あのダメミスの最凶作「本格ミステリ館焼失」の作者、早見江堂女史が別名義でリリースした短編集、――なんて書くと、紹介の仕方が逆だろ、とかいうツッコミが入りそうなんですけど、やはりそれだけ「本格ミステリ館焼失」の衝撃がアレだったということで、個人的には「償い」がバカ賣れしようとも關係ナシ。
で、本作は矢口名義ということもあって、小説に癒しを求めるアーパーなスイーツ女ども御用達の一冊かと思いきや、これが思いのほかキワモノテイストを横溢させた作品集でありまして、キワモノという視點から見ればなかなかに愉しめる逸品でありました。
収録作は、重い病に苦しむモジモジ女の横恋慕が変態男の心の闇を明らかにする表題作「人形になる」、体の疼きはこれすべて遺伝子の仕業ナリ、などと殊勝なことをほざいてみせるキ印の淫売女が新人類誕生の暁に奈落へと堕ちる「二重螺旋を超えて」の全二編。
「人形になる」はまずタイトルからして大凡のネタはバレバレながら、そうした讀者の期待と予想をシッカリとトレースした物語の展開がキモでありまして、本作では介護を必要とする重い病に罹ったモジモジ女を語り手に、ボランティアの介護に精を出す男とそのカノジョとの隠微な三角関係が大展開。
もともとはこの男のカノジョが語り手の同室に入院してきたのをきっかけに、ヒロインは件のボーイに一目惚れ。何だか佐々木丸美ワールドのヒロインみたいに「あなたのことが好きッ! 好き好き大好きッッ!」ってなかんじで、心の高ぶりをクダクダと述べ立ててみせるヒロインのアレっぷりも見所ながら、語り手の親がご臨終という不幸をきっかけに、秘めていたネクラ女の乙女心が大爆発。
とある夜のちょっとした出来事から、彼女の思いがついに叶えられたとの喜びもつかの間、ボーイのカノジョが自殺をしてしまうという暗い事件が發生。さらにカノジョが残していたという手紙には奇妙なことが書かれていて、――。
上にも述べた通り、タイトルからして、このモテモテボーイの性的嗜好というのが木々高太郎センセの「眠り人形」みたいなアレだというのは明らかで、後はこのボーイのリアルな変態ぶりをヒロインがどのようなかたちで悟るに至るのか、また「好き好き大好きッッ」というネクラなヒロインがこうした自分の心の高ぶりとボーイの変態嗜好とにどのようなかたちでオトシマエをつけるのかが、物語のキモとなる譯ですけども、本作の場合、これもまたキワモノマニアの期待通り、というか、ある意味非常に予定調和なかたちで幕となる結末をどう受け取るかによって評価が分かれるような気がします。
「二重螺旋を超えて」は、タイトルこそこれまたサイファイ小説を彷彿とさせる大仰さながら、書かれている内容はというと、体の疼きに悩む行かず後家の淫売女が、過干渉の母親と教育ママの姉との關係に苦しみながらも高校のクラス会に出席、独身男に狙いを定めてアタックを試みるもボンクラの毒男に脈はなく、最後には街灯で逆ナンを敢行、しかし遺伝子の内なる声(要するに脳内電波)に諭されて機会を逸したりといったエピソードがダラダラと續くものですからいったいどういう終わり方をするんだよ、と思っていると淫売のヒロインがイキナリ奈落に堕とされてジ・エンド、という苦笑至極の逸品です。
しかしこの淫売ヒロインが自らのインナースペースと脳内會話を平然と繰り広げる展開は、フツーの本讀みにはマッタクの理解不能ではないかと推察されるのですけども、そのあたりを軽く引用してみるとこんなかんじ。
その通りなんです。私の体内で出番を待つ卵母細胞よ、よく聞いて。
さらには街灯で逆ナンを試みると、今度は遺伝子の方から待ったをかけられたりと、体の疼きをとにかく二重螺旋のせいにしたくてタマらない淫売女のモノローグは相当に強烈。また高校のクラス会に出席した時に狙いを定めた毒男をホテルに誘ったものの空振りに終わった語り手は、それでも彼のことが諦められず、母親との温泉旅行をきっかけに再び田舎男へのアプローチを試みます。
旅程を組んでいる時の妄想語りの激しさがこれまた本作の見所でもあるのですけども、「田舎でひとりぼっちで暮らしているFならば、私を喜々として受け入れてくれるにちがいない」とその自信はいったい何処から來るんだよと、物語の外にいる讀者を唖然とさせれば、「旅行からいきなり一緒に暮らすことにはならなくても、年内には秋田に引っ越そう」と、相手の気持ちなどそっちのけに自分で生涯プランを設計してしまうキ印ぶり。
そんなこんなでこのヒロインの妄想と遺伝子との脳内會話がダラダラと繰り返されていると、物語は最後の最後で急展開。何だか「新人」對「超新人」とかいってSFの凡庸ネタへと流れて締めくくるところの無理矢理感にはこれまた苦笑至極ながら、まさかこうした結末はマッタク予想していなかったのでチと吃驚。
意外な結末といえばその通りなのですけども、妄想語りで幕とするのはアレだから、とりあえずSF的に殊勝なことをブチ込んでおけばオーケーでしょ、ってなかんじの早見江堂女史のアナーキーぶりが愉しめるもまたステキな一編といえるでしょう。
確かに本編も相當にアレながら、これに輪をかけて凄いことになっているのが、萩尾望都の解説でありまして、
「二重螺旋を超えて」を読んだあと、この「新人」対「超新人」のコンセプトで、SF好きな私の頭は昔読んだクラークの『地球幼年期の終わり』やジョン・ウィンダムの『呪われた村』やスタージョンの『人間以上』にスライドしてしまった。
いくら何でもこのキワモノの逸品を語るのにクラークやウィンダムやスタージョンを引き合いに出すのは褒め殺しというもので(爆)、ここでいう「スライド」というのはあくまで「地滑り」、「横滑り」といった日本語で表現した方がシックリくるように思います。
「本格ミステリ館焼失」とはまた違った脱力ぶりながら、あちらとは違って、予定調和的な構築美とアナーキーさの混交がキワモノマニアにはタマらない掘り出し物、といえるカモしれません。個人的には佐野洋御大のSF短編とかがメッチャ好み、とかいうキワモノフリークにオススメしたいと思います。