引き算の美學。
連城氏の作品と竝んで時折このブログでも取り上げている泡坂妻夫氏でありますが、同じ幻影城出身の作家とはいえ、作品の變容を見ていくとその風格の違いが見えてきます。連城氏がお腹イッパイというくらいに豪勢などんでん返しを積み重ねていく過剩な方向へと向かっていったのに對して、本作の作者泡坂氏の場合は、文体も含めて過剩なものをどんどん捨てていき、物語を洗練させていく路線を歩んでいるような氣がするですが如何。人間關係の描き方を見ても、爛熟の連城に對して淡泊の泡坂とでもいうか。
ここに自分は引き算の美學とでもいうべきものを感じてしまう譯ですけど、惡くいえば非常に地味。しかし登場人物によって謎が解かれたあとも、何処かしっくりこない餘韻を残して深みを持たせているあたり、やはりただ者ではないなあ、と思うのでありました。
解説で繩田一男氏は、泡坂氏のエッセイ集「ミステリーでも奇術でも」からの引用で氏の探偵小説に對する立ち位置を述べているのですけど、曰く「探偵小説とは探偵小説の技法を使って作られている小説であ」り、「その技法というのは、読者に奇談を納得させるための一つ技術である」と。このあと、ポーの「モルグ街の殺人」を例に挙げて泡坂氏はこの作品が画期的であった理由を述べているというのですが、興味深いので引用しますと、
この作品が画期的であったのは、「奇談を小説の中で論理的に実証して」しまうからで、「その結果、奇談は一時奇談性を失うが、物語の全体を見渡したとき、読者は更に大きな奇談が用意されていたことに気付く」と述べている。つまり「密室の解明は、もっと恐ろしい新たな奇談の出現につながる」というわけである。
何だか綾辻センセあたりがこれを讀んでウンウンと激しく頷いている姿が想像できてしまうんですけど、この文章、自分が幻想ミステリに求めているものを端的に現しているなあ、と思った次第ですよ。「奇談」という言葉でこのあたりを述べてしまうところに泡坂氏の類い希なセンスを感じてしまいます。
で、そんな氏の手になる本作は全十篇、繩田氏の言葉を借りれば「男女の縁や絆の持つ不可思議さ」を主題に据えた作品集といえるでしょう。死を遂げたマジシャンとその助手の女性の關係を軸に最後で怪異が示される「黒の通信」、もしかして楳図センセの「肉面」ってここで語られる講談からインスパイアされたものなんですかねえ、というおぞましい奇譚が語られる「仮面の恋」、義姉との不倫に隱された真実が意外な実相を明らかにする「火遊び」、妻の死に呈示される事件の意外な真相にもう一つの裏があるのでは、と思わせる餘韻が何ともいえない表題作「恋路吟行」。
さらには妻の不貞にブチ切れた夫がDV男へと変貌、間男の足跡からその人物を推理する「藤棚」、執拗につきまとうストーカー男と泡坂ジュリエットともいえる女るいの悲慘な人生が何ともいえない「るいの恋人」、少年時代の失われた記憶が甦りキ印へと変貌していく男を心配する妻を描いた「雪帽子」、二人の母親を持った男が語る意外な真実が何とも哀しい「子持菱」あたりが好みですかねえ。
「黒の通信」は、助手の女性を戀してしまったマジシャンが轢き逃げに遭って死んでしまう、という話。このマジシャンは語り手の私が書いたミステリ小説に對して、「最後にその不思議は合理的に解決させてしまう」ところが不満といい、自分も小説を書いたので見てほしいとかいうのですが、この彼の言葉が最後の幕引きの伏線になっているところがいい。
彼の十八番のマジックも絡めて果たしてこの最後に明らかにされる内容を怪異ととらえるべきなのか、それとも何らかの仕掛けがあったのか、それを明らかにしないところをできの悪いミステリと見るか、それともこのマジシャンが理想とした小説の風格と見るかで評價が分かれてしまうような氣がします。
「仮面の恋」は楳図センセの「肉面」チックな講談噺から始まり、こういった話は海外にもある、というふうに展開します。で、海外にあった逸話の真相を語り手達が推理していくという趣向。
「怪しい乗客簿」は飛行機に乗りこむ前から怪しい輩がウロウロしていて、いざ飛行機が飛び立つとハイジャックが発生、果たして、……という話。駄洒落フウの言葉遊びが脱力の一編ですよ。
「火遊び」は兄嫁を好きだった男が彼女を待っている場面から始まります。彼は昨日、とある家の前で表札の文字を確かめようとマッチを擦ったところ、後ろから姉に聲をかけられる。果たして彼はそのときに自分の思いを告白して、その翌日である今日、彼女と逢瀬をするのだが、……という話。ダメ男の義弟に聲をかけてその後に彼と關係を持つという「火遊び」を行った彼女の真意が明らかになる後半がいい。
「恋路吟行」は妻の不貞を疑う男が句會の旅行へ妻と一緒に參加するのだが、ホテルの食事で食中毒が發生するわ、妻は夫に内緒で不審な行動を取るわで、いかにもこの妻が怪しいというフウに物語が進んでいくのですが、最後にこの妻が事故に遭い、そして、……という話。妻を疑う男と、この旅行に參加したとある女性二人の視点で物語は語られていき、最後にホテルの食中毒事件などの真相が、この夫の推理によって明らかにされるのですが、よくよく讀みかえしてみると、果たしてこれが本当の真実なのかよく分からない。
男の推理だと、妻は彼を崖から突き落とそうとして、自分から崖の下に落ちてしまった、ということになっているのですけど、真相はまったく逆で、食中毒事件も含めた全ての推理は彼の嘘で、真相は彼が妻を殺そうとしたと考えることも出來るのではないでしょうかねえ。このあたりの、意図的に深読みを許すような書き方になっているところが業師の作者らしい、……というか、自分がただ單に考えすぎでしょうかねえ。
「藤棚」は酒席で妻の不貞をほのめかされた夫がブチ切れて帰宅すると、雪の上には間男のものと思われる足跡がある。その足跡から間男が誰なのかを推理する男の執拗さ、そして最後にこのDV男が勝利する幕引きの鬼畜テイストと、おおよそ作者らしくない雰圍氣にちょっと欝になる一編です。
「勿忘草」は老舖のオンボロ旅館に世代間の確執を絡めつつ、奇妙な自転車泥棒の事件と年上女ラブな少年を描いた物語。自転車泥棒の機械トリックがミステリ風味を釀し出しているものの、寧ろこの少年の戀心が胸に沁みる。
「るいの恋人」は「俺とお前は前世で一緒だったんだから」と電波飛ばしまくりのロクデナシに惚れられてしまった女の哀しい運命を綴った、いうなれば泡坂ジュリエット。このロクデナシ少年栄吉はるいという少女が好きだったのだけども、一方のるいは栄吉の体臭が大嫌い。それでも栄吉はこのおるいを自分の許嫁に自己認定、以後彼女はストーカーへと成長した栄吉に一生を通じてつきまとわれることになって、……という話。
許嫁が決まれば、それを破断にするべく、るいを犯罪に巻き込むことも厭わない栄吉の常軌を逸したやりかたは完全に鬼畜。さらに出所してからも栄吉はまたまたるいにつきまとい、今度はるいを犯罪者へと仕立て上げるという悪辣さ、それでも栄吉的には已然としておるいラブで、いうなれば好きな女の子に自分の気持ちを分かってほしい、だからイジめるんだよ、というかんじでそのまま大人になってしまったようなロクデナシですから、何をいおうと無駄な譯です。果たしておるいが老境に達したとき、またまたこの栄吉が彼女を訪ねてくるのだが、……。
「雪帽子」は少年時代に住んでいた田舍に引っ越してきた夫婦の物語で、とある繪畫展で雪女を絵を見た夫はその場で放心状態となってしまう。それから暫くしてその雪女の作者である女性から電話がかかってきて、……という話。過去の忌まわしい出来事の記憶を封印していたのに、雪女の繪を見たばかりに狂氣の世界へと轉がり落ちていく夫が哀れですよ。
最後の「子持菱」は収録作の中では個人的に一番好きな話でしょうかねえ。語り手の仕事仲間の富士屋には二人の母親がいて、というとこから富士屋の過去が語られていくのですが、疎開先や東京の燒け野原などあの時代の雰圍氣を交えながら、二人の女の哀しい運命を描き出す筆捌きは見事。過剩さはなく淡々と物語が流れていくだけに真相を知った時の富士屋の慟哭がぐっと來る名品です。
という譯でミステリとして見た場合、派手な仕掛けはないものの、ミステリの仕掛けを凝らした短篇小説として見れば、その筋運びのうまさに思わず唸ってしまう粒ぞろいの作品集。ただ仕掛けまくりの連城氏と比較するといかんせん地味なので、萬人にこの味わいを堪能出來るかどうかはちょっと疑問、ですかねえ。実をいえば自分も昔讀んだ時には本作、あまりピンと来なかったんですけど、こうして歳をとり、あらためて讀みかえしてみてそのうまさを理解できたという次第です。