何というか、ホラーというよりはもう、「こういうジャンルのお話」と割り切って読んだ方が愉しめると思います。こういう話というのは要するに、「CUBE」系というか「SAW」系というか、とにかく知らないうちに閉鎖空間に閉じこめられた人間が智力の限りを尽くして脱出を試みる、――というもので、実際、そうした展開を本作はそのままトレースした作品でありまして、こういうヤツはもうウンザリというような方は最初からくじけてしまうことは間違いなし。
で、こうした本作の風格にたいして荒俣御大曰く、
ゲーム小説に挑戦する人は、たいして知的になりすぎて失敗するが、この作品は、ゲーム参加者の野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあいを描くことで、まどろっこしい知をぶちこわした。
何だか「知的な」部分を愉しんでいる本格讀みを挑発するかのような御大のお言葉ではありますが、実際、本作で閉じこめられてしまう連中はガキんちょどもで、ゲームだ智力だといってもそこに限界があることはもう必定、そうしたリアリティを考慮してか、本作では敢えて知的な部分はバッサリと排除して「野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあい」を描くためにガキどもを登場人物に配したという戦略は大いにアリ。
というわけで、「知的」な部分に注力した読み、――例えば「カイジ」の限定ジャンケンみたいなものを期待すると完全に脱力となってしまうわけで、このあたりは取り扱い注意ながら、拳銃を持ち出してきた中盤あたりからの展開ではEカードとはいかないまでも、相手の裏の裏を取ろうとする心の読みと罠を凝らしてガキんちょたちが奮闘する様も添えて、御大いうところの「野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあい」が描かれていきます、……というかんじなので、カイジに絡めて喩えるとすれば、本作の風格は限定ジャンケンでもEカードでもなく、鉄骨渡りが一番近いような。
本作ではタイトルにもある「嘘神」というのが一体何者で、その目的は何なのか、というあたりも当然フツーの読者として気になってしまうところなのですが、こうしたゲームを志向した物語においては、そもそもそうした設定部分にも謎を凝らしてあるのかどうか、というあたりが微妙なところでもありまして、こうした物語が三度のメシより好きというような読者であれば、「設定とかな何とかそンなくだらねーことどうでもいいジャン。くははっ。ジャカスカ人が死ねばそれでいいんだよ」というふうに考えているやもしれないし、かといって自分のような、どちらかというとこうした物語にはやはり「知的」な部分を期待してしまい、その背後の設定にまで作者の奸計を求めてしまう本格讀みとしては、当然そうした「設定」部分がどうしても気になってしまうのですが、……結論からいいますと、本格讀みがワクワクしてしまうような設定部分とそこに凝らしたどんでん返し的な真相開示は「ある程度」期待しても没問題。
個人的には御大いわれるところの「野蛮なほど単純な意思と情のぶつかりあい」に関しては、登場人物たちがガキんちょということもあって、何というかそうした描写も定型によりかかったやや一本調子なものに感じられ、読んでいる間は結構、苦行だったのですが、最後の最後で見事に痛快な真相を明かしてジ・エンドとした作者の稚気には大いに惹かれます。というか、この最後の真相を明らかにするだけのために、登場人物にこうした趣向を凝らしていたのか、とニヤニヤさせるあたりは本作の大きな魅力でしょう。
というわけで、荒俣御大もいわれている通り、「知的」な部分を大期待して讀み進めてしまうと大火傷をするので、寧ろ本作は「頭でゴチャゴチャくだらねーこと考えているような本格読みのクソどもは黙ってろっての。――くははっ。ゲームでなおかつ知的なものがお望みなら千澤タンの『マーダーゲーム』でも読んでろってんだ」というような読者に向けられた一作ゆえ、本格讀みやホラーマニアよりは、「閉鎖空間で人がジャカスカ死んでいくような」小説が大好きというような方にのみオススメしておきたいと思います。