石持氏の最新短編集。タイトルこそ素っ気ないものの、世間の価値観から微妙にずれた登場人物の異常な振る舞いと、フツー小説を装いながらその狂気と捻れを巧みにカモフラージュして「いい話」に纏めてしまうという、石持氏ならではの豪腕が光る秀作です。
「耳をふさいで夜を走る」みたいに、はっきりキ印と判る登場人物が「陰茎」だの「勃起」だのとアレな言葉を吐き散らしながら暴走するお話も、確かにキワモノ小説としてツボなんですけど、やはり本作のようにフツーっぽい中に違和感の毒を盛り込んだ風格の方が石持氏「らしさ」が光るような気がします。
収録作は、本屋で偶然見かけた美人はどうして腕時計を二つつけていたのか、――という日常の謎に草食系男子の探偵君が挑む「ふたつの時計」、レストランで見かけた美男美女の奇妙な振る舞いを日常の謎としてこれまた探偵君が生臭いリアルを探り当てる「ワイン合戦」。
ショッピングモールで見かけた女の子の奇妙な様子を訝しんだ探偵君が、リアルワールドだったら変質者確定ともいえるトンデモな行為をブチかましつつ、その背後に隠されていたイヤ哀しい物語を開陳する「いるべき場所」。
娘の婚約者に遺していった傘の意味について、草食系の探偵君もまじえたワイガヤで盛り上がる「晴れた日の傘」、美人だけどちょっとメンヘラ入ってるっぽかったカノジョの暗い過去を明らかにしながら、その真相のイヤさと黒さを抜群の「いい話」へと昇華させる石持マジックが炸裂した表題作「まっすぐ進め」の全五編。
最初の「ふたつの時計」は、ごくごくフツーに「日常の謎」ものとして愉しめる一編で、主人公の探偵君が、偶然本屋で見かけた美女はどうして左手に腕時計を二つつけていたのか、――という謎に挑む物語。この美女の話を元同僚たちにすると、それは社内でも有名なマドンナじゃないかと盛り上がり、後日、探偵君はこの美女も交えた皆でデートをすることに。
どうもこの美女は心に暗い何かを抱えていて、それがこの二つの時計の謎にも絡んでいる様子。そして探偵君は見事その謎を解き明かし、美女の心を癒やしてあげる、――というのが本編の結構ながら、やはりここでは同僚たちと一緒にこの二つの時計の謎に対していくつもの假説を提示しながら、それをロジックによって転がしていく展開でしょう。
またこの二つの時計の謎というのは、いうなれば北村ミステリや例の五十円玉の謎にも繋がる、正統的な趣を湛えているところも素晴らしい。「日常の謎」といえば、要するに大仰な不可能犯罪、――例えば死体が高いところに吊されているだの何だのしてそれを見つけたボンクラワトソンが雷に打たれたような衝撃を受ける――みたいな黄金期リスペクトの風格に対するアンチテーゼみたいに世間では思われているものの、最近では「日常の謎」といっても、ユル過ぎる幽霊譚だの、あるいは「謎」にさえなってもいないようなものばかりというものも散見される昨今、本作は日常の中に不可思議を見いだすという「日常の謎」ミステリの原点ともいえる風格を持っていて、またその謎のささやかな外観とは対照的に、ネチっこい推理を展開させていく中盤の流れも秀逸です。
そして、これは収録作「ワイン合戦」のなかに出てくる登場人物の台詞なのですけども、そうした謎解きが人間の「心の動きを解き明かし」ているところにも注目で、謎解きによって人間を描き出すという本格ミステリならではの技法がふんだんに盛り込まれているところも自分好み。
続く「ワイン合戦」は、洒落たレストランで美男美女がワインを二本注文して、それぞれのボトルで飲んでいるのは何故、という謎が提示されるのですけど、ここでも様々な可能性を掲げつつそれらが全て否定されたあとで、意想外な「真相」をズバッと口にする探偵君のキャラが光っています。しかしここで探偵君が口にする「真相」は、洒落たレストランで食事をする美男美女という美しいシーンをすべて台無しにしてしまうような生臭さで、こうした黒さをフツーっぽい登場人物たちと対蹠させて描き出す石持氏のブラックさには、思わずニンマリとしてしまいました。
「いるべき場所」は、収録作中、もっとも事件らしい事件が發生する一編ながら、主人公の行動から何からすべてが「問題大アリ」ともいえる、リアリティ度外視の問題作です。物語は、「二つの時計」での華麗な謎解きによって、件の美女の心を鷲・拙みにしてゲットした探偵君がカノジョと一緒にショッピングモールへ買い物に行くと、女の子が一人困ったような顔をして立っている。その雰囲気に何かあるとにらんだ探偵君はこの女の子に近づいていくのだが、――って、この後の展開はあまりにヘン、というか問題ありすぎ(爆)。
探偵君が「どうしたの?」と女の子に声をかけた後のシーンはこんなかんじ。
少女はそわそわ度合いを高めながら、小声でいった。
「おしっこ」
「えっ?」
「おしっこ」
反射的に周囲を見渡す。通路には人はいるけれど、親らしい人間はいない。
……(略)
「お母さんは?」
少女は黙って首を振る。お父さんはと尋ねても、反応は同じだった。
……(略)
さて、どうしよう。モールの従業員を呼んで、助けてもらうしかない。そう思ったけれど、少女は許してくれなかった。
「おしっこ、もれちゃう!」
さっきからそわそわしていたから、相当我慢しているのだろう。急がないと、本当に漏らしてしまう可能性がある。
と、「ガーディアン」では、ショートカットの娘っ子に「――ダメよ。わたしはおしっこを漏らしているんだから。円の制服まで汚れちゃう」という名台詞を吐かせた石持氏の、「おもらし」へのこだわりを感じさせるワンシーンながら、問題なのはこのすぐ後。
主人公は決心すると、少女を抱き上げて男子トイレの個室へと連れ込むのですけど、その後の場面を引用すると、
……少女のズボンを脱がせた。パンダのリュックが邪魔だったけれど、胸のところで左右の肩紐を留めたバックルが固くて、外れない。仕方がないからリュックはそのままにして、股ぐらのホックを外し、パンツを脱がせた。やはりおむつじゃなかった。連れてきてよかったと思いつつ、少女をもう一度抱え上げ、便座の蓋を開ける。便器の中に落ちないよう、両膝を抱えたまま座らせた。
次の瞬間、個室に水音が響いた。間一髪だ。まずそのことに安堵した。決断と行動が早いことは、僕の取り柄だ。そのおかげで、大惨事から少女を一人救うことができた。
見も知らぬ少女を個室に連れ込むだけでも大問題なのに、それにくわえてパンツまで脱がせて放尿させるとはこれいかに、――と、いくら何でもこれはやりすぎなんじゃないノ、と思ってしまうのは自分だけではないと思うのですが、いかがでしょう。
現実世界でこんなことしようものなら、その場でショッピングモールのガードマンたちに羽交い締めにされた挙げ句、自らの小市民人生もジ・エンド、となってしまうのは確実で、このあたりにもリアリティは度外視してでもとにかく「おもらし」にこだわる石持氏のマニア嗜好を……というのは冗談ながら(爆)、これだけ犯罪行為スレスレというかリアルワールドでは明らかに犯罪でしょッ、というようなことをしておきながら、「間一髪だ。まずそのことに安堵した」と余裕こいている主人公の価値観は明らかに歪みまくり。
また、美女のカノジョも彼女で、探偵君から話を聞いたあと、「それはお疲れさまでした」と探偵君の行為にねぎらいの言葉をかけてしまうというのもこれまた異常。しかし、そんな石持ワールドの住人ならではの歪みとねじれに苦笑していると、上に引用した少女の身なりに「気付き」を添えて、哀しくも異様な真相が明らかにされるという本格ミステリならではの結構は、本作中ピカ一ともいえる素晴らしさで、個人的にはこの異様な真相を目にした刹那、思わず連城氏の「造花の蜜」を思い出してしまいました。
と、ここで、そういえば「二つの時計」の、人間の心の襞に着目して謎解きを展開させていくその風格は、流麗な筆致によって描き出せば連城ミステリ的ともいえることに気がついたわけですけども、本編の場合、「造花」が湛えていたようなゲーム性は皆無で、それゆえ残酷非情ともいえる真相は何ともイヤっぽい讀後感を残します。
この「いるべき場所」で、探偵君が解き明かした「真相」に取り乱してしまうカノジョの様子に、ちょっとこの美女はメンヘラっぽいな、と思っていたら、「ふたつの時計」においては探偵君でも解き明かせなかったカノジョの暗い過去が、最後の表題作で明らかにされます。
この過去は相当に衝撃的で、探偵君はこの「事件」は実はこうだったんだよ、とその「事件」の「真犯人」を解き明かしてみせるのかと思っていたら、物語はまったく違った方向へと突き進んでいきます。これがフツーのミステリだったら、事件の「真犯人」を明らかにしたことで彼女の心が癒やされてジ・エンド、となるべきなのに、この「事件」はあくまで「厳然たる事実」としたまま、「事件」の「犯人」の心理を繙いていくという非情――。
この「犯人」の狂気をロジックによって解き明かしていくところは石持ミステリの真骨頂ながら、驚きなのはこれだけの非情に過ぎる風格が最後には絶妙な癒やし小説へと大化けしているところでありまして、どうやったらいったいこんなにも奇妙に歪んで捻れた小説が書けるのか、……この冷徹な非情をロジックによって癒やしへと昇華させてしまうという破格に過ぎる結構に、自分は作者である石持氏の「狂気」を見たような気がします。
それともうひとつ、上に引用した、幼女を個室に連れ込んでパンツ脱がせておしっこさせるという行為もまた、完全に世間の価値観からは乖離しまくっているのですけど、こうした目立ったシーンのみならず、登場人物の振る舞いをさりげなく描いたところにも石持ミステリらしい「歪み」がかいま見えるところに注目でしょうか。
例えば探偵君の友達の女性が一人称で語る「晴れた日の傘」では、探偵君が「ジーンズのポケットからハンカチを取り出して、額の汗を拭」き、その「ハンカチをまたポケットにしまおうとする」ところを、カノジョである件の美女が制止する、――というシーンがあるのですけど、
「濡れたハンカチをポケットに戻さないの」
右手を差し出す。川端さんが「悪い」といってハンカチを渡した。高野さんは男性の汗を吸ったハンカチを受け取り、広げてバッグにかけた。わたしたちより、よほど夫婦っぽい仕草だ。
女性である「わたし」の語りによって描かれたこの文章は、さらっと読むと、いかにもごくありきたりなフツーの描写に思えます。しかしただ「ハンカチを受け取り、広げてバッグにかけた」と書けばいいところを、またどうして「男性の汗を吸ったハンカチ」というふうに「男性」の汗を強調してみせるのか。このあたりに「耳をふさいで」に描かれた「ザーメン臭いコンビニ袋」と同様の、石持氏ならではの「生理的リアリティ」ともいえる「歪み」の風格を感じ取ってしまうのは自分だけでしょうか(苦笑)。
というわけで、世間の価値観から微妙にずれた登場人物たちの振る舞いをいかにもフツーらしく描き出し、そこへ十八番のロジックによって異様な真相を明らかにするという石持ミステリの風格をイッパイに感じられる本作、本格ならではのロジックを愉しむもよし、自分のようにキワモノ小説として石持氏の「歪み」と「捻れ」と「静かな狂気」を堪能するもよし、という非常に美味しい一冊です。「耳をふさいで」のようなあからさまなイヤ感はなく、癒やしの小説を擬装した風格ゆえ、ロジックの鬼からおもらしマニア、さらには癒やしに飢えたスイーツ女まで、多くの本讀みが愉しめる一冊といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。
[追伸: 06/03/09]:
表題作における探偵君の、論理をあさっての方向に用いるトンデモぶりは何かに似ているなア、……と考えていたのですけど、いま思い出しました。これは「心臓と左手」に収録されていた「再会」の座間味君。表題作のアレっぷりは「セリヌンティウス」や「再会」にも通じる風格ゆえ、「そっち」が愉しめた人はこの捻れっぷりをイッパイに堪能出来ると思います。