おそらく本格読みは無言でスルーしているであろう、矢口敦子こと早見女史……って逆か(爆)。矢口女史の本格作品。そこここに中井英夫ラブの腐女子臭を感じさせるフレーバーがクズミス独特の脱力感を醸し出しているところがマニア的には好感度大で、もちろんフツーの評価をすればかなりアレな一冊ながら、そうした斜めに構えた評価軸で読み終われば、例の三部作同様にグフグフと愉しめてしまうという逸品です。
あらすじからして脱力もので、寝たきりの美少年が背伸びした哲学的幻想小説をものしてネット公募の賞に応募するも選考委員のみならずド素人も完全スルー。そんなイケてない作品がしかし不審人物の不可解な脅迫によって俄然注目を浴びるようになって、……というところから、その脅迫者の犯人捜しがメインの謎になっていくのかと思いきや、まア、そのあたりは確かにあることはあるとはいえ、物語はどちらかというと選考委員センセイの隠微な男女関係などもコッテリと織り交ぜて、どうにも捻れた方向へと進んでいきます。
ところどころにDNAだ地球だ人類だと、そもそもそんなに話を大きくしなければいいのに、と読者のこちらが心配してしまうほどに大仰な装飾を中途半端に凝らしてあるところなど、「ダメミスとはどのようなものか」ということを知り尽くした女王、早見女史ならではの筆致が素晴らしい。本作ではさらに「パソコン通信」という、当時であれば最先端のナウいテクノロジーを事件の中心に据えているところも、今読むとミョーなかんじの懐かしテイストを感じさせます。
そもそもメッセージひとつ送るのが「アップロード」という言葉で語られるという、ツイッターだクラウドだと喧しい今に読むと、ほのぼのというか何というか、思えば遠くに来たもんだ、とひとりごちてしまうようなところがまた何ともいえない雰囲気を醸し出しています。
実際のコロシはというと、脅迫者がいるんだから物語も中盤くらいでさすがに事件が發生しないと、サスペンスを期待している読者はブーたれてしまうことは必定かと推察されるものの、本作ではネット通信の時代ならではの鷹揚さで、コロシは最後も最後、みんなでパーティーをやっている最中に発生し、それもやや駆け足で謎解きがされるという破格の構成でありまして、こうした破格さをどう受け止めるかで評価が分かれるような気がします。
パソコン通信といった当時は最先端のテクノロジーを活かした事件の組み方といったところを離れて、本格ミステリ的な視点から本作の事件の構図を見ていくと、そうしたクズミス風味とは裏腹に、なかなか凝っているところがかなり意外で、このあたりもまたただのクズミスでは終わらせないという女王のプライドが感じられるところは流石です。物理トリックそのものとその狙いは、さすが中井英夫ラブというか「虚無への供物」ラブで脱力の三部作を仕上げた女王ならではの仕掛けで決めてくれます。
ただ、個人的には上にも述べた通り、本作の趣向は登場人物のおのおのが抱いている主観を交錯させ、一枚の構図を現出させたその見せ方にあると感じられ、背後に隠微な操りを凝らした趣向は、「虚無への供物」というよりは「失楽」に近い、といえるかもしれません。実際、DNAだ人類だ地球だコギト・エルゴ・スムだと妙なところに科学哲学のフレーバーをきかせてあるところが本作の個性でもあるのですけれども、こうした衒学趣味をもっと過激に凝らして物語を引き延ばしていたら「失楽」みたいな作品にもなりえたカモしれないカモしれない、……という潜在能力が感じられます。
本文もこうしたクズミスの傑作として至高の逸品といえるものながら、小説以上にハジけているのが村上貴史氏の解説でありまして、
……そこに早見名義の作品を重ね合わせると、より刺激が強まる。『虚無への供物』に倣ったであろう人工的な命名、作中作や作中劇を通じた”世界”の再認識など、本書と共通する要素が早見江堂名義の三部作には備わっている。いずれが先でも構わないが、この『矩形の密室』と三部作を読み比べてみるとよかろう(なお、早見江堂三部作は纏めて読むのがよい。バラバラに間隔をおいて読むと持ち味が薄れてしまうので)。
そう、本書は矢口敦子のファンであればあるほど、特色を深く体感できる一冊なのだ。
と、この引用だけを見ても、村上氏のレビュワーとしての異能ぶりが感じられるわけですが、例えば例のダメミスの至宝「本格ミステリ館焼失」「青薔薇荘殺人事件」「人外境の殺人」の三部作に関しては、「まとめて読まなきゃダメだよっ」というふうにシッカリとこの本の正しい読み方についても言及しているのはもちろん、「本書は矢口敦子のファンであればあるほど……」というかんじで、「頼むから『償い』を読んだにわかファンのみなさんも本書を買って頂戴」とアピールしているところなど、……どちらかというと、矢口ファンよりは寧ろ自分のような早見ファンの方が解説も含めて愉しめてしまうのではないでしょうか。
人工的な命名や世界の再認識といった、科学哲学衒学を凝らした部分は、やはり『虚無』というよりは『不確定性原理殺人事件』の雰囲気に限りなく近く、また、常時接続でPCからケータイから「昼ご飯なう」なんてツイートしながらクラウド万歳という今だからこそ、パソコン通信でマメに回線をオフラインしながらバッチ処理、というような本作の時代背景を懐かし風味を交えて愉しめるわけで、そうしたレトロ感と、破格の構成や現代本格的な構図の見せ方とのミスマッチもまた独特の味を出しています。あくまでマニア限定、それもクズミスダメミスの、という限定にはなりますが、マニアだからこそ入手も容易な今、本棚に加えておくべき一冊といえるでしょう。