力作にして傑作。フーダニットを中心とする騙しの技巧を基本に読み進めていけば弱い、という評価が出てしまうのではと推察されるものの、本作の凄みはむしろその弱さを武器に読者をタイトル通りの「灰色」の思考世界へと強引に連れ去ってしまうことでありまして、『慟哭』を彷彿とさせる真っ黒の幕引きといい、イヤミスとしても大いに堪能しました。
物語は、バカ上司殺害の嫌疑で冤罪を喰らうことになった男が復讐を誓い、事件の担当刑事や弁護士、裁判官をスナイパーも真っ青のやり方で殺しまくっていくのだが、……という話。
現在と過去を交錯させて、冤罪がデッチあげられるまでのプロセスを、自白偏重の強引刑事や、キャバクラ最高のエロ弁護士、さらには冷徹なマシーン裁判官などの逸話も交え、ある種の定型に従った展開を見せていくのですが、誰が誰というわけでなく、刑事や弁護士、そして弁護士や事件の目撃者などの行動が混ざり合うことで灰色の空気が生成され、冤罪が生成されていくプロセスが恐ろしい。正直、これはかなりホラー。
こうした過去の冤罪生成の様子がジックリと描かれているゆえ、例えば最初にお陀仏となる豪腕刑事など、殺されて当然ッという感想を読者の大半は抱いてしまうわけですが、現在のパートに登場する一人の刑事の登場によって、そうした善悪や白黒といったハッキリとした境界線が崩れていく、――このあたりのキャラ造詣と人物配置が見事です。
本作の登場人物には、類型的で深みがないと感じられる方もいるかもしれないかと推察されるものの、逆にこうした類型的で深みがない人物造詣こそが、本格ミステリ的な結構によって本作の主題を際立たせるためには必要不可欠な仕込みでもあります。すなわち、キャラ造詣にいう「深み」とは、色に例えると、「もっとさあ、こんな原色の赤じゃなくて、こう、紫がかったカンジとか、あるいはもっと明るいカンジのもので……」ということになるわけですが、しかしその一方、そうしたハッキリした色を複数混ぜ合わせると、本作のタイトルにある「灰色」となる、――ということを考えると、本作ではなぜ類型的で深みがない複数の登場人物が描かれているのかにも合点がいくのではないでしょうか。
自白偏重主義で自分の手柄を一番とする悪徳刑事、キャバクラ通いでヒョンなことからヤクザと通じることになった悪徳弁護士、冷徹なマシーンのように事務的に判決をこなしていく裁判官、――本作で復讐とターゲットとなる人物はいずれもそうした、読者の想像の範囲内ともいえる類型的な人物ではあるものの、彼等が復讐のターゲットとなり、それが本格ミステリという結構の中で繋がり、混ざり合ったときに現出するドラマが本作のキモ。
このあたりの趣向は、本作のタイトルでもある「虹」と照応するように、この事件の主要登場人物が「伊佐山、雅史、谷沢、由梨恵、雨宮、綾部、聡子」というように七人であることからも仄めかされています。そしてこのはっきりとした色(個性)をもった、――小説的造詣としては類型的で深みがないともいえる登場人物たちが、冤罪事件とそれを引き金にした殺人事件へと巻き込まれていくことで、混ざりあい、はっきりとした色を喪失していく展開も本作の大きな見所のひとつでしょう。
後半にいたって、探偵役の刑事がこのミッシング・リンクを追いかけていくことで、復讐目的の犯人に辿りついたとき、類型的で深みがないと思われていた被害者にもまた違った一面や見方が可能であることが提示されていきます。そしてこの探偵役は、前半に描かれていた類型的で深みのない被害者たちとはやや趣を異にし、かつてゲスな犯人に復讐してやりたいという思いを心の奥に秘め、その一方で刑事として正義を遂行しなければならないという意志も強い。冤罪の被害者ともいえる犯人には同情的でありつつ、その一方で犯罪者である彼を許すことはできないというふうに、善悪、白黒つけられない、――まさに「灰色」の存在として描かれているところも秀逸です。
最後の最後で真犯人が明らかにされるものの、刑事の視点から描かれる過程で、様々な伏線が非常にあからさまなかたちで鏤められていくゆえ、フーダニットという点ではかなり弱い、というのが大方の評価でもあり、またこの真犯人の正体にも大きな驚きはありません。もちろん、冒頭のプロローグがこの真犯人の開示によって捻れた構造を描き出し、それが本作の大きな仕掛けにもなっていることはその通りなのてすが、個人的には、むしろ本作の真相における驚きの少なと主題とを合わせみると、色々と複雑な読後感を抱いてしまいます。
というのも、復讐という観点から見れば、プロローグで明示された犯人とこの真犯人は表裏一体というべき存在であり、それゆえに、冤罪によって奈落に突き落とされる前の彼と、その後の彼との境遇を比較するに、フーダニットとしての真犯人はこの人物しかありえない、という作中の「事実」が、何よりもこの物語の絶望と慟哭を際立たせているような気がするのですが、いかがでしょう。
そうした思いを抱きながら、あらためて冤罪事件の被害者である彼の悲哀や絶望と、この真犯人の立場や内心を忖度するに、この二人の間の動機には通じ合うものがありながらも微妙な差異があることに気がつくし、類型的で深みがない他の登場人物に比較して、この真犯人の造詣はどうだったか、というところにも眼を配ることができるような気がします。
類型的で深みのない登場人物を配しながらも、それが本格ミステリ的な結構の中で混ざり合ったときに浮かび上がってくる灰色のドラマによって、冤罪事件や復讐に対して読者に考えろ、と訴えかけてくる本作は、まさに2010年版『慟哭』ともいえる重厚な社会派ミステリの傑作、といえるのでないでしょうか。オススメ、でしょう。