靜かなる怒り、操り幻想。
「トーキョー・プリズン」に續いて、角川から少し前に文庫でリリースされたので讀んでみた本作、これまた素晴らしい傑作でありました。
個人的に「トーキョー・プリズン」を陽とすればこちらは陰。生眞面目な中にも何処か輕さを持った語り手や飄々とした脇役たちがベタな演技の中にも明るさを釀し出していた「トーキョー」に比較して、本作ではロスアラモスという人工町を舞台に物語は終始鬱々とした調子で進みます。
ガイジンから編集者を紹介してクダサーイという依頼を受けた柳氏が受け取った原稿、という體裁で、物語は第一章「ロスアラモス」から、舞台となる人工町の歪さや原爆という重々しいモチーフが喚起する、獨特の暗さを伴いながら展開されていきます。で、戦勝記念パーティーの席上で、グデングデンに醉っぱらった野郎が祝砲のかわりに爆彈をブッ放してトンデモない大事故が發生。
爆彈野郎が擔ぎ込まれた病院では、さっそく入院中の別の男が殺されてしまうのですけど、これが犯人の誤爆だったらしく、本當に殺される筈だったのは爆彈野郎だったんじゃないのかなア、というところからこの殺人事件の犯人を探っていく、……という話。しかし物語はこの事件の謎解きを縱軸に据えつつも決して一本調子には流れません。
イルカ放送などという奇妙な插話、さらには事件の現場にも現れたという謎の眼帶少女の幻想シーンが、物語全体を覆っている閉塞感や滅滅とした雰圍氣の中へ見事に溶け込んでいるところも素晴らしく、謎解きを中心に据えたミステリというよりは、幻想ミステリとしての風格の方が強く感じられます。
登場人物たちの何処かトチ狂った思想が開陳される會話シーンでも、柳氏の文章は決して冗長な思弁に流れず、この狂った事件の背後にある狂氣をじっくりと炙り出していくところにも注目で、後半やや唐突なかたちで挿入されている第十四章「カルテ」のおぞましい症状の羅列から物語の幻想と狂氣はいよいよ混然となって、バットトリップにも似た幻覚シーンへと流れていくところは完全にツボでありました。
果たして謎解きの結構を抛擲するギリギリのところで踏みとどまり、犯人が明らかにされるところの場面も壓卷で、この犯人が告白する異樣な動機の衝撃度は連城や京極氏の長編をも髣髴とさせます。
もうこの動機の眞相と、「あの罪だけは誰にも渡さない」と絶叫する犯人の言葉だけでも大滿足なんですけど、さらにはこのあとにこの事件の背後で犯人の動向の全てを操っていた人物が明かされるという趣向もこれまた素晴らしい。
柳氏の原爆に對する怒りは、物語を通してヒシヒシと傳わってくるんですけど、これはいうなれば靜かなる怒りとでもいうべきもので、泣き節や怒りのアジテートを全開にして物語を紡ぎ出す島田御大の風格と大きく異なるのがこのあたり。しかしこれを素っ氣ないとか、或いは淡泊と感じる方もいるかもしれません。
また人類の罪という非常に抽象的な事柄を語るにしても、笠井御大の作品に見られる重厚さとは對照的に、難解な思弁に流れずあくまで平易な語りに撤するところも個人的には好印象、……といいつつ、このあたりも上と同樣、この輕さを小説的な薄さと感じる人もいるのではないでしょうか。
自分としてはミステリとしての事件を一つに絞りつつ、重厚なテーマを幻想ミステリへと大きく傾斜させた本作の風格は完全に好みで、特に後半、ヒロシマを幻視するおぞましい場面では、奧泉光「葦と百合」にも似たトリップ感を堪能することが出來ましたよ。
通奏低音のように全体を暗く覆っている静かな狂氣と怒りから釀し出される陰々滅々とした雰圍氣はしかしどう考えてもマイナー調で、讀者を選んでしまう作風であるところが何ともながら、重厚な主題と共鳴して何処までも暗黒世界へと堕ちていくこの風格をメジャーの方向へと大きく轉換させたのが「トーキョー・プリズン」ではないかなあ、などと考えたりするのですけど如何でしょう。
ベタベタな展開がそれゆえに妙な明るさを伴ったメジャーの雰圍氣を構築している「トーキョー・プリズン」と對比させてみると、本作の異樣さと狂氣がより際だちます。また「トーキョー」の方はより多くの讀者を意識して書かれた作品乍ら、この二つの作品には陰陽とでもいうべき共通點も強く感じられる故、二册をイッキ讀みするとより愉しめるかもしれません。
明快さにおいては「トーキョー・プリズン」の方が上かと思うんですけど、物語性やミステリとしての結構が崩れる寸前のところまでその狂氣と幻想を突き詰めた本作の方が個人的にはより好みでしょうか。謎解き主体の本格ミステリとしてよりは、後半に大きく姿を見せる幻想ミステリとしての風格に痺れました。
時にこの文庫に入っていた折り込みチラシは、月刊島田荘司と同樣、角川と創元推理とのコラボでありまして、「創元推理文庫で柳広司作品、連続文庫化!!」という煽り文句が添えてあります。最近、こういう出版社を横断したコラボって、流行りなんでしょうかねえ。なかなか興味深いです。
実在の偉人を中心に据えたり社会的な話題を扱うためか、柳広司はいつも落ち着いて文章を作る印象があるのですが、本書はそんな中でも異様な空気を醸し出していましたね。読んでいて圧倒されました。
そうそう、柳氏は「トョーキョー・プリズン」みたいな「うまい(ベタな)」作品ばかりかと思っていたんですけど、本作はかなり雰圍氣が異なっていて、この歪なところが完全に自分好みでした。創元推理文庫も含めてまだまだ柳氏の作品は讀み始めたばかりなので、今後が愉しみです。