす」のほか、「粗茶でございます」「合点承知だ」など、平成の今であればたとえ昭和が舞台の物語を書くにしてもよほど狙わない限りフツーの作家はやらかさないよね、と思われる細部のほか、「のっぽ」や「しゃくれ君」といった懐かしき言語センスも含めれば、科学だ物理だ不確定性原理だと胸を張ろうともダメミスの出自を隠すことはできません。
ノベルズ版との大きな違いは、おそらく文庫化にあたって追加したと思しきいくつかの注釈で、これがまだ「iPhoneクール!なんて流行に飛びついているチミたちは知らないだろうけどネ……」とばかりに、OSやコンピュータ言語の様々なトリビアを披露してくれているところに注目でしょう。トリックなどのネタバレにならない部分をざっと引用しておくと、
(注)蛇が子供を飲み込むマークはポルシェではなくアルファロメオのものである。
(注)OSX以前のマックOSは、ウィンドゥズやUNIXと比べて、フリーズすることが多かった。
(注)一九九九年当時、まだインターネットでのフィッシング行為は、さほど一般的ではなかったが、物理学や計算機科学を専攻する一部の学生の間では、フィッシングによる悪戯は日常茶飯事だった。
(注)一九九九年当時、まだ看護婦長は「婦長」と呼ばれた。名称の変更は二〇〇二年。
(注)弁慶は史実に登場する実在の人物ではない。
また上にも述べたように、作者は特に当時のコンピュータの蘊蓄についてはかなりのこだわりがあるらしく、実際、本作のトリックにもそれは絡んでいるわけですが、それにしてもBeOSとかはあんまり関係なくない?という読者の疑問をよそに、登場人物たちが蕩々とコンピュータについての知識をしゃべり散らすという場面も印象深く、そのあたりも引用しておくと、
「ははは、ここの総括者の三枝裕子が、僕と同じでマック党だからでしょう。僕らの世代は、ある意味で異端児でしてね。プログラム言語も、FORTRANとCに挟まれて宙ぶらりんだった。物理学科卒のわれわれは、計算機科学とも工学とも金融ビジネスの連中とも違う。計算機科学の連中だったら、当然UNIXにするだろうし、百歩譲っても、ウィンドゥズNTでしょう。安定性とリアルタイム性を求めるなら、家電製品などに使われているトロンというOSだってある。でも、それじゃ、物理屋にゃ面白くないんですよ」
「ウフフ……MacBookがクール! Let’s Noteはゴミッ! なんて嘯いている若者のチミたちはトロンなんて知らないでしょ、でしょ? ここはね、組み込みで脚光を浴びる前からさりげなくトロンに言及しているボクの先見性に注目してほしいんだなア。ハイパーリンクっていうのはそもそも……」なんて作者のほくそ笑むさまをボヤーッと頭の中に思い描きながら、ダメミスならではのシツこい蘊蓄を味読するのも吉、でしょう。
しかしそうした脱力の細部を愉しむというのは、ダメミス読みだけが持ち得る特殊な読みの技法ともいえ、フツーにミステリを愉しみたい、トリックや謎解きを堪能したい、という一般の本読みにはかなり敷居の高い作品であることもまた確か。何か事件の構図には政治や思想が微妙に絡んでいて、さらには外国が舞台、……ということでこれまたボンヤリと矢吹駆シリーズをイメージしてしまう方もいるカモしれませんが、そんな勘違いに自分の思考が流れそうになったときには、「サイレント・ミャウ足す電子レンジ、イコール……」と作中で探偵が口にする独り言を呪文のように唱えて軌道修正する必要があるやもしれません。
ダメミスの傑作であれば、数ページにわたって展開されるくどすぎるティテールに脱力しながらムフフと苦虫を噛みつぶした笑いを口許に浮かべることができるものの、本作ではそうした細部の脱力は薄味で、さらには物語の展開にも大きな盛り上がりはなく、珍妙な物理トリックがブワッと明かされていつのまにか終わっていたという、……作中で古武術の老人が披露してみせた居合い抜きさながらに、あっけない幕引きを迎えてしまうという一冊ゆえ、個人的にはダメミスなれど「傑作」まではいかないかナ、という印象でしょうか。「ダメミス読みたいッ! でも面白くないとダメッ!」というビギナーであれば、本作よりも、まずは覇王の二冊『プリズン・トリック』や『トリック・シアター』、呆王の作品をオススメしたいと思います。