綾辻氏の「十角舘の殺人」を読んで本格ミステリの愉しさを知ることになったという冷言氏の第二長編「鎧甲舘事件」を先日取り上げたわけですが、ちょっと前にある方に見ていただくため日本語にした「あとがき」が文章の整理をしていたら出てきたので、ちょっと手直しをしたものを公開します。
前のエントリにも書いた通り、この本には島崎御大の解説も掲載されているのですが、機会があったら日本語にしてみたいと思います。
かの美しき時代――『鎧甲館事件』あとがき冷言今年の一月に東京へ行ったときのことだ。出発前、編集者には本の最後にあとがきを書いてみたいと告げたので、旅のあいだはずっとそのことを考えていた。この旅で日本に行った目的のひとつは、講談社から昨年刊行された『幻影城の時代 完全版』を手に入れることであった。『幻影城』は、島崎先生が一九七五年から七九年のあいだに日本で編集をされていた推理(探偵)小説の專門誌である。かつての読者たちとともにあの懷かしきミステリの黄金時代を回顧するという意味で、二〇〇七年に同人誌というかたちで出版された『幻影城の時代』には、かの美しき時代への想いが綴られている。その後、講談社から同人誌版の内容を改訂し、かなりの文章を新しく追加するかたちで正式に出版されたのが『幻影城の時代 完全版』である。あの一時代をつくりあげた島崎先生から、拙作『鎧甲館事件』に推薦文を寄せていただけたことは、私にとっては大変に重要な意義がある。
本作を執筆しているあいだ、島崎先生からは多くのアドバイスをいただいた。私たちがこの小説について話し合う場所は上田珈琲店と決まっていて、そこから作中にもこの場所を登場させてみることにした。実をいうと、島崎先生からは上田珈琲店などよりもっと皆が知っているところに変えた方がいいともいわれたのだけれど、この店は私にとっては思い出の場所でもあり、作中ではあえて店の名前もそのまま残すことにしたのである。
綾辻行人の館シリーズに格別の思いがある私にとって、このシリーズはまたミステリの入門書でもあった。ずっと以前から、いつかは奇怪な建物が登場するミステリを書きたいと思っていた。それにはこのシリーズが大変に有名なものであり、敬意を表してというのもあるけれど、それとともに、いつかは台湾を舞台にそうした建築物を用いてミステリを書いてみたいと考えていたのである。しかし鎧甲館というこの建物の構想を思いついたものの、ここで二つの問題について頭を悩ますこととなった。第一に、その建物が建てられた理由である。第二に、鎧甲館が秘密の拔け道をもっているという、その必然性についてだった。
第一の問題は比較的容易に解決することができた。まず物語の舞台を九分とすることで、その建物が建てられたいきさつを綴ることができる。一方、秘密の拔け道については色々と考えることとなった。私はミステリを書くときに、まずこれだけは守らなければと固く誓っていることがある。トリックは明快に判りやすいものでなければならない。小説は読者の存在を考えずにして、読者を愉しませることなどできはしない。だから秘密の拔け道が複雜なものへと陷ることは極力避け、作中における第二の密室にわずかばかり使用するに留めることにした。こうしたことで読者が秘密の拔け道の存在を知りつつ、それでも謎解きの愉しみを味わってもらえることを作者としては願うばかりなのだが、さて果たしてあなたにはどのように感じていただけただろうか。
この小説を執筆しているあいだ、私はひとつの難題に直面した。それは九分の歴史的背景と地理における特殊性を物語へどのように結びつけていくかということである。物語のなかで九分の歴史だけが浮いてしまわないよう、九分や金瓜石についてもたくさんの資料に目を通し、台湾という土地における人、事物、自然が物語のなかにすっかりとけ込むよう心を配ったつもりである。この物語を読み終えたあと、読者がミステリとしての愉しみのほか、物語の舞台となった台湾という場所についてもさらなる関心を持っていただければ幸いである。
『鎧甲館事件』では、やや特殊な小説技法を用いている。それは小説の最後が小説の冒頭部へと繋がっていくというもので、読み終えたあと、それが無限の輪廻のような構造となることを企図している。読者にはこの輪廻の構造と『鎧甲館事件』の類似性に気がついてもらえたかどうか――しかし実をいうと、これは初めから考えていたことではなく、改稿をしているなかで、このようにしてみればどうだろうと島崎先生からアドバイスをいただいたのである。これは私の小説の結構としては新しいこころみであり、これについても読者には今までにない読後感を抱いていただければ作者としては嬉しい。
この本の出版は、私にとってはまさに重要な里程碑といえるかと思う。推理小説の創作を始めてすでに十年が経っており、そのあいだにはさまざまな経験もしてきた。この本が出版されたあと、さらなる十年に向かって邁進していくこと――それは私とってはまた長い旅路となろう。私はこの文章のはじめにあの美しき時代という言葉を書いた。願わくば、いずれや台湾がそのような時代――ミステリの黄金時代が私は来ることを期待してやまない。