ベタベタのメロドラマがクイーンロジックに大變身。
実をいうと、作者の作品を讀むのは本作が初めてでありまして、……というか「ドッペルゲンガー宮」はリリースされた時すぐに購入したんですけど、そのあまりの讀みにくさに途中で挫折してしまったということもあって、本作も手に取ったときには不安一杯、どうなることかとビクビクしながら讀み進めていったのですが、ミステリーリーグからリリースされた作品だけあってこれはなかなかの佳作でありました。
物語は「名探偵はまだいない」「名探偵は名乘らない」「名探偵はもういない」と大きく三章に分かれていて、それぞれで探偵役を務める人物が變わっていくという趣向が面白い。物語の殆ど半分を費やして語られる第一章「名探偵はまだいない」では、主人公とおぼしき犯罪學者木岬の視點から語られていきます。
義弟の敬二とともに彼は栃木のド田舍にあるペンションを訪れるのですが、どうやら彼はこのペンションにいるある人物と關係があるらしい。さらにこのド田舍のペンションにはいかにも曰くありげな人物たちが集まっていて、……という話。雪崩や地震でこのペンションが嵐の山荘になってしまうという展開も御約束、しかしそれでいて中盤以降に明らかになる登場人物たちの経歴は嵐の山荘的な状況を無效にしてしまうようなものなんですけど、後半のクイーン風の展開が素晴らしくて、そんなことも気にならずにすらすらと讀めてしまいます。
木岬とペンションの女性とのベタベタなメロドラマが展開される前半はちょっと退屈なものの、これが謎解きを終えた後の餘韻に響いてくるので疎かには出來ません。事件が起きるかな起きるかな、と期待していてもなかなか殺人も起きず、その間にペンションに宿泊している怪しい外人や、切手泥棒、頭の足りない男の奇妙な行動などが語られていき、物語も半分に近づいたあたりでようやく殺人事件が発生、このあとの展開が素晴らしい。
第二章「名探偵は名乗らない」では、怪しい外人が実はあの名探偵だったということが明かされ、この父子が現場の状況を検証しながら樣々な假説を繰り出しては捨てていく展開が見事。後半第三章の謎解きも勿論面白いのですけど、個人的にはこの部分が一番好みですかねえ。
またこの父子の「演技」も堂に入っていて愉しめます。で、その間にも立て續けに事件が発生し、第一章で名探偵役を予感させていた人物までも死んでしまうので、いったいどうなってしまうんだ、最後に謎解きをするのは彼じゃなかったのかと讀者が案じる一方で、件のヒロインは事件前のメロドラマを回想しつつウジウジモジモジしてしまうところが個人的にはちょっと笑えましたよ。
で、第二章が終わったところで例によって讀者への挑戰、となる譯ですが、正直犯人が分かって吃驚というネタではなく、寧ろここでは第二章で呈示された假説や考察を元に、探偵が事件の真相を解き明かしていく過程を愉しむべきでしょう。
作者がこの作品でやりたかったこと、というのがジャケ裏で書かれているんですけど、ひとつは「ただひたすらに推理をすること」そして二つ目は「読者の思考をある一点に向かわせるたに、あれから、あれまで利用して一册の本を作ること」とあるんですけど、このなかの前半部分、「ひたすらに推理をする」という點に關しては相当に愉しめたものの、後ろの方は作者が意図していた「あの一点」を意識せずに讀み進めていってしまった為、このあたりで驚きを感じることが出來なかったのがちょっと殘念でしたかねえ。
読者への挑戰もある譯ですから、真相を見破るつもりで一字一句を丁寧に讀み進めていった方が作者の心意氣をもっと感じることが出來たかもしれません。このあたりも勿體ないことをしてしまったなあ、と讀後に感じた次第です。
第三章「名探偵は名乗らない」では譯あって、第二章で探偵役をつとめていた父子は退場し、また違う人物が推理を開陳していくのですが、その理由が最後に明かされるところも洒落ています。頭の足りない男の奇行や、第二章で探偵が固執していたマフラーの件などをもとに真相が解き明かされていくところは大變スマート。
ただ、個人的好みをいえば、このあたりをもっと執拗に、ネチネチとやってくれた方が良かったなあ、と思ったりもするんですけど、まあ、こういうシツっこさは氷川センセの次作に期待するとして、ベタベタのメロドラマが端正なロジックミステリへと變轉していく仕掛けは面白い。
前半の背中がムズムズするメロドラマがかなりアレだったんで、作者は若い人なのかな、と思っていたら自分より年上だと知って吃驚ですよ。「ドッペルゲンガー宮」がかなり讀みづらい文体だったということもあって敬遠していた作者の作品なのですけど、これを機会に手にとってみてもいいかなと思うものの、……ジャケ帶の裏を見ると、傑作学園ラブコメミステリで、ジャケはアレだし、というかんじで次にどれを讀んだらいいものか頭を抱えてしまうのでありました。