蝶々コロシ、夜殺す。
「本陣殺人事件」を讀んだついでに再讀してみました。もうずっと昔に讀んだきり乍ら例のコントラバスのトリックや後半の雨宮殺しも含めて鮮明に記憶していたことにちょっと吃驚、というかそれだけこの作品は自分にとって鮮烈な印象を残していたということでしょう。
斬新な和モノの密室に三本指の男の暗躍や化け猫の呪いといった怪奇趣味をブチ込んだ傑作「本陣」に比較して、本作では奇天烈な怪奇テイストは皆無。紳士的な由利先生を探偵に据えて、大阪と東京を舞台に死体を詰め込んだコントラバスが往き来するというところから、アリバイ崩しが前面に押し出された趣向かと思いきやさにあらず、一番の大技はやはりその「語り」に仕掛けを凝らしたところにあるのでは、と思うのですが如何でしょう。
またこの仕掛けについても、冒頭、作家である私と由利先生の會話からシッカリと理由をつけてあるところがキモで、當事同じトリックを使った洋モノを讀了していたものの本作にはスッカリ騙されてしまいましたよ。私と由利先生が物語の導入部で事件を語り出すところから、まさかアレを使うなんて思いつきもしなかったという次第で。
物語の進め方も事件の舞台は大阪か、と思わせておいてそれが一轉、東京からはいかにも怪しいネタがジャカスカと出て來たりして犯行現場はやっぱり東京、と搜査陣が犯人の狡猾な企みに翻弄されるところも素晴らしく、まったく飽きさせません。
普通、このネタだとコントラバスケースがあっちにいったりこっちにいったりして、ボンクラな自分などはもう途中で頭が追いつかなくなってしまうんですけど、本作の場合、このあたり描き方も巧みで、さらには一癖も二癖もありそうな樂団連中の人物描寫もあって、前半の展開は大いに愉しむことが出來ました。
後半、今度はモジモジ男が殺されるんですけど、犯人が即興でデッチ挙げたトリックながらこれもまた密室殺人と見るのではなくて、巧みなアリバイづくりの為だったと解明されるところも、第一の殺人との連關を感じさせてこれまたマル。
狡猾な犯人があからさまに鏤めておいたネタの怪しさに嫌疑を抱いた探偵がまずそこから事件の輪郭を描いていくという推理の導入部、さらには各のネタをひとつひとつ検証していく説明も巧みで、殺す方と殺される方が忙しく立ち回った結果としてこんなトンデモない事件になってしまったことが明らかにされるラストもいい。やはり傑作でしょう。
で、この出版芸術社版についてくる稀少資料なんですけど、ざっと挙げるとこんなかんじ。
蝶々殺人事件に就いて(「ロック」昭和21年5月号)
五百円懸賞(「ロック」昭和21年6月号)
懸賞当選発表(「ロック」昭和22年4月号)
「蝶々殺人事件」あとがき(「新探偵小説」)
「蝶々殺人事件」縁起(「真説金田一耕助35、36」)
山崎徹也「ロック」創刊の頃(「幻影城」昭和50年12月号)
これまた「本陣」の資料と同樣、声樂科の學生のコメントから、コントラバスケースの中に死体を隠すという着想を得たことなど、いくつか重複しているところもあったりするんですけどそこはそれ、個人的にはやはり「「蝶々殺人事件」縁起」に書かれている小栗虫太郎の急逝によって本作が「ロック」に掲載されることになったいきさつが興味深い。
この「ロック」の第二号が虫太郎の追悼特集となったことを語る山崎氏の「「ロック」創刊の頃」と合わせて讀むと、名作が世に出る時の宿命のようなものを感じずにはいられません。やはり必讀でしょう、という譯で、角川文庫版を持っていても今またこの出版芸術社版で讀むというのもアリかな、という氣がします。
ところでその角川版ですけど、自分が持っているのは「本陣」と同樣、杉本畫伯の手になるエロっぽいジャケが素晴らしい逸品で、コントラバスケースに両手を縛られて詰め込まれた原さくらの図。胸もまる出し、さらには黒のガーダーストッキングを纏ったおみ脚が大股開きというジャケは、ウブな學生だった自分にはかなり刺激的でありました、……って續けようと思ったんですけど、よくよく當事を思い返してみると正史にハマっていた頃は、角川から出ていた寿行センセの作品を片っ端から讀みまくってはグフグフと忍び笑いを洩らしていた時期だった譯で、全然説得力がありません(爆)。
出版芸術社から本作と同時にリリースされた「犬神家」はゲットするべきかどうか検討中、本屋で見つけたら卷末の資料を確認してみたいと思います。