「夜は一緒に散歩しよ」の黒史郎氏の長編第二作。「夜は」には怪談のレーベルでありつつもホラーに近い風合いを感じたのですけど、本作の場合、怪異に対する語り手の立ち位置や、情愛悲哀も含めた内心の描き方に見られる奇妙な歪みも含めて、処女作に比較すれば怪談寄りの作品に思えるものの、やはり黒史郎、としかいいようがない奇妙な作品に仕上がっています。
東氏曰く「怪談やホラーのファンだけでなく、幻想文学ファンや奇想小説好きな方にも大いに響き交わす、動物奇想天外な(!?)博物誌小説でもあると思っておりますし、先に発売された『山白朝子短篇集 死者のための音楽』と軌を一にする奇妙な愛の物語でもあるように感じます」とある通りに、自分はホラーや怪談というよりは、寧ろ奇妙な愛の物語として讀みました。ただ、「夜は」と同様、その構成ゆえに瑕疵ともとられかねない危うさがあるのも事実で、このあたりをどう受け止めるかで評価が分かれてしまうような気がします。
物語の語り手は動物園の飼育係のネクラ男で、職場ではその性格ゆえか上司も含めた同僚からも陰湿なイジメにあっている様子。そんな時、動物園に怪しすぎる出で立ちの狂女が突然現れ、動物の形態模写を始めたから事情を知らない園内の職員たちは超吃驚。女が真似た動物は数日後に必ず死んでしまうという曰くがあるものの、その奇人ぶりに強く惹かれたしまった語り手は彼女を自分のアパートへと連れ込み、奇妙な同棲生活が始まるのが、果たして、――という話。
ここまでだと女の変人ぶりがキモで、東氏が言及している通りの、アウトサイダー同士の奇妙な愛の物語、というかんじに纏めることが出来そうなのですけど、女の形態模写に絡めた奇妙な怪異から幻想味溢れる雰囲気へと流れる展開が秀逸です。
女の形態模写が、模写どころではない、次第にリアルなものへと変容していく様はホラー風味満点で、殊に象へと化けるところのシーンのおぞましさは圧巻です。しかしこのような外観ばかりのウップ、オエップなところにばかりではないところが本作の見所でありまして、中盤以降、あるトンでもな事件をきっかけに、物語は奇妙なかたちにねじれていきます。
この捻れた雰囲気と転換にやや違和感を感じてしまうものの、ここに大きな仕掛けが施されていることが明らかにされるのが後半の展開なのですけど、獣王というタイトルにも繋がり、また語り手の妄執を体現した「エイセラニ・ハウザンド」という究極の動物園のテーマにも連結していくこの仕掛けについては評価を迷ってしまいます。
というのも、中盤までは動物の変容の繰り返しによって語り手と狂女の愛が「異次元的なもの」へと昇華されていく課程を描きながらも、後半の仕掛けへの伏線となる転換点をここにおいたことで、語り手と狂人の愛の物語というテーマがやや後退してしまったような気がします。
「愛」の物語から「変容」へとテーマが変遷していったことは、後半、語り手もまた自分が愛していた狂人と同じ能力を獲得していく課程や、男がかつての同僚であった人物の名前(「骨」)で呼ばれていることで理解は出来るのですけど、院長の語りを引用しながらこの女の正体を幽霊にも近いある種の怪異であると明らかにしたことで、作中で語られるべき二人の愛の物語は終わりを遂げてしまったのかもしれません。ただ、それでも前半に描かれた語り手と狂人の物語の濃密さに比較して、アッサリというほどに狂女が後半の展開から姿を消してしまったところがちょっとアレ、というか、意外というか、――個人的には「変容」を最大限に際だたせる技法として、後半に明らかにされる仕掛けには納得しつつも、何か割り切れないものを感じてしまった次第です。
この割り切れなさという点では最後のエピローグも同様で、プロローグで描かれている語り手と狂人の愛のかたちと対照をなすかたちではなく、今ここで語られたすべての物語がアレでした、というかたちに纏めてしまったところもまた勿体ないというか蛇足というか、――そのすぐ前の「方舟から……」の一行で終わる叙情的な描写があまりに美しいゆえに、それらを最後にこういうかたちで転がしてしまうところも勿体ないような気がするのですけど、如何でしょう。
まア、このあたりの不満はそれだけ最後に描かれた「エイセラニ・ハウザンド」の原風景に自分が心を奪われてしまったがゆえの不満でもある譯で、これもまた讀み手によって評価が変わるのではないかなア、という気がしました。
と何だかんだ不満をいいつつも、やはり物語としては圧倒的で、傑作というには躊躇いがあるものの、ホラーファンのみならず幻想小説ファンであれば、讀後、様々な思いを残しす作品といえるのではないでしょうか。という譯で、黒氏が出たので、次は宇佐美まことの新作を大期待してしまうのでありました。