第18回鮎川賞受賞作「七つの海を照らす星」の続編で、読者を優しく癒してみせる日常の謎の連作短編集という創元の十八番、――と思って読んでいたら、最後に頭をガツン、とやられるという一作で、特にこの作品を今読む、という体験についても色々と思うことがあったりして……という問題作。
児童養護施設「七海学園」を舞台に据えたところは前作を踏襲しながらも、連作短編というわかりやすい結構は採らず、春、夏、初秋、晩秋の章で、前作にも通じる日常の謎も含めたも物語が語られ、そこに冬の章が挿入されるかたちで、文化祭の日に起こった転落事件が描かれていくという結構になっています。
春、夏、初秋、晩秋の章はそれぞれにひとつの謎があって、そこにも判りやすい解が提示されるという日常の謎フウの風格ながら、この中では春の章の「ハナミズキの咲く頃」がいい。学園の児童たちはそれぞれに家族のトラウマを抱えているわけですが、ここに登場する子供はこの施設にやってくる前に母親から殺されかけたことが心の傷になっている様子。
果たして我が子を殺そうとした母親の心の奥の奥を推理によって繙いていくのですが、ここで明かされる真相はいうなれば創元お得意の癒し系。しかしこのほっとする現実に対して、「事実がそのままだったとしたらやっぱりわたしには荷が重すぎたかも――」と春菜がつぶやく台詞が印象的。実際、シリーズものとしての本作の全体に凝らされた非情な真相が明かされた瞬間、読者はきっとこの言葉の真意に思いを馳せるのではないでしょうか。
夏、初秋、晩秋には、再生できないCDなど例によって「これで謎っていうのは……ないよね?」みたいなものが混ざっているとはいえ、こうした小物も隠された全体構造へと繋がる伏線となっていて、それをまた登場人物たちの影の行動を暴き立てるフックに仕上げてあるところも秀逸です。
日常の謎は推理によって真相が明かされ、登場人物も読者も癒されるという春、夏、初秋、晩秋の章とは対照的に、冬の章では被害者は死亡していないとはいえ、事件性のある、いうなれば正調ミステリらしい謎であり、探偵の調査もアリバイに始まり建物の構造も含めて実直なかたちで進められていきます。
それと同時にこれまた癒し系の真逆を行く非情な現実が突きつけられ、トラウマを抱えていてもここに来れば癒されるヨという学園の外の情景をも巻き込みながら中盤以降から明らかにされていく真相はグロテスクそのもの。
そして最後に春、夏、初秋、晩秋の章で語られていた人間関係と、冬の章のグロテスクな現実とは最後に連関を見せ、転落事件の構図が明かされた瞬間、――本作はシリーズものとしての癒しを風格を全否定するかたちで非情にして酷薄な現実を突きつけてきます。そして本作が本格ミステリとして優れているのは、裏表を返すようなこの風格の変化とともに、結構全体に凝らしたある仕掛けによって本格ミステリにおける登場人物の支点がずらされ、今まで探偵の視点を通して読者に見えていた構図はまったく異なる、残酷な景色となって立ち現れてくる。この凄み――。
前作に見られた創元ならではの日常の謎の癒し系ミステリという風格をひっくり返すかたちで、漫然と続けていこうと思えばできないこともなかったと思われるこの七海学園のシリーズを断ち切ってしまう作者の剛毅さには完全にノックアウト。この衝撃は前作を読んでいた方がより強烈ゆえ、「七つの海を照らす星 」を未読の方は是非ともそちらを読了してから本作を手に取られることをオススメしたいと思います。
あともうひとつだけ。施設の子供たちがここにやってくるまでの様々な逸話が作中でさらりと語られるたび、大阪の幼児二人育児放棄事件のことが思い出され読むのが辛かった、――というのもまた事実だったりするのですが、あの事件があったいま、本作が世に出たというのもまたこの物語の持つ宿業なのかな、という気がしました。
おそらく本作を読まれた方のほとんどはあの事件のことを思い出してしまうのではないでしょうか。果たして本作は本格ミステリとしてそうした酷薄な現実を超えてみせたのか、あるいはこのグロテスクな現実に敗北しながらも致命傷を負わせることができたのか、それは是非とも本作を実際に手に取られた確かめていただきたいと思います。