黒歌野とでもいうべき一冊で、「葉桜」以降の歌野ミステリでは定番のアレかと思わせつつ、それとはやや異なるアプローチの仕掛けであったところはチと意外。
物語は弱気でお調子者のネクラ君がネチっこくイジめられる様子をノートに書き綴り、神様に見立てた石コロに願掛けを行うとアラ不思議、その通りにいじめっ子が次々とひどい目に遭っていき、――という話。
何だかジャケ帯とかを見ると、この超常能力を手にしたボーイがバッタバッタといじめっ子を懲らしめていくような魔太郎的展開をほんのり期待してしまうのですけど、本作の主人公たるボーイときたらどうにもウジウジ、オドオドするばかりで、せっかく神様が力を発揮していじめっ子の野郎を成敗してくれたというのにその力の発動に当惑することしきり、挙げ句にノートに書いた願掛けに効果ナシとなると、今度は掌を返したように神様なんて知ったこっちゃねエ、などとほざく始末。
もっともこうした主人公の心の惑いも真相が明らかにされるのは後半で、伏線というほど大袈裟なものではないものの、あるひとつの事実を隠し通すことによって、それが語り手の口から明らかにされた刹那、今まで見ていた景色がまったく違ったものへと変わってしまう、――特にノートに綴られていた「登場人物」たちへの印象が見事に反轉してしまうという仕掛けは見事で、このあたりに中町ミステリの某作を思い出してしまいました。
本作では、確かに人死にがあるとはいえ、騙しの重心はそちらの方には置かれていないため、歌野ミステリならではの仕掛けをどう見るかによって本作の印象もまた変わるような気がします。
まずフツーに讀み進めていくとすれば、最初の事故から次の人死にまで、それらがボーイのいう通りに神様の仕業だと考えるミステリ讀みはまずいない筈で、そうなると超常現象に見せかけつつもきっと誰かが殺したに違いない、……というフウに「フーダニット」の視点からその後の展開を考えてしまう譯ですが、本作では後半、これら個々の事件の「真相」については結構アッサリと明かされてしまいます。
本作の醍醐味はそうした個々の事件の「真犯人」と、この物語のほとんどを占めているノートとの連關にあり、そこから明らかにされる異様な構図は現代本格では定番のアレを駆使した逸品ゆえ、本作の仕掛けを堪能するには、古典的なフーダニットよりも「いったい何が起きているのか」といったある種のメタ的な視点を維持したまま、ノートの「中」と「外」に凝らされた連關の糸を探りながらの「讀み」を行う必要があるような気がします。
また、ノートの「外」で語られる個々の登場人物たちの心情が、「外」で語られているがゆえに「真実」でありながら、「中」には届かないという人間関係の決定的な断絶がこの異様な構図を生み出したことを鑑みるに、登場人物全員が地獄堕ちという悲惨な結末でありながら、虚無的な悲哀さえ感じさせる幕引きは複雑な読後感を残します。
上にも述べたように、本作は現代本格的な趣向を凝らした作品ながら、中盤ではシッカリと人死にがあるために読者の興味が「フーダニット」へと傾いてしまうことにはやや無防備な結構ゆえ、後半でこのあたりがあまりにアッサリと明かされてしまう展開にやや物足りなさを感じてしまう人もいるカモしれません。
それとともに、ジャケ帯の激しい煽り文句から神の力を手に入れたイジメられっ子がワルどもを呪い殺していくというフウな、ある種のカタルシスを求めてしまう読者に対して、そうした期待をこれまたアッサリと裏切るかのように前半の展開はやや冗長にも感じられます。しかしこれもまたこの「ノート」の「中」と「外」との連關の糸を隠蔽して全体の構図を読者には違ったかたちに見せるための「仕込み」でもある譯で、このあたりは少しばかり我慢しつつも中盤へと讀み進めていくのが吉でしょう。
あるいは前半のカタルシスを排除した展開も、天の邪鬼の歌野氏のこと、案外そうした読者の期待をわざと裏切るような方向へと物語を誘導しているのかもしれず、この登場人物全員地獄堕ちというアンマリな結末もまた「癒しがなければ小説じゃない」という昨今のブームに真っ向から反発してみせるための趣向かもしれません。
やや讀み方に工夫がいるという点を除けばイヤ黒い風格は歌野氏の持ち味のひとつでもあり、そうした作者の黒さがタマらないというファンであれば大いに愉しめる一冊だと思います。